
レトロ建築 #1〜慶應義塾大学
最近、東京のレトロ建築を見てまわるのが自分の中の流行。
今回書くのは、慶應義塾大学の三田キャンパス編。
東館
三田駅から地図を見て歩いていると、
見上げないと全体が視界に入らないほど大きな東門がそびえ立っていた。
東門の中はアーチ状のトンネルになっていて、そこをくぐると反対側からも威風堂々としつつ洒落たデザインの建築。

1858年、蘭学塾として開塾した。大政奉還が1867年だから、そこから9年前になる。東館のアーケード入口には、ラテン語で「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と書かれている。これはアメリカ独立宣言にある一文。

福沢諭吉著『学問のすすめ』は、「天は人の上に人をつくらず」とはいうけれど、実際のところ貧富の差や社会的地位の差があるのはなぜか?という問いから始まる。貧しい者が富裕な者をみると、到底埋められない差のように見えるけれど、それは元を辿ると、学問があるかどうかという差に行き着くと書いてある。だから慶應義塾で学ぼうという話につながるのだが、学問の大切さを説く名著として読み継がれている。
図書館旧館
設計:曾禰達蔵・中條精一郎
垂直のラインが強調されたゴシック様式。
文明開化後、間もない頃に日本人による建築としては一級品だそう。
青空に白と煉瓦色の色彩にゴシックの様式により、威厳と華やかな格好良さを兼ね備えている。

曾禰達蔵は文明開花の頃にイギリスから招かれたJ.コンドルに習った。コンドルが教鞭をとった工部大学校(のちの東京帝国大学)の第1期生。同期には東京駅赤レンガ駅舎を設計した辰野金吾や、迎賓館赤坂離宮を設計した片山東熊がいる。
中條精一郎は工部大学校の後身となる東京帝国大学で学び、のちに曾禰・中條建築事務所を開設する。札幌農学校にある「昆虫及蚕学教室」を設計、山形の「文翔館」にも設計顧問として携わっている。

カフェ八角塔
図書館旧館の中には歴史の展示館とカフェがある。
インスタを見ると素敵なカフェだった。↓
時間の都合で今回は中に入らなかったけど、また行ってみたい場所だ。
三田演説館
学術講演や政治演説が行われた場所。
日本最初の演説館として、国が重要文化財に指定している。
なまこ壁の和洋が融合した建築だ。
コンドルが来日する明治10年より前は、西洋建築を模して和の要素も取り入れた擬洋風建築がよく建てられた。

演説館の前にある胸像は福沢諭吉。1953年に建てられた。
壱万円札の福沢諭吉よりも少し年配に見えた。
おわりに
福沢諭吉と学問のすすめ
レトロ建築が目当てで訪れたが、創設者の福沢諭吉も大変興味深い人物だ。
福沢諭吉の学問のすすめを読むと、信じがたいほど先見の明に満ちた内容であり、水準の高さに驚かされる。それは今の時代に読んでも、十分に当てはまる内容だ。例えば、パワハラについて書かれている箇所もある。
大学の中に貴重な歴史的建築があるのはなぜか?
それを考えると、大学の位置付けが伺える。
今も東京に残されている近代の西洋建築は、東京駅、法務省など重要機関であるが、教育機関もそれに相当するほど、近代化では重要視されてきたと思える。
欧米列強の侵略から日本を守るために近代化に迫られ、近代という新たな仕組みの社会をスタートするために、西洋の学問を取り入れることが要となった。それは科学技術の面もそうだが、近代的な法律、政治、経済などの仕組みを備え、そこに生きる人々も新しい知識や物の見方を身につけないと、社会は動いていかない。そうした時代背景のもとで、学問のすすめは書かれた。
西洋学問を広めるためには、近代学校が必要になる。教育機関は、近代化をドライブする機関として、中心的な役割を担った。歴史的に貴重な建築が残されているのは、慶應だけではなく、立教、北海道大学や東京大学などにもある。優れた建築家によって設計され、巨額な予算を投入して建てられた建築は、その機関が重要視された証でもあるはずだ。
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