てっぱちが助けてと言えるキャプテンであること、そしてヤクルトが助けてと言えるチームであること
優勝を決めたあの日、私はバックネット裏から、バックスクリーンに映し出されたてっぱちが泣き崩れそうになっているのを見て、また泣いた。でもその時点では私はまだ、てっぱちが本当に抱えていたものを知らなかった。どれほどの思いで今年、そこに立ち続けていたのか、まだ知らなかった。
翌日、むねちゃんの手記を読んだ。そこには、こう書かれていた。
てっぱちが本当に抱えていたもの。そのしんどさ、苦しさ、重たさ。それは、私の想像以上だった。でもその上でてっぱちが持った本物の、勇気と強さを私は、少しだけ知った気がした。
♢
私がヤクルトを好きになった時、てっぱちは野手で一番若い選手だった。25
歳、社会人として考えればまだまだ、成長なかばの、先輩たちがたくさん助けてあげて、守ってあげて、導いてあげなきゃいけないような、年齢だった。でもてっぱちはそこで一人、だんとつで最下位だったチームを「引っ張ろうと」していた。ほぼ一人の背中に、その1番の背番号に、あまりにも大きな期待がかかっていた。それをポーカーフェイスのてっぱちは、バット一つで、その重圧をはねのけていこうとしているようにみえた。
でも今、キャプテンとなったてっぱちが今年抱えたものは、この頃とはまた別の、重圧だったのだろう。それは、結果を残してきた人だからこそ知る、だからこそのしかかる、大きな苦しみだったのだろう。
だけどてっぱちはその中で、「助けて」と言った。それはほんとうは、めちゃくちゃに、勇気がいることだったんじゃないかと思う。
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