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LAST EP Goo GN

LAST EP Goo GN
2010年9月11日(金)
「じゃあね」と妻、ではなく元妻が、地下鉄の改札口から吐き出される乗客たちの流れに半ば飲み込まれてゆきながら、少し硬った声で言う。
俺は目も合わせず無言でうなづくと、もう背を向けて、二度と振り返らないという強い信念だけを頼りに足早に歩き出す。
ガードレールもない歩道のすぐ脇を、唸りをあげて走り過ぎてゆく産業廃棄物を満載した大型トラックが巻きあげるガス臭い熱風に煽られながら、街灯もない夜道を黙々と進む。
分厚い雲に覆われどんよりと重く沈んだ空よりも、巨大な虚無感がある。
と同時に鎖を解かれた飼い犬のような開放感が、野蛮なほど力強く、胸中に渦巻いている。
段ボール越しに天井を見上げ、これで孤独死確定だな、とひとりほくそ笑んで寝る。
2010年12月11日(金)
窓の外がまだどす黒い夜明け前にはもう起きている。
手早く着替えを済ませ、俺が引越してきた時から朽ち果てもせず残っている蝉の死骸を避けながら、汚い階段を駆け足で降りる。
吹き溜まりにゲロまみれで半ケツ尿失禁女が酔い潰れているのも決して珍しくない、ある程度昇天街を抜け、遮断機が折れ雑草に覆われた踏み切りを跨ぎ超え、毎朝のパート仕事のため物流倉庫へと歩いて向かう。
全身の筋肉を使って最大30kgの荷物をひたすら積み下ろしする作業は、極めて気分爽快だ。
終わればロードワークの始まりで、1時間前後の距離を走って帰る。
軽くシャワーを浴び、物干し竿越しに、見渡す限り木造家屋の低層住宅ばかりが密集しており犬のうんこに雲霞の如くコバエが群がるQRコードみたいにごちゃごちゃ入り組んだ町並みの何処かで今朝もまた、中国人夫婦が飽きもせず激しく罵り合う声を遠くに聞きながら、汗をたっぷりと吸った減量着を洗濯し終えると、室内に戻り、窓際でキャンバスに向かい、1969年8月11日(金)妊娠中のハリウッド女優を惨殺した、人殺しの女の肖像画を完成させる。
2011年3月11日(金)
午後、ヘッドギアや14オンスのグローブや減量着の上下や燃焼系飲料などで結構な重さになっているスポーツバッグを肩に掛け、小さな橋を渡っていると、突然コンクリートの地面が柔らかい物質へと変化したみたいに波打ち始めた感覚が一瞬あって、足元を取られ、バランスを崩した俺は、咄嗟に橋の欄干に掴まった。
見ると眼下を流れる普段は至って穏やかな用水路が突如として荒れ狂ってしまい大きな波しぶきをあげて、遊歩道を水没させ、その少し離れた所では、総トタン板仕立ての古い廃工場が、そのまま崩れ落ちてしまうのではないかと不安になるくらい恐ろしい振動音を建物全体で悲鳴のようにあげ、その内部では、金属の部品や鉄屑みたいなものが次々と落下して機械に激突するような音が響き渡るのが聞こえ、割れた窓ガラスが床に落下して砕け散る音がそれに加わって、破滅のハーモニーを奏で、気がつくとその手の音は、俺の周囲の至る所で始まっている。
殆ど本能的に携帯電話を手に取り見ると、元妻からメールが届いている。
『無事?』
じつはこの2文字こそが、俺を永遠に救ってくれたのだ。
たとえ別々の人生を歩き始めたとしても、まだ俺の安否を気遣ってくれている、それを教えてくれたのが、この2文字だったからだ。
しかしこの時の俺はただ、呑気に練習に行くところだと返しただけで、すると間髪入れずに着信があり、出ると切迫感のある指示が飛んだ
「練習ってあんた、地下鉄止まってるよ、今すぐ上からものが落ちてこない場所へと避難して!」
余震が続く中、俺は逃げることもせず、赤から黄色へと点滅を繰り返す信号機を無視し、十字路のど真ん中に立ち、じっと耳を澄ます。
「お前は負けたんだ」と墓石の下で腐りかけの父親が、まだしつこく言っている。
「薬物依存症歴のある患者は嘘をつきますからね、あなたも嘘つきでしょ」とNO神経なイカ、学会理事長で高級ブランドLSメスのスカーフを小粋に巻いた医師が、そう事もなげに言う。
「あんたは天才だから、絶対に逃がさない」
悪魔がメゾソプラノの女の声で言う。
悪魔は血で目が真っ赤に染まっており、自在に伸縮する長い舌と思わずむしゃぶりつきたくなるような三つの乳房を備え、もちろんヴァギナには脈打つ心臓でも金玉でもみじん切りにできる切れ味抜群の歯がずらりと並んでいて、尻尾の先には特大サイズの亀頭がついている。
そんなもので契りを結ばれては堪らない。
俺は振り向きざまGooを振るう。
当たった感触は何も残らなかったが、足元を見ると、理屈抜きでいい形をした尻の女がまるで壊れた球体関節人形みたいにぐにゃりと四肢を折り曲げ横たわっている。
思わず吐き気を覚え、冷たく嫌な汗が、どっと噴き出し背中を伝い落ちてくるのがわかる。
俺は見知らぬ酒場の扉を開けて、電飾看板が落下して火花を散らし、ガラスの破片が土砂降りの如く降り注ぐ中、絶対に後ろを振り返らないという強い信念だけを頼りに足早に歩き出す。
炎に照らされて、斜めに傾いだ地面に浮かび上がる自分の影に怯え、一旦バックステップを踏むが、再び前へ出て、左拳を鋭く突き刺す。
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