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希望のかけらを紡いでゆく 【6/17 日ハム戦◯】

たぶん、多くの人がもう、謎のゲッツーで終わった昨日の負け試合のことなんてすっかり忘れている。あんなにもやもやしていたものを、翌日に吹き飛ばして、「交流戦優勝(最高勝率)」という考えられない結果を残すのがここのところのこのチームだ。私はいまだに、この一ヶ月が信じれない。

昨日、たいそう冷静を装ってnoteを書いていたけれど、実際のところ、試合が終わった瞬間に手にしていたクッションをテレビに向かって投げつけていた。なにが諸行無常だなにが盛者必衰だなにが春の夜の夢だゴロゴー失敗のゲッツーとかありえない!!!!!!(良い子はまねしちゃいけません)

・・・まあ、そんな日もある。というか、そんな日ばかりだった。開幕してからの一週間こそ、今年は強んじゃないの・・!と、そういえばあの時も暫定一位の順位表をスクショに残したけれど、もうあっという間に、鮮やかなほどに、あれよあれよというまに順位は転落し、ぶっちぎりの最下位になっていた。

連敗をするたび、これは一生勝たないんじゃないか、今年は100敗するんじゃないか・・という思いが頭をよぎった。その不安を払拭すべく、あらゆる方法で現実逃避をし続けた。負けるたび、6連敗するたびに、それでも良いところがあったはずだと必死で探した。

でもそうしていると気づくのだけれど、確かに、良いところはたくさんあったのだ。次につながる希望のかけらのようなものが、どんな試合にだって確実に存在した。それはどんなことでもそうなのだろうけれど。人生において、どれほど辛い時にも、例えば誰かとのさよならがせまっているような時でさえ、その希望のかけらのようなものは、確実に存在する。それはものすごく、大切な、忘れちゃいけないことだ。

そういう希望を、小さなかけらを、紡いでゆくことで、何か信じられないことが、それは奇跡に近いようなことが、起こることもある。いつもいつも現実はなかなかに厳しいもので、どれだけ祈ったところで基本的には奇跡なんて起こらないのだけれど(例えば誰かとのさよならはいつか必ず来るのだけれど)、それでも、「悪いことばかりが起こるわけではない」のだ。希望のかけらは、時には誰かを、救う。

そうして紡いできたものが、奇跡みたいに実った今日、私は喜ぶ選手をテレビ越しに見ていて、それがまたものすごくうれしい、と思った。

打てたり打てなかったり、思わぬ怪我をしたりなんとか戻ってきたり、二軍に落ちたり必死で上がってきたり、そのたびに腹が立ったり落胆したり心配したり祈ったり泣いたりこちらもあほみたいに勝手にしてきた。それでもどれだけ絶望しても、次の試合のたびにとにかくまあ泣きたいような気持ちで応援していた。

そうやって応援していた人たちの、いつも以上のにこにこは、なんかもうしあわせのかたまりのようでした、いやほんと。

悪いこともあれば良いこともある。絶望することもある。でも小さな希望のかけらがいつか実を結ぶこともある。シーズン中の野球には、それがぎゅっと詰まっている。

弱い時だって、負ける時だって、クッションをテレビに投げつけたい夜だって、それでも変わらず応援するけれども、それでも今日はやっぱり最高にうれしいです。

まだまだ続くこのシーズン中に、また良い試合がたくさん見られますように。ヤクルトとファンの人たちにとって、思い出深いシーズンになりますように!(去年も思い出深かったけど。)おめでとうございます!


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虫明 麻衣(Mai Mushiake)
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