子に良からぬことが起きると自分を責めがちな私だけど、きっとたまたまだった
こんにちは、むしゃ子です。
私は、自分のような障がい児ママが
自分と子を受け入れて、
笑顔で子育てできるように活動しています。
前回は、私がむしゃ美の股関節を脱臼させてしまったと思い込み、涙が止まらなかったことを書きました。
その時の私を振り返ってみると
私って、子に良からぬことが起きると
自分を責めがちだな〜と感じましたが
そこまで自分を責める必要はないのではないか、
きっとたまたまだったのではないか
と、今なら思います。
では、どうぞ。
私は子に良からぬことが起きると自分を責めてしまい、自分のことを認められなくなる
母親になってみて思ったこと。
それは、
「子どもに何か良からぬことが起きると、私はいつも自分のことを責めがちだ」ということ。
子どものことが大切で大切で仕方がない。
そして、自分が親だからこそ、
「しっかり育てなきゃ」と、
自然と責任感が強くなる。
加えて、私の性格は、
真面目で人一倍責任感が強いものだから
子どもに何かあれば、直ぐに
「私のせいではないか」と自分を責める傾向にある。
だから、前回の記事より
むしゃ美が「脱臼したかも」と思った瞬間に
いろいろな言葉が頭の中に溢れてきた。
「どうしたら良かったのか?」
「私の何がいけなかったのか?」
「自分がいけなかったこと、ダメだったこと」
いろいろ深く考えがち。
そして、その結果
自分の全てを否定してしまう傾向にある。
そうなると、自分のことを1人の人間として
認められなくなる。
そこまで自分の全てを否定するほど、自分を責める必要はないのでは無いか?
良からぬことが起きてしまうと、すぐに自分を責めてしまうのだけれど
それは意外と「結果論に過ぎないな」
と思う時が山程あることに気づく。
前回の記事より、
すぐに私は「自分のせいで」と思っていたけれど
今、同じことをむしゃ美にしたとき、
同じことは起こらない。
たまたま、
むしゃ美が寝起きでぼーっとしていて、
たまたま、
抱き上げられたときに右足に力を入れていなくて
たまたま、
私がそのような抱っこをしたもんだから
股関節に負担がかかり、
急激に靭帯か筋肉が伸ばされて
激痛が走ったのではないかなと
今なら思う。
全ては、たまたま。
誰のせいでもない。
(その時は、涙が止まらなかったけどね)
もちろん反省はするのだけれど
「次は気をつけよう!」という前向きな気持ちでいたらいいと思った。
むしゃ美はきっとたまたま病気を持って生まれてきた
この考え方は
さまざまな場面でも当てはまると思う。
むしゃ美が病気を抱えて産まれて
将来歩けないかもしれないと言われた時に
あの時も私は「私のせいで」って思ったけれど
今は、「きっと、たまたまだった」
と、私は考える。
だって、「ではどうしたら良かったのか?」
の答えが見つからない。
あまり自分を責めるといつまでも惨めな思いのまま生きていくことになるから
それは避けたい。
それよりも、今、
私の子どもとして、産まれてきてくれたことに
感謝して。
大切に大切に育てるのみかなと思う。
今回はここまで!
最後まで読んでくださってありがとうございます!