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1才10ヶ月&7才と行く国立西洋美術館にぎやかサタデー

子どもと博物館・ミュージアムへ出かけては、その記録を書き溜めているnoteです。2024年8月3日に開催された、上野にある国立西洋美術館の「にぎやかサタデー」に、子2名+父と母の4名で初参加してきました。

※記事中の一人称は母、子はそれぞれ、7才・1才と表記します


”みんなでアートを楽しもう!おしゃべりOK!にぎやかサタデー”

これが正式なイベントタイトル。
子ども向けというものではなく、”みんな”であるところが、他の美術館・博物館がやっている夏のイベントとはちょっと違う。
しかもその”みんな”が、常設展だけでなく企画展にも無料で入れてしまう特別な日。子どもにだけ渡されることの多い鑑賞ツールも、みんながもらえる。

”おしゃべりOK!”さらに”にぎやか”と、騒々しい感じの言葉がダブルでタイトルに入っているが、実際どうだったのか、というと…。

感想:全く、にぎやかじゃない!!

常日頃子どもと暮らしている母からすると、にぎやかサタデーの西洋美術館は、全く、にぎやかではなかった。

一番にぎやかに思えたのは、入口で展示会場の場所を告げるスタッフの声。美術館内でこんなに声出していいんだ!と新鮮な気分を味わえた。でも、それくらい。

たしかに、展示室では乳児・幼児の泣く声を何回か聞いた。でも、やっぱりそれくらい。

おしゃべりしながら美術品を鑑賞している人々はいたけれど、にぎやかと呼べる程のおしゃべりは聞こえてこなかった。

きっと、そう思うのは、未就学児との騒がしい日常に慣れきっているせいなのかもしれない。きっと、期待値が一般と違うのだ。
子どもでにぎわう水族館とか科学系の博物館とか、さらには週末のショッピングモールとかの、本当ににぎやかな場所に行った時の記憶が強いから、「これがにぎやか??」となってしまうのだろう。

そして、そう思う程には、母はこういった美術館から遠ざかってしまっていたということだろう。

目にはにぎやかだった、かもしれない

常設展の展示室内のメンバー構成は、普段とは明らかに違っていた(と思う。国立西洋美術館の普段をちゃんと知っているわけではない)。

ベビーカーや抱きかかえられた赤ちゃんの姿は、想像よりも多かった。そして想像通り、小学生ぐらいの年代の子を連れた家族はたくさんいた。

「この作品をさがしに行こう!」と誘うポストカードを入口で配っていたので、常設展内はそれを持って歩く人も多かった。小学生ぐらいの年代の子は全員手に持っていたような気がするし、持っている大人も少しいた。

こんな感じに絵の一部が切り取られてポストカードになっていた
(この絵は母が高校生の頃に描いた下手な油彩画の一部です。国立西洋美術館とは関係ありません)

そして、発見した作品の前でポストカードを掲げ、イェーイ!と記念写真を撮る家族も見かけた。美術館内で作品の写真を撮ることにも、母はまだ慣れないのに、大胆で素晴らしい。
気に入った絵を静かに写真に収める大人もいれば、同様の子どももいた。同じことをしているのに子どもの方が目に留まるのはなぜだろう。なにかやらかしそうな気がするからだろうか。

親の制止も聞こえぬふりで、親の周りをぐるぐる回ったり、つないだ手をふりほどいてテクテク進んでいったりする自由な幼児もいた。うちの1才だ。おしゃべりはOKでも、はしゃいでいいというわけではないので、父とともにキッズスペースへ退避してもらった。この時、この行動を咎める声も嫌悪感を示す視線も感じなかった。それはなんというか、無関心によるものではなく、包摂的な空気が感じられたような気がした。
ああ、飽きて動きはじめた1才がソファに座ろうとよじよじしていた時に、横に座っていたご家族にぶつからないようにフォローしていたら「かわいいわねぇ、動きたいのよねぇ」と声をかけてもらったが、そうだ、あれは展示室の中だった。

同行者と軽くしゃべりながら作品の前を通り過ぎていく人もいた。無料だから来たのかなという雰囲気。そんなライトな鑑賞者がいるのもまた、いいなと思った。

そうそう、無料だから混むのではないかと心配したが、ベビーカーを押していても絵の前に出られる程度の余裕があった(午前中の常設展の様子)。

そもそも美術館はおしゃべりOKなはずなのだ

走り回って作品の安全を損ねるのはよくないけれど、科学系の博物館と同じくらいに美術館も、この日ぐらいカジュアルに楽しむのが普通になってもいいんじゃないかと、母としては思う。

子どもは子どもらしく鑑賞し、大人もかしこまって静かに鑑賞すべしといった規範意識なくのびのびと美術館にいられたら。もっと美術館が日常的なものとしてあったら、もっと日常がひらけるんじゃないか。(ああ、閉塞しがちな母親業を営む我々にこそ、ひらけた日常が必要だ)

母のらくがきに7才が彩色したカジュアルな絵
(国立西洋美術館とは関係ありません)

有名作品の並ぶめちゃ混みの企画展を、紳士淑女的な態度で鑑賞する非日常もまあ嫌いではない。それはそれとして、でも、この日のこれぐらいの、”にぎやか”さ…いや、”ざわざわ”感が耳にも目にもあるぐらいの方が、自然体でいられて居心地がよかった。

どんな時も静かで厳格な雰囲気の中で鑑賞したい人も、きっといるだろう。規範がどうこうではなく、あの空気の中に身を置くのが好きだという人も。そういう人は今のところ、平常運用の日を選べばいい。
だが、もっとにぎやかに鑑賞したい人もいるだろう。そんな人は、にぎやかサタデーですらこの程度なのか、と怖気づいてしまわないかと心配になった。気にせずにぎやかにしてしまえばいいのかもしれないけれど。

ちなみに、この日「クワイエットルーム」が事前予約制で用意されていた。当日出ていた看板では、全て予約済みと書かれていた。

1才は常設展をおりこうさんに楽しみ、7才はツールに夢中

最後に、子どもたちの様子を少しずつ。

前述のぐるぐる&フリー歩行は、昼食後の1才で、午前中の1才は常設展の多くをベビーカーに乗ったままで、おりこうさんについてきてくれていた。

赤ちゃんが描かれているのを見つけて指差して何か言ったり、母が「ポッポーだよ」(日本語訳:鳥が描かれていますよ)と告げると、絵を見て「ポッポー」(日本語訳:そうですね、これは鳥ですね)と返したりしていた。けどまあ、ほとんどの時間は周りにいるお客さんの人間観察をしていて、母としてはそれで静かに楽しんでいてくれるならそれでよし、という感じだった。

7才は、「びじゅチューン!」(Eテレの美術系音楽番組とでもいいましょうか)のお陰で、母以上に西洋絵画を見ていられるように育っていた!
全部見たい、と言って、母が適当にはしょって行こうとすることに抵抗していた。それでもやっぱり量が多いので、母は導線がわかりにくいのを利用して少しずつはしょってしまった。すまぬ、1才のタイムリミットが短いのだ。

入口でもらったツール3つのうち、常設展の絵探しと、企画展の絵探しビンゴを熱心にやっていた。(やらなかったのは企画展のワークブック。鉛筆も持ってないし考えるムードではなかったらしい。)

それが、とても時間がかかった上に見つけきれなかった。
こういうツールは、サクッと見つけてハイ終わり!感が強いけれど、そこそこ混雑している時に数ある中で一つだけを探すとか、対象物が小さいと(ビンゴの絵は、実物も切手程の大きさだった)、難度が上がることがわかった。茨城県自然博物館で同様のものをやった時(6才)は、サクッとビンゴしか見ていなかったが、この違いはモチベーションの差か、1年分の成長か。

ポストカード片手に「どこだー?」と言いながら歩いていたら、場内に立っていたスタッフ(たくさんいた。ボランティアさん?)が話しかけてくれて、「探し中なのねー、がんばって」とか「それはだいぶ前の方だったねー」などヒントをくれたり優しく接してくれたのも7才の美術館体験としてよい記憶になっているといいなと思う。

これはカボチャの写真を無料サイトで水彩画加工したもの
(もちろん国立西洋美術館と一切関係ありません)

幼児&小学生ペアと美術館に行く難しさ

やっぱり、1才と7才と一緒に美術館を楽しむのは難しい。

7才は、「びじゅチューン!」やその他様々な人や物のお陰で、かなり大人と同じペース、時に大人よりスローペースで美術館を見て回れるように成長していた。
しかし、母が「なんでこの絵はこんなに黒いんだろう?」とか「え?この絵、小鳥にエサやってるよ!」とか好き勝手言う言葉への反応は薄い。まあ、これにつきあってくれるようになったらいいな、というのは母のエゴであろう。先を急かさず自分なりに楽しんでくれていれば、充分一緒に美術館に行く仲間になれる。

一方、1才はまだまだ生きるペースが大人とは違う。何回か一緒に美術館を回ってきて、これまで敬遠しがちだった「託児サービス」が腹落ちしてきた。大人は美術館をじっくり楽しみ、幼い子は託児サービス先で遊んで楽しむのが、win-winの最適解なのかもしれない、と。

ただ、託児サービス先で楽しめるかどうかは子によって大きく違うから、これが絶対の最適解になれないのが難しいところだとも書き添えておく。そして、そう腹落ちしながらも、これからも現地の託児サービスは使わないだろう。どうしても心理的・経済的なハードルを高く感じてしまうのだ。これは個人的な性格の問題。

なので、これからも引き続き、父やその他の方法を動員して7才と1才、その後の成長した子らを連れて美術館を訪れるであろう。

その変遷を、またここに綴っていきたいと思う。


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