子どもたちのことを考える―自信と努力が失われる時

『サンドラの小さい家』という映画と『ミナリ』という映画をみた。

どちらも逆境におかれた人々が当たり前の暮らしをするために、努力をする話だ。

人以上の努力が必要で、なぜこんな努力をしなければいけないのかと現実を呪い、それでも知恵と工夫をして「暮らし」をつくっていく話だ。

どちらも同じような結末を迎えるのだけれど、それが非常に「今」っぽいなと思った。

私の敬愛するケン・ローチ監督の『家族を想うとき』はもっと現実よりだった気はするけれど。

もはやアメリカンドリームなんて映画の世界でも白々しい。
あるのは厳しい現実と、そのなかで保険料や税金を支払い、さらに弱い者のことを慮り、なんとか生活をつくっていく人の姿。

それでもなお「努力」が美徳なのかと問われると困惑してしまう。
「結果」と「過程」を分けて考えなさいというかも知れないけど、工夫する力、生き延びようとする力、現状変更をしようという力は、信じる力がないと難しいかも知れない。「この先のよりよい状況」を信じる、イマジネーションすることができないと、こういった創意工夫は生まれ得ない。

でも、他人や自然によって何度となく不信を味わうと、信じる力は失われてしまう。これでは主体的になりようがない。
(そういう状況で育った子とそうでない子の格差がひらくことが辛いなぁ)


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