【10/2広島戦◯】青木の好きなところ、がむしゃらなところ。
いつかこんな日が来ることはわかっている。誰もが引退の日を迎える。それは、青木だって同じだ。青木だって、引退をする。わかっていたけれど、わかっていたつもりで、やっぱりわかっていなかったことを、私は痛感する。
カツオさんは、マウンドで青木が来るのを待っていた。泣きそうな表情が、なんだか子供みたいに見えた。二人はそこで抱き合って、しばらく動かなかった。おじいちゃんたち泣いてるよ。と、言いながら、私はまた泣いた。
いつも思うのだけれど、ほんとうに寂しいのは、去る方より見送る方だ。去る方はそこに、ある程度の自分の意思と決断がある。だけど見送る方はいつだって、去ることを伝えられ、受け入れるしかない。五十嵐さんを、たてさんを、そして青木の背中を見送るカツオさんの表情を見ながら、私はいつもそう思う。カツオさんのさみしさは、きっとカツオさんにしかわからないものだ。それをカツオさんはもうここ何年も、抱え続けている。抱え続けてそして、投げ続けている。
引退を発表してから、青木は何度もヒットを打った。「まだできるやんか」と私は何度も何度も思った。ここにきて生涯打率をまだ上げるつもり?と、子供達と笑っていた。泣きそうになりながら、笑っていた。せめてあと一年。と、そう思った。だけどプロの野球選手に「あと一年」はない。「せめてあと一年」なんて思った時点で、それは卒業を意味するのだと、思う。
最後の挨拶で、「泣かないで!」とファンから言われた青木は、「いや泣くよ!だって21年やってきたんだよ!」と言って笑った。泣きながら笑う青木を見て、私は心底思った。ああ青木は、本当に本当に、野球が好きだったんだな、と。そして私たちの心を動かしたのは、青木のその「野球が大好き」なところだったのだな、と。
私は大学生の頃、青木が出ている早慶戦の試合を一度見に行っている。正確に言うと、見に行った試合に、青木は出ていた、と思う。その頃私は野球に全く興味がなくて、でも誘われたサークルの新歓コンパで、春の早慶戦を見に行ったのだ。そのサークルではなんと、男子が朝から列に並び、女子はおにぎりを作って持ってくるという、まじで今考えると何時代なんだという制度があり、私はそれが無理すぎてそれ以来そのサークルには二度と行かなかったので(といっても、20年前の早稲田にはそんなサークルは山ほどあったと思う。)結局それ以来、早慶戦を見に行くことなく大学生活を終えてしまった。(ついでにどのサークルにも入らなかった。)あの頃の早稲田野球部には、青木もピロヤス氏も武内さんも鳥谷さんも和田さんもいたというのに(あと応援団の愛すべき木内。私の会社の同期。)、もったいないことをした。
ともかく、その頃から青木はそこにいたわけだけれど、私は当初青木のことを知らなかった。ただそんな私でも和田さんのことは知っていた。プロ野球選手の名前はほとんど、たぶん誰一人知らなかったけれど、和田さんの名前は知っていたのだ。当時は青木と和田さんでも、注目度にもそれだけの差があったのだと思う。
だけどそこから青木はご存知の通り、人一倍の努力をし、数々のタイトルをとり、メジャーにも行き、21年間という現役生活を走り抜けた。
現役最後の青木の姿を見ながら、私はいろんなことを思い出していた。青木が戻ってくることがスポーツ紙の一面を飾った日のこと。それにより、ぐっちがファーストにコンバートされた時のこと。中日戦で、0-0で迎えた延長12回ランナーなし2アウトの場面で、代打青木がコールされ、なんとホームランを放った日のこと。日本一になった日、フライングでベンチから飛び出してきた青木に泣きながら笑った日のこと。いろんなことを思い出す。
だけど私が一番に思い出したのは、なぜかこの日のことだった。
2018年、青木がヤクルトに戻ってきてくれた年の6月。青木がハーフスイングを取られた時に審判に暴言を吐き、野球人生で初めて退場になった日のことだ。
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東京ヤクルトスワローズ観戦エッセイ
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