第2講 知能とはなにか 《資料読解》
《資料読解》
資料を読んだうえで、あなたは「知能」とはどのようなものだと考えるか説明してください。
(資料)鈴木忠 第4章「現実世界で獲得される知をどのように捉えるか」『生涯発達のダイナミクスー知の多様性 生き方の可塑性ー』p95-135
①「知能」ってなんだ?
「知能が高い」というと、学校の勉強ができるとか、東大生や京大生のような高学歴を持つ人たちのことだと思いませんか。あるいは生まれつきの能力で、「知能が高い」人はいいかも知れないけれど、「知能が低い」とどうしようもない、そんな風に考えたことはありませんか。また、年をとれば、どんどん知能は低下していくと聞いたことはありませんか。仮にそうだとすれば、生涯にわたって「学習」することにどのような意味を見出したらよいのでしょうか。
「知能」は、知能検査によって測ることができます。知能検査では、図形などを使って、言語能力やその社会の常識などに左右されてないようにして、頭の回転の速さなどを測るといいます。そうやって、知能検査を続けていくと、後に生まれた世代の方が知能が高くなってしまうということがわかりました。なぜそうなるのかについては、栄養状態が改善したから、育児書などが普及したから、などいくつかの説があります。そのなかでも、社会のありようが変化したからという説明にはなるほどと思うことがあります。例えば、私が小さい頃には改札口には駅員さんがいて、切符を切ってくれました。どの電車に乗るのか、どこへ行くにはいくらの切符がいるのか、わからないことは人に聞けばよかったのです。現在はご存知のように自動改札になり、自動券売機で切符を買うようになりました。徐々に変化したとはいえ、より複雑で高度なことをできるようになっています。スマートフォンやPCの利用についても同じことがいえるでしょう。
これだ!という説はまだ無いようですが、知能検査で後に生まれた世代の方が知能が高いという結果から「そもそも知能ってなんだ?」ということが考えられるようになりました。
くり返しになりますが、フリンさんは、知能検査で測っている能力と、現実を生きていく能力は違うんじゃない?といっています。学校のテストができるというのは確かに「頭がいい」といえるけど、それだけが人間の能力の全てではないよね、ウンウンと納得してしまいます。
②二つの知能
ここで「知能検査」で測れるタイプの知能とそうでない知能があるはずだという仮説を立てることができます。キャッテルさんとホーンさんの話を聞いてみましょう。
ふむふむ。なるほど。本は、読めば読むほど、人生経験を重ねれば重ねるほど「読める」ようになります。社会的常識とか、ふるまい、マナーなんかも、年をとればとるほどどんどん積み重ねていけます。だから、この知能は年をとっても低下しない、と。鍾乳石のようにぽたりぽたりと、年を重ねるごとに大きくなっていく知能なのですね(結晶性知能)。
それに対して、頭の回転とか思考の柔軟さとかそういった知能(流動性知能)は10代後半から20代前半をピークに低下していく・・・えっ!そんな。やっぱり年をとると頭の回転が鈍くなるっていいますもんね。それには抗えないのではないかしらと思ってしまいます。
自分の経験を増やして、本を読んだりしても知能を伸ばせる!というのは希望が見えましたけど、やっぱり、頭の回転のはやさ、情報処理能力、こういった部分はもうどうにもならない・・・?
③「流動性知能」の低下??
そのことに対して、年をとると頭の回転のはやさや思考力は低下するのか、低下しないために何かできることはないのかという研究が生まれてきます。その結果だけ紹介します。
つまり、人よって加齢による流動性知能の低下が異なることと、それが経験の影響を受けていることがわかってきました。本を読んだりすることで、(結晶性)知能を高めることができるように、「何らかの経験」が頭の回転のはやさ(流動性知能)などにも影響しているということがわかってきました。
次に気になるのはどのような経験なのか?ということでしょう。例えば、社会的に高い地位にいると、たくさんの情報処理をして、的確な判断をくださなければならないでしょう。だから知能は安定しそうですよね。でも、そもそも知能が高いから社会的に高い地位にいるということもいえそうです。結論だけいえば、知能が高いことと地位や収入の高さは関係するものの、知能の低下とは関係がないようです。
あるいは、日常生活のなかで税金の支払いや故障したものの修理をしたりしている方が、俗な言い方でいえば「ボケない」ような気がします。でも、知能が低下していないから、日常生活が維持できているということもあるでしょう。また、その人の個人的な状況(持病があるか、経済的余裕があるか)のどの要因が、知能の低下に影響を与えているかよくわかりません。
だとすれば、どの要因がどういった種類の知能に影響を与えているのか、もう少し細かくみていく必要があるでしょう。
「知能」と現実の世界
はやく問題が解けるとか、テストが満点というのも一つの知的能力です。そうした訓練を受けてきた方がスラスラと文章を書いたり、計算ができたりするのを見るにつけても、訓練って必要だな、と思います。しかし一方で、現実の世界はもう少し複雑です。さまざまな要因が重なりあっているので、フリンさんの「知能検査は現実の問題解決能力とは質の違う、もっと抽象的な問題を解く頭のよさを測定しているに過ぎないのではないか」という主張は頷けるところがあるのです。
ここまで「知能」とはどのようなものだと考えてこられたのか、鈴木忠さんが面白くまとめてくださったものを要約してきました。でも、私たちが気になっているのは、生涯にわたる「学習」に意味があるのかどうかです。生涯にわたって「知能」を高い状態を保つことができ、そのことにより現実の生活が変わるのであれば、生涯学習もやってみようか、となるかも知れません。そこで、現実の世界と知能がどのように関係しているのかが気になってきます。それについては、課題である第4章「現実世界で獲得される知をどのように捉えるか」をしっかりと読んでみてください。