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インターンプログラム【26】~ミュージアムと「変化する構成因子」
この回では、ミュージアムの「利用構造」の変位のきっかけとなる、「ミュージアムの構成因子」の変化を、1970年と2020年に着目して考えます。(2022.3.24)
🌕〈S〉
インターンプログラムも残り2回となりました。
今回のテーマは、
ミュージアムと「変化する構成因子」
です。
🌑〈AC〉
「変化する構成因子」の前に、
ミュージアムの「問題の所在」についてお話しします。
下の4象限(時間×空間)の【図】で考えましょう。
生きている私たちが、
「利用してよかった」と思うのは、
右上「その場所、その時だけ」の
仮設のプログラムでのことです。
別の言い方をすると、
ある空間が「生き生きとしている」と感じるのは、「その場所、その時だけ」の領域にあるからだとも言えます。
プログラムが「仮設」(期間が決まっている)であるからこそ、次の新しいプログラムの出現を必然とするからです。
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音楽、ダンス、演劇、スポーツなどのライブプログラムはもちろんですが、
空間-時間の限定された「展覧会」形式のプログラムも同じ領域だと言えます。
この右上の領域では、
「プログラムとしての質」こそが問題となります。
美術館関係の方は「当たり前」と感じるかと思いますが、美術館以外のミュージアムでは「当たり前」ではないのです。
🌕〈S〉
美術館は、展覧会形式の「美術展」の連続したものと考えると、映画館とよく似ていますよね。
プログラムによって利用の度合いが大きく異なります。
🌑〈AC〉
美術館以外のミュージアムでは、
利用者数で言うと、
新規開館の年をピークに、
2年目から急落、
4~5年目から底値で安定
というのがよくあるパターンです。
こうなるのには共通した「理由」があります。
上の4象限(時間×空間)の図で言うと、
右下「いつでもずっと同じ」の
常設展示が問題の根っ子になっています。
「同じものに二度は来ない」ですし、
ずっとあるなら「いま行く」必要もありません。
常設展示は、「その内容ではなく、その形式が問題」なのです。
形式の問題だからこそ、「頑張っても解決できない(来館は増えない)」のです。
🌕〈S〉
ミュージアムはなぜ、
そのような「常設展示」に依存しているのでしょうか?
🌑〈AC〉
その理由こそが、
ミュージアムと「変化する構成因子」
の中にあるわけです。
🌕〈S〉
なるほど。
それでは、
ミュージアムの「構成因子」とは何のことなんですか?
🌑〈AC〉
「創造とは組み合わせ」であることを踏まえると、
ミュージアムも「何かの組み合わせ」により構成されているはずです。
この「何か」を「構成因子」と呼んでいます。
🌕〈S〉
その構成因子が、どのように変化してきたのですか?
🌑〈AC〉
日本の博物館学が体系化されたと言われる
「博物館学講座」(1979-80年、雄山閣)
の出版当時の構成因子は下図【A】のようにシンプルな構成でした。
収集保存→調査研究→展示公開→教育普及
が直列につながり、すべてが学芸員の役割として設定されました。
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ですが、
1970年の「展示技術の成立」によって、この構成に変化が起こります。
🌕〈S〉
なぜ、1970年に「展示技術」が成立したのですか?
🌑〈AC〉
1970年、日本初の国際博覧会として、
大阪万博EXPO'70(日本万国博覧会)が開催されました。
何十ものパビリオンが立ち並ぶ、仮設の巨大テーマパークと言えばイメージできるでしょうか。
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↑大阪万博EXPO'70会場風景(1970年)
このパビリオンの中身は、大型の展示空間でした。
日本では見たこともないような大型展示空間を何十館も、しかも同時に開設するには、さまざまな力を総結集することが必要でした。
展示するための要素が様々に組み合わされ、その「組み合わせ思考」そのものが「展示技術」として成立したと言えます。
ミュージアムでも、
それまで主流であった
「展示ケースや展示台に列品する手法」
から
「展示を空間として形成する手法」
に変化していくことになります。
🌕〈S〉
「展示技術」は単なるハードの技術ではなくて、ソフトの技術が中心にある”思考技術”だったんですね!
🌑〈AC〉
大阪府吹田市の大阪万博跡地には、
「国立民族学博物館(みんぱく)」が、7年後の1977年に開館しています。
”みんぱく”の「常設展示」に大阪万博の「展示技術」が応用され、
「展示技術」は、この”みんぱく”から全国に波及していきました。
ミュージアムの構成因子としては、
下図【B】のように「展示技術」が「展示公開」空間の質を大きく変え、必然的に「学芸員と展示との関係性」も変化していきました。
高度化した「展示技術」は展示会社のクリエイターが保持していたからです。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74939916/picture_pc_93707093972850a2d1bf6a3eb443173b.png?width=1200)
大阪万博で成立した「展示技術」は、
「その場所、その時だけ」の「仮設」であることをチカラにしたものでしたが、
「常設展示」という名のもとに「仮設のチカラ」は時間の経過とともに急速に色褪せていったと言えます。
「みんぱく」の展示が初の全面リニューアルされたのは、開館40年後の2017年のことでした。
🌕〈S〉
常設展示の問題が「形式の問題」であるなら、「形式の変化」が起こる必要があるように思いますが。
🌑〈AC〉
旭山動物園の
「形態展示」(=動物の姿形を見せる形式)
から
「行動展示」(=行動や生活を見せる形式)
への変化も、
ある意味の「形式の変化」ですが、
いまでは、多くの動物園が追随しています。
このことは、
誰か(旭山動物園)がやれば理解できても、
自分では発想できない場合がほとんどであることを示しています。
つまり、
「常設展示」という形式に、何も問題を感じていないことの方が多いということです。
ですが、
「構成因子の変化」が起これば、話は別です。
それは2020年の春に起こりました。
🌕〈S〉
2020年、「不要不急な外出」を控えることとなり、
ミュージアムは「不要不急」な外出先とされて、いち早く閉館することになりましたね。
🌑〈AC〉
少なくとも「常設展示」には、
「いま行かなければならない」理由はないということがハッキリしてしまったわけです。
ミュージアムだけではないのですが、
「利用者との関係」に変化が起こるのが必然となったとも言えます。
下図【C】のように、
利用者のポジションが意識され、
「構成因子の変化」が起こることで、
さまざまな分野で、
「利用構造の変位」が起こりました。
デリバリーやリモートなどが代表的なものです。
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🌕〈S〉
図【C】の展示技術の右上にある【!】は何ですか?
🌑〈AC〉
ミュージアムの「利用構造の変位」には、「何かの新しい組み合わせ」が必要になると考えます。
それが【!】です。
🌕〈S〉
もしかしたら、
【!】を具体的に考えていくのが、
noteサークルで6月スタート予定の
「利用論でミュージアム!」
なんですね!?
🌑〈AC〉
それでは、
次回はインターンプログラム「最終回」。
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