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園芸菌類学入門

毎日、書く。
構想もなく書く。
雲のように、浮かんでは消える頭の中の何かを言語化する
行雲流水
浮かぶことをただ浮かべていきたいと思う。

「園芸植物」
たとえばチューリップ
たとえばペチュニア
いろんな種があり、
世界中で品種改良や探索によっておびただしい数の「園芸植物」がある。
それは植物が人類にとって親しみやすく、人目につきやすい形で存在していたがために、昔から研究対象としてよく研究されていたからではないかと思う。
要するに
「きのうそこにいた植物」が明日いなくなるということがない、ということが
研究のしやすさにつながる。

おそらく人類の植物界の探究は
「食用の植物」から始まり、
「薬用の植物」に移り
樹木は
「素材としての植物」として探究が同時に進み
その後、
「見て楽しむというジャンル」=「園芸植物」ができたんじゃないかと。

では一方で
菌類と人類のお付き合いはいまどのあたりでしょうか。

菌類は目に見えないものが大半であり
顕微鏡が世に発明されるまでマジで謎の存在でした。
目に見える大きな子実体(キノコ)をつくる種であっても
その存在は神出鬼没。
ある程度どこどこの林に何が出るのか、予想がつくけれど、植物にはほど遠い。
よって研究は植物に比べ遅れをとり
しかし同じ道を辿っていると思われ
「食用のキノコ」からはじまり、
「薬用のキノコ」へと深化し、
最近では素材としてのキノコが探求され、
マイコ・レザー(キノコの菌糸でできた革のような素材)や
マイコ・コンクリートといった建材になるような強度の強固な、そしてリサイクル可能な素材としての菌類の探究が始まっている。
しかし
「見て楽しむ」という園芸の領域にはまだほとんど達していないと思う。
実際のところ
観て楽しむ菌類として売られている菌類は
私の知るかぎり「光るキノコ」として有名な「ヤコウタケ」だけ。

見て楽しむというジャンルは菌類においてはまだ未開と言える領域だと考えることができる。

「鑑賞価値」という言葉が園芸植物では頻繁につかわれる
鑑賞に値する価値という、かなり人間中心な価値観なのだけれども
花の色や花弁の形、葉の形や色、斑入りなど
いろんな植物の特徴を微に入り細に入り見て見分けて感じ取るその感性はまさにアート。芸術鑑賞なんじゃないかと思うのですが。

菌類は「鑑賞価値」が「ない」から園芸化が進まなかったのか?
これは断固としてNOといえる
古今東西、キノコはいろんな絵に残されている
写真もたくさん撮られている
インスタを開けば、キノコの魅力をバチバチに伝えようとする写真は溢れている
それは日本だけか?
No、むしろ世界中で。
熱狂はむしろ日本以外で起きているように思う。
「鑑賞価値」は大いにある。それがキノコ。と妄信しちゃえるのでございます。

「菌類」を美しいという理由だけで栽培すること
「菌類」を愛でること
「菌類」を日常的にケアし、身近な存在とすること。

キノコの発生によって季節を感じ(サクラで春を感じるように)
キノコの爆発的な発生に生命力を感じ(サクラの花が咲くような勢い)
キノコが自然界で果たす還元力(古きものを分解し、新しきものの活力とす)に感銘を受ける。
それを日常に取り入れることができる。

だから園芸としての菌類には大きなポテンシャルがある

世界中のどんな地域でもその栽培ができるような装置を
みんながDIYでつくれるような世界にしたい

たとえば水槽があって
温度
湿度
気温の変化
光環境
CO2濃度など
栽培に必要なパラメーターを制御するためのセンサーや機械を
ArduinoみたいなオープンソースなやつでDIYできるような感じにして(詳しくないので妄想)
自生地の環境データとかをネットでシェアしてみて
それを世界中で再現する

たとえば鳥取県の「大山」バイオームをドバイの高層ビルの中の水槽に再現するような世界。

独占しないでシェアする
市場を大きくして泳ぐ
そんな世界の中で
私はきっと世界中を飛んでまわって
「美しいキノコ」に感動し
「美しいキノコ」をつかまえて
みんなにシェアする
そんなファンキージジイになっていることだろう。

そんな活動を始めた。
もう9種の野生キノコから菌株を得た
狙っていた「美しいキノコ」も3つほど手に入れて
いまシャーレで生育している

そう
Mushroom Hunterとして
私はすでにじわじわ活動し
これからぐんぐんいきますので
おもしろい!と思った方はいっしょにやりましょう!


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