EPilogue壁/逆騒69
EPilogue壁/逆騒69
壁はすべての希望を打ち砕くほど高く、途切れることなく絶望的なほど堅牢に作られている。
その遥か天辺の有刺鉄線越しに、故郷で目にするものとは明らかに異なる光の激しさを持つ青空がどこまでも広がっているのが見える。
有刺鉄線にはビニール袋や衣類の切れ端や、女の長い髪の毛なんかが引っ掛かっており、時折、風になびいて揺れる。
空気は常に汚くて、それは砂埃や火薬や腐り始めた血肉の臭いを含んでいるからだ。
逆光の中シルエットになった無人偵察機の翼が眩しく煌めくその先では、黒煙がいく筋か立ち登っている。
それは壁の向こう側でもこちら側でも決して珍しい光景ではない。
私は《PRESS》と書かれたヘルメットを被り、せっかくの化粧も美貌も台無しの分厚いゴーグルと防塵マスクをつけているのはまだ本番30秒前だからだ。
少し日焼けした二の腕に対して真っ白で無毛の脇の下や程よく筋肉のついた太腿が付け根まで剥き出しになるサファリルックを選んだのは、その方がSNSでの反響が大きくなるからだ。
右手に本物の猿の剥製にヒグマの牙を生やした精巧なパペットの《サグ》を嵌めれば準備完了だ。
現地採用した空撮用ドローン操縦士の男は2日前の晩、合成オピオイド混じりのバナナチップスを売り歩いていた切れ長の瞳が半熟卵で手足の長さが左右で異なる少女と何処かへ連れ立って消えて以来、戻っきていない。
きっともう今頃は、身ぐるみ剥がされ大型ミキサーにかけられた挙句に自家製腸詰として蝿の群がる露店に吊るされているに違いない。
というのもじつは私もそのときその揚げ菓子を購入したからだ。
それをひとくち齧り、合成オピオイド史上最強と評判のナルコシックス9、通称《69》が致死量ギリギリ含有の電子大麻を一服すれば、今度こそ準備完了だ。
本番20秒前、脳味噌が半分腐りかけたアボガドみたいになって溶け出し身体全体がぷるぷる震えて粘着質の愛液が大量に溢れ出し先週から一度も履き替えていない勝負下着を濡らしてオナニーしたくなったけれども我慢する。
私は「私も!」と書かれた缶バッジを襟元につける。
その方がSNSでのいいねや拡散率が格段に上がるからだ。
いまや人種も性別も貧富の差も超えて支持を集めているのは「私も!」バッジだけだ。
つまり、みんな《69》が大好きという意味だ。
本番10秒前、大粒の汗が滴る胸の谷間が嫌でも覗くようシャツの釦を外していると、突然、武装集団化した不法移民によると思われる人間汚物爆弾が次々と発射される音や、錐揉み旋回しながら急降下するヘリのローター音、乱れ飛ぶ銃声、AIの自動音声による阿鼻叫喚が交錯しながら私の最も敏感な部分に突っ込んでくる。
おまんこが裂けたかと思うようなぶっとい爆発音、地響き、衝撃、絶頂。
レアメタルの結晶で出来た貝殻のヘッドフォンと私の聴覚を司るすべての器官が結合し、こことは雲泥の差の、清潔で退屈でいつもジャスミンの香りが漂う地球の裏側のスタジオから育休ボケで深く刻まれたほうれい線が大陰唇そっくりで卑猥な女子穴がまるで幼稚園児を相手にしているみたいに甘ったるい声で呼びかけてくるのがイヤモニを通して微かに伝わってくる。
「気象予報士の○漏さ〜ん、サグく〜ん、そちらのお天気は如何ですかぁ?」
私は強毒化された未知のウィルスが私の数の子天井みたいに過密状態で危険な空気を勃起した乳首の胸いっぱいに吸い込むと、痺れゆく意識の海に沈み込みながら、こうレポートする。
「はい、こちらは先程まで快晴でしたが今は血の雨が土砂降りといった状態です、カラの薬莢や防弾ガラスの破片や人体の一部が降り注ぐ時間帯もあります、そしてたった今、とても大きくて鋭く尖った金属の破片が私めがけて突っ込んできました…ねぇサグくん…私ちょっと下半身の感覚が異常なんだけど…大丈夫かなぁ?」
するとサグが、私を無視して首を左右に振るみたいに私の手首を勝手に動かしこう言うのが聞こえた気がするけれど、それが現実かどうか判断する能力が私にはもうない。
「いやまぁ大丈夫だろ、お前の臍から下は見事に切断されまるで煮込みハンバーグのゲロみたいな血の海に子宮や卵巣や胎盤が浸かっているけれど、それに直腸が破れて中の未消化物が飛び出し綺麗な顔からはとても想像できないくらい酷い悪臭で俺も吐きそうだけれどさ、お前ちょっとは気持ち良かったりするか?」
そう…私は微かにうなづいたはずだ。
少しずつ死に包まれてゆくこの感覚は、確かに気持ちがいい。
ありとあらゆる悩み事、心の痛み、身体の痛み、それはつまり、欲望だ。
私は欲望の塊である自己から解放されてゆく。
もう右脳と煩悩の間にかかる虹も見えないし、左脳と官能の間に立ち塞がる壁も見えない。
装甲仕様のSUV車が千切れ飛んだ私の大腿骨を粉々に踏み潰す音も蜂の巣にされた小児病棟が崩落して瓦礫の山の一部と化す音も聞こえなし、口の中に溜まった血の味もしない。
もうイボ痔の痒みも腋臭も気にならない。
最後に目を合わせた相手が我が最愛の戦友サグで良かったと思う。
サイコ猿の目で最高に幸せだったと思う。
走馬灯のように思い出すことなんてない。
死が怖くなくなれば、壁は乗り越えることが出来る。
夢に生きるな今に死ね。
#虫けら艦隊 #再起動 #エピローグ #完