インターンプログラム【20】~「知的生産の技術」とミュージアム~
この回では、1969年刊行の岩波新書「知的生産の技術」のテーマ「よみ、かき、かんがえる」と、その後の「ミュージアムシーン」との関係について考えます。(2022.2.10)
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今日のテーマは、
「知的生産の技術」とミュージアム
です。
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現在ある多くのミュージアムが、民博(国立民族学博物館)を起点とした流れの中にあり、民博は大阪万博(EXPO'70)を契機に成立した「展示技術」を前提に構築されています。
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現在、見られるミュージアムスタイルの多くは、1970年代に確立したものだ、ということですね。
「案内人のブログ#1ミュージアムはいきているか?」
に書いてありました。
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ですが、
この話にはもうひとつ前があります。
大阪万博(EXPO'70)の前年、1969年に発行された「知的生産の技術」(岩波新書)です。当時のベストセラーであり、現在まで改訂されることなくロングセラーとなっている本です。
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この本の著者は梅棹忠夫です。
生態学から民族学(文化人類学)に活動を拡げた人ですが、民博(国立民族学博物館)の初代館長として、現在の博物館展示スタイルを生み出す「プロデューサー」の役割を果たした人でもあります。
「知的生産の技術」の冒頭に、
『この本で書こうとしていることは、
いかによみ、いかにかき、いかにかんがえるか、というようなこと』
だと梅棹さんは書いています。
「知的生産」という言葉自体が、これ以前はなかったわけですが、
手に入りやすい一冊の「新書本」を通して、多くの中高生が触発され、知的生産的な生き方を模索していくようになります。現在60代後半の人たちがこれに当たります。
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「知的生産の技術」→「大阪万博」→「民博」という流れが、
現在のミュージアムスタイルの「起点」になっていたんですね。
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1969年当時、スマホはもちろんのこと、パソコンも日本語ワープロも存在していなかったわけですが、「知的生産の技術」には、日本語ワープロが登場しなければならない理由が書かれています。
※東芝が初の日本語ワードプロセッサを発表したのが1978年(昭和53年)。価格は630万円。
1985年頃にようやく、日本語ワープロ専用機が一般の人の手に届くようになりますが、最初に使いこなしたのは「知的生産の技術」世代の人たちでした。
この人たちは共通して、日本語ワープロを「書く道具」というよりも「考えるための道具」として使うようになっていきました。
「知的生産の技術」を意識する中で「読むこと、書くこと、考えること」の3つが、本質において一つのことだと理解していたからかもしれません。
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「書いて→考える」
ということですね。
🌑〈AC〉
さて、
ミュージアムの展示空間で時間を過ごす時、「読む」「書く」「考える」がどのようになっているかを意識してみると、気がつくことがあります。
「書く」という行為がほとんど登場していないことです。
🌕〈S〉
「書いていない」ということは、
「考えていない」のかもしれませんね?
🌑〈AC〉
『いかによみ、いかにかき、いかにかんがえるか』の技術は、すでに、利用者自身が十分に持ち合わせているはずですが……。
つづきは、また次回。
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