第1講 教育と学習 «まとめ»
前回の授業から
前回の授業では、①学習と教育の違い ②「望ましい価値」とは ③生涯学習と社会教育についてまとめてきました。しつこいようですが、もう一度まとめておきましょう。
①学習と教育
学習・・・学ぶ者の存在により成り立つ
教育・・・教える側と教わる(学ぶ)側の存在が前提
教える側の持つ「望ましい価値(よさ)」が伴う
教わる側の自発性・自主性・主体性も必要
②「望ましい価値」
教える内容に対する教える側の考え方
例えば「生涯学習」とは何かについて、教える側のこれはいい、これはよくないという価値判断が伴います。なぜ私が、数ある博物館学のテキストから鈴木眞理『学ばないこと・学ぶことーとまれ・生涯学習の・ススメ』を選んだのかというのも、そこに私の価値観が入り込んでいるからです。
③生涯学習と社会教育
社会教育・・・社会教育機関が行っている意図的な営み
生涯学習・・・人生のさまざまな時期に人びとが学ぶことの総体
偶発的学習も含まれる
自発的に学ぶこと(強制的に勉強させられることと異なる)
それぞれ課題の本を読んで考えたこと、感じたことはあるかもしれませんが、大切なことをまとめると以上のようになるかと思います。なんとなくぼんやりと「社会教育」と「生涯学習」が違うことはわかった。だけれども、具体的に、どんな活動が「社会教育」にあたるのかと言われると困りませんか。そもそも「社会教育」とはどのような教育なのでしょうか。
①社会教育のはじまり
学校で行われるのは、学校教育。家庭で行われるものが、家庭教育。そして、社会教育機関で行われるのが社会教育だということでした。社会教育法によれば「学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(第二条)」とあります。このような学校以外の場所で青少年や成人に対して行われる組織的な教育活動は、明治時代より行われています。
しかし、盛んになっていくのは大正期になってからのことでしょう。それは、第一次世界大戦によって、農村から都市へと大規模な人口移動があったことが原因となり、成人への教育の必要性が説かれていくようになったのです。博物館学の世界では大変著名な棚橋源太郎さんという人が、博物館と社会教育について語っているところがあるので、すこし見てみましょう。
いかがでしょうか。棚橋源太郎さんは、博物館は教育を受ける機会が乏しかった人の自己教育の役に立つといっています。その当時の社会状況のなかで博物館がどのような役割を果たしうるのか、しっかりと説明されているように思えます。
②社会教育と戦争
次に、国の制度上の「社会教育」についてみていきましょう。明治以降、文部省學務局の所管する博物館や図書館での活動は、「通俗教育」と呼ばれてきました。「通俗」というのは、「学校教育ノ施設以外ニ於テ国民一般ニ対シ通俗平易ノ方法ニ依リ教育ヲ行フモノ」とありますから、誰にでもわかりやすい方法という意味でしょう。大正10年(1921)に、これを「社会教育」に名前を替え、「社会問題に正面から取り組む姿勢を打ち出した」といわれています(註1)。
この当時の「社会教育」に大きな影響を与えた人物に、小松原栄太郎さんという人物がいたことが知られています。明治41年(1908)から明治44年(1911)まで文部大臣として在任し、教育勅語の宣伝普及を政策課題としており、国民思想の健全化を中心とした訓示を行ったことで知られています。国民思想の健全化とは恐ろしい言葉がでてきました。簡単にいうと国家が「よい」と思っている考え方があり、その方向へ民衆を導くということです。(前回の授業で、「よい」方向へ導くには「個性的な存在」にしていくことも大事だと言いましたが、この時代の反省からきています)当時はこうした社会教育観もまた存在し、博物館もそうした社会教育の施設にふさわしいと考えられていました。
具体的な活動としては「生活改善運動」、そこから派生して「生活改善展覧会」といったことが行われるようになっていきます。例えば、時間管理や伝染病の予防を啓発するような展覧会が、次々と開催されていきます。これだけ聞けば、何が問題なのかわかりません。でも、こうすれば「生活改善」できますよというヒントは必要かも知れません。でも、「あなたは時間の管理ができていません、もっと朝はやくおきましょう」って、余計なお世話でしょう。社会のなかで生活していく上では時間管理ができることは確かに必要です(社会的な存在にすること)。でも、その人自身の有限な人生の時間をどのように時間について考え、どのように管理するのかは千差万別であるはずです(個性的な存在にすること)。しかし当時は「国民の能率を減退させ 国運の発展を阻害する」ような時間の使い方や生活のあり方を改善すべきものだとして「民衆を啓発」してきたわけです(註2)。
(註1)佐野 浩「生活改善運動と生活記録運動 : 地方改良運動と民力涵養運動との関わりに着目して」『地域活性化ジャーナル』24号 2018年
(註2)久保内加菜「大正期東京教育博物館における特別展覧会-専門分科化と大衆化-」『生涯学習・社会教育学研究』第20号 1996年
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/25203/files/KJ00000696163.pdf
③戦後の社会教育
さて、戦後の社会教育に話を移しましょう。みなさん知っての通り、日本は戦争に負けました。そして、昭和27年まで連合国の占領管理下に置かれることになります。教育基本法、社会教育法、そして博物館法もこの占領下で作られた法律です。しかし、昭和20年9月には文部省は「新日本建設ノ教育方針」というものを発表したと言われています。これには、連合国軍総司令部の関与はないとされており、平和国家の建設を目標として挙げている方針です。社会教育については、「成人教育、勤労者教育、家庭教育、図書館、博物館等社会教育」の振興を図りたいとしています。ここで示されている成人、勤労者への教育の必要性というのは、そのまま今の社会教育法に引き継がれていることがわかります。
戦後の復興のなかで、地域社会へのダメージは大きく、地域の住民があつまって生活課題・地域課題を学び、解決していくため、公民館が社会教育の中心施設となっていきました。社会教育法のなかに規定されている公民館、そして、すこし遅れて図書館を規定する図書館法、そして博物館法が成立します。しかし、昭和30年代に入るまで、あまり社会教育施設であるとか、成人や勤労者といった話題は博物館のなかでは登場してきません。戦争によるダメージが大きく、また経済的な支援が受けられていなかったからかも知れません。
④必要課題と要求課題
下水道が整備されたり、道路が舗装されたりして、少しずつ豊かになっていくと、みんなで解決すべき生活課題や地域課題が少なくなってきます。一致団結して、学習や勉強をしなくてもなに不自由なく暮らせるようになっていきます。そうなると「学習」や「教育」のあり方も変化していきます。例えば、カルチャーセンターや習いごとに通うなどして、自己充実のための学習が盛んになっていきます。あるいは、高度経済成長の代償ともいえる、公害や自然破壊といった課題も生まれてきますので、そうした課題解決にむかう学習や教育のあり方もあるでしょう。
例えば、自然史系の博物館で「絶滅の恐れがある生物についての啓発」や「自然環境の保護」に関する展示をしていたりします。これは、人々に問題提起をして、考えてもらうことを目的としています。このように設定された課題を、「必要課題」といいます。
それに対して、印象派などの名品名画を見たい!とか、恐竜が大好きだから見たい!という人びとの興味や関心に応える目的で設定した課題を、「要求課題」といいます。
博物館はこのどちらも大切です。「必要課題」だけで成り立っている博物館もあるでしょうし、「要求課題」に応えることをよしとしている博物館もあるでしょう。あるいはその時に応じて選択したり、両方を組み合わせたり、ということも可能です。
ただ民間がお金儲けのためにして十分に成立することを官がする必要があるだろうか、ということも同時に考えたいと思います。もちろん博物館のなかには私設のものもありますので、一概には言えませんが、人びとが納めた税金によって成り立っています。そのなかには「博物館なんてつまらないところに税金を払う価値はない」と考える人の税金も入っています。あるいは中卒や高卒で働きはじめて早くから税金を納めながら、仕事に追われて博物館に行く余裕がないという人の税金も入っているでしょう。
私は博物館に集まってくる人たちの要求課題に応えることももちろん必要だと思いますが、「戦争」や「公害」「人権問題」などの人が目を背けたくなるような課題を扱うことも必要だと考えます。また、博物館で自由に見学したり、自分で調べたりできる人に対しては「学習」が成立していると思いますが、そうではない人についても考えるべきだと思います。つまり、前回の終わりに「生涯学習の支援の一環として教育・社会教育は存在している」という一文を紹介しましたが、「博物館なんてつまらない」と思っている人や博物館での学習に時間を費やすことができない人にも、「博物館を楽しむ」方法を伝えたり、生涯にわたる「学習」にどのような意味があるのか伝えていくことも博物館の「教育」だと思うのです。