これ前にもどこかで読んだことがある?
本を読んでいると、これどこかに同じようなことが書いてあった?
と思うことがしばしばある。
運よく前に読んだ本の書かれている場所まで探し当てられたらいいけど、何で見たか見当もつかないというときもある。
同じことが書かれていた本を見つけた時はラッキーだ。
なぜなら、同じことでも著者によって違う角度から捉えられていることが多く、こんな見方もあったのかとか、こういうふうな言い回しもできるなという気づきを得られるからだ。それによって同じ物事を複数の視点から見て、立体的に把握することができるようになる。とても貴重な機会だ。
今回読んでいたのは
佐渡島庸平『一流のクリエイターは世界をどう見ているのかー観察力を高める』
その本にバイアスについて興味深い一節が書かれていた(p29-31)。
ある物事に遭遇した時、興味ないなーとかおもしろくないと感じることはないだろうか?
それは、物事を見ている人が、その物事に対する知識が貧しく、足りない知識で毎回同じ結論に達しているために起こる現象だというのだ。
知識が乏しい状態で判断しているために、おもしろくないものに見えてしまう。
あくまでも、見ている対象におもしろくない原因があるのではなく、見ている人の頭の中の貧富の問題だという点がポイントだ。
頭の中の貧富の問題とは、その物事を語るためのフレームや語彙がどれほどあるかということ。
これを読んだとき、ハッとさせられたと同時に、前にも似たような話をどこかで読んだ気がした。
今回はすぐにその前に読んだことがある本に辿り着けた。
それは、原研哉『白』。
著者はグラフィックデザイナー。
個人的に大好きな本で、繰り返し読んでいるため、すぐに在処が判明した(p75-76)。
『白』には、物事を「わかる」とはどういうことかという問いが立てられていた。
『白』に書かれていたか、同著者の他の本(原研哉『デザインのデザイン』)に書かれていたかは定かではないが、こんな例え話が書いてあった。
例えば、目の前にコップがあったとして、コップとは何かわかりますか?と尋ねられたとする。目の前には高さが1cmのコップから高さ100cmのコップまで幅広い高さのコップが置かれている。コップの直径が全て同じだとしたら、高さ1cmのコップって「皿」じゃないの?とか、100cmもあれば「花瓶」じゃないか?とか色々想像した。どこからどこまでがコップと言えるのかわからなくなる。
普段当たり前だと決めつけてスルーしていることが、途端にわからなくなる。
〜はこういうものだと思い込んでいることが、実はそうではないことに気がつく機会は貴重だ。
著者はこれを「未知化」と呼んでいる。
当たり前だと思われていることに、違う角度から光を当てて新しく捉え直す。
デザイナーや芸術家にとって、そこに「表現の本質」があると著者は言う。
1冊目の本の話に戻ると、
おもしろくないなーと思うのは、乏しい知識で物事を判断し、毎回同じ結論に達しているためだということだった。
それは毎度同じ角度から光を当て、同じ側面を繰り返し見ているからだ。
すると、すでにわかりきったことと判断して、おもしろくなくなる。
それは、コップとは何かという問いでも言えることだ。
しかし、そこには当然、別の側面もあり、色彩豊かに物事を解像できる余地は大いに残されている。
すでにわかりきっている(と思っている)ことをあえて「未知化」して、別の姿をとらえる。
おもしろくないと思うことには、「未知化」することで、異なる姿が見えるかもしれないと気づかされた。