見出し画像

Noteという「憂いの篩」

久しぶりに見たくなって、Netflixで『ハリー・ポッター』シリーズを鑑賞している。その第4作『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』の中で「憂いの篩」という魔法道具が登場する。ダンブルドア先生は、

頭の中がいっぱいになった者が、一度見たものを見直せるのじゃ

とハリーに説明する。腰高の水がめのようなものに液体が張られていて、ダンブルドア先生は、自身の記憶を杖で引っ張り出し、その中にためている。そして、その中に入り込むことで、過去の記憶をさかのぼることができるのだ。実際、ハリーも同シリーズの中で何度もこの「憂いの篩」を駆使して難題を解決している。

こんなシーンあったなぁと懐かしく思いながら、ふと、僕が続けているNoteもこれに近いのでは?と感じた。

過去の記事にも書いたかもしれないが、僕にとってNoteは、どこかハードディスクのような側面を持つ。日々抱えているモヤモヤを放っておくとパンクするので(実際一度パンクした)、それに名前を付けてあげてきれいに整理整頓する。人様が楽しめる文章にする以上、一定の創作的な作業もしているが、書けば書くほど、その積み重ねが自身を救っていることも事実だ。

ダンブルドア校長のセリフに促されるように、過去の記事を読み返してみた。できるだけ昔のものから。今とは違うマインドで物事をとらえていたり、いまならこう書くのになぁと反省したりする中で、過去の自分に気づかされることもあった。あのとき感じていた大切な何かを、いまは忘れてしまっていたり、逆にいま大切に感じていることのカケラのようなものを、過去の自分が見つけていたりもした。

特に最近は、毎日のネタ探しに苦労して単発の記事を打ち続けている気分だったが、案外それらはつながっているのかもしれない。こうして書き続けている以上、その積み重ねがひとつの大きな作品に育っているのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!

虫かご
応援していただけると、とてつもなく励みになります。頂いたチップで今日の晩ご飯が少し豪華になります。