【セミフリーランスPT】 西野英行のプロフィール
はじめまして。「未来のPT」ブログ運営者&セミフリーランスPT(理学療法士)の西野 英行です。
自己紹介
1981年生まれ、双子の弟。(兄は超理系、私は高校数学で挫折した超文系)
趣味は読書と子供と遊ぶことで、考えることと文章を書くことが好きです。
高校時代は音楽が好きで、バンドを結成し、その分野での仕事に就きたいと漠然と思いながら、適当に選んだ近畿大学・法学部を受験、合格しました。
法律については少し興味があったものの(なんかカッコええやん?ってレベルですが・・)、1年目の頃に法律の過去の判例に習った判決の仕方・考え方に馴染めず、勉強にあまり身が入らなくなりました。
私は創造的なことをするのが好きでした。小さい頃からプラモデルを作ったり、絵を描いたり・・・自分で小さな世界を作り出すことが大好きでした。
法律の勉強にも創造的な要素を一生懸命、自分なりに探しましたが、見つけることができませんでした。結果、全く勉強をせず、アルバイトをしながら友達と遊び呆ける典型的なお気楽大学生活を送ることになります。
アルバイトで消耗
当時、アルバイトはすごくたくさんやりました。
・アパレルの販売業
・工場の流れ作業
・高級ホテルの室内清掃
・日雇い
・路上でIT機器の営業
etc・・
色んな業界を見て、自分に合う業界を探そう!と思ったのです。で、色々やってみた正直な感想は「どれもしんどいし、退屈でつまらないなぁ・・」でした。
ただただ、自分の時間を切り売りしている感覚。
お金のために、生活のためにこんな退屈な労働を一生していかなければならないのか・・・と思うと、とても将来に希望なんて持てませんでした。
結局、必要最低限しか働かないようになり、本当に貧乏な学生でした。(電車代を持っていなくて、家まで歩いて帰ったことも何度もあります。)
”あったかい仕事”がしたい
大学卒業後、定型的な法律の道に興味が無くなり、逆に不定形な、人と接する介護やリハビリ分野に興味を持つようになります。弁護士とか行政書士とか目指す友達もいっぱいいる中、私は法律学科を出て介護職の資格を取りに行くという、謎の行動を取ります。
なんか、法律と違って「あったかい感じ」がしたんですよね。介護とかリハビリって。人間臭いというか。そこに惹かれました。
その後、ヘルパー2級(現:介護職員初任者研修)の資格を取得し、福祉用具を必要な家庭に選んで配達する、「福祉用具専門相談員」として働き始めます。
しかし、福祉用具はいくら良いものを提供しても、お客さんの根本的な問題にはアプローチできません。お客さんの本当の心の奥の問題を解決することはできないと思ったんですね。
私がお客さんのことを考えて考えて、心から話を聴けば聴くほど、それはもう確かなこととして私には感じられました。
お客さんは、福祉用具を使って生活を楽に、便利にしたいのではありません。身体の痛みを取ったり、身体機能が回復することを心の奥で強く望んでいたのでした。便利な福祉用具を探していたのは、あくまでその本当の願望を紛らわせるためだ、と私は感じました。
ならば、もっと直接的に人の役に立つ仕事がしたいと思うようになりました。後に、知り合いから理学療法士の仕事があることを聞き、専門学校に通い、無事に資格を取得します。
この職業なら、悩んでいる人の根源的な問題を解消し、役に立てるかもしれない!と思ったのです。
理学療法士免許取得 身も心もボロボロに
理学療法士になって、やっぱ勉強できる環境がええやろ、とめちゃくちゃ安易に回復期の病院に勤め始めます。(当時はいつもこんな感じです・・・)
と同時に付き合っていた彼女と結婚。手に職持ったし、まぁいけるやろと。
しかし、現実はそんなに甘くありません。
職場で鬼のようにしごかれ、身も心もボロボロに。半年で体重が10㎏は減りました。ガリガリ・・・( ゚Д゚)
当時の状況)職場でいじめられていた,極貧で無能な理学療法士の話(この記事はちょっとバズりました。)
今ではめっちゃ良い経験をさせてもらったと感謝すらしていますが、当時は結構しんどかったです・・・。普通に心療内科行ったらうつ病と診断されていたのでは?と思うレベル。(当時はそれどころではなく、行けてないですが)
そんな中で、奇跡のようにうれしい出来事が!!
みなさん、明けない夜はないのですよ!
自分に子供ができたのです。
出産の時に立ち会ったのですが、生まれた赤ちゃんの産声を聞いて「もう、これは禊(みそぎ)だ・・」と思いましたね。
(注:禊(みそぎ)とは、罪や穢れを落とし自らを清らかにすることを目的とした、神道における水浴行為。 不浄を取り除く行為である祓(はらえ)の一種とされる。)
何でも人のせいにしたり、すぐに人を憎んだり、変にプライドが高かったり・・・
そんな自分のダメな部分が、強烈な産声で消し飛んだように感じたんです。まるで悪い憑き物が落ちたかのようでした。
私はただただ、赤ちゃんを抱きしめ、感動して涙を流しました。
子供が生まれるのと同時に、自分も一緒に「父親として」この世に新しく生まれ落ちたんだと思ったんですね。今までの自己中心的な自分は死に、新しい自分が産まれた気がしました。
月並みな表現ですけど「この子のためなら何だってしてやろう。どんな努力でもしてやろう。」とその時に覚悟を決めたんです。私の人生で初めて、心の奥底に力強い、決して消えない炎が灯った気がしました。
これが私の人生の大きな転機となりました。
人生を変えたい
そして、まず、将来に絶望するしかなかった収入面をどうにかしないといけないと思い、とりあえず「金持ち父さん、貧乏父さん」を図書館で借りて読みふけりました。(当時はお金がなくて本を買うのも厳しかった・・)
この本の内容はすごく衝撃的でした。私の人生を変えたと言っても良いです。資本主義のリアルが物語に沿って分かりやすく書かれていました。
「労働力(時間)をひたすら売っても、いつまでも貧乏なままである。いかに労働力という誰でも持っている資産にレバレッジを掛けていくか?それこそが”仕事”だ。」ということ。
まさしく、僕がアルバイトを通して得た見解と同じで、ただ、がむしゃらに働くだけだと人は幸せになれず、生活費を稼ぐための労働で人生が塗り潰されてしまう…そんなことが書いてありました。
この本を読んで、それまでお金や労働について一切真剣に考えず、30年も生きてきた自分に初めて気づき「よく今まで生きて来れたな(;^_^A」と思いました。
そこから、持ち前の粘り強さでコツコツ、ひたすら自分の考え方から何から、それこそ”ゼロベース”で見直し、徹底的に変えていきました。痛みを伴う「自分改革」を推めて行きました。
やがて、このブログを始めたりして、とりあえずお金を稼ぐことにフルコミットし、約2年経過した頃、年収は当時の2.5倍くらいに増えました。
ブログで人生が変わる
個人でブログを始めたのが2015年。
約2年半で月間最高49万PVまで育ち、リハビリ系の個人ブログではかなりのものになりました。たぶん日本で1、2位を争うはず・・・と思います。(自分で言うなw)
本当にありがたいことに、
・書籍を出版したり、
・介護雑誌に寄稿させて頂いたり、
・ブログ運営やキャリアに関するセミナーをやったり、
・オンラインコミュニティを作ったり、
・記事広告を書いたり、
・企業からバナー広告掲載依頼が来たり、
・異業種の人たちと繋がったり、
・純粋にカッコいいセラピスト仲間が沢山できたり
ブログから派生した出来事や仕事が、私の人生を様々な面で豊かにしてくれるようになりました。
これからやりたいこと
「未来のPT」というブログタイトルを掲げている以上、いつでも未来を見据える視点だけは絶対に忘れません。
今後も、専門職や資格を超えた幅広い視点を持って、好きでリハビリの仕事を続けるセラピストが増えるように活動していきます。
何でもボーダレスになっている世の中で資格持ちや専門職は今後オワコン化していくと予想しているので、オンラインサロンでは、セラピストを集めて、各々のブログでブランディングを高めつつ、ネットで独自サービスの作り方や販売の仕方をみんなで学んで、ブログとかリハビリとか、資格とか、限定的な小さい枠に囚われずに生きていけるセラピストを増やす活動をしていきます。
「セミフリーランス」という働き方を広めたい
また、私は「セミフリーランスPT」という肩書きを掲げています。
今、ネットでフリーランス(個人事業主)が流行っていますが、あれって結構大変だと思うんですよね。
収入も変動が激しいですし、体を壊して働けなくなったら、ワーキングプアどころではなく死活問題になってしまいます。また、1人で仕事をすることが増え、どうしても孤立しがちになってしまう側面もあります。
日本人にとって、フリーランスという働き方は実はあまり向いていないのではないか、と個人的には思っています。
そこで、私がお勧めするこれからの働き方が「セミフリーランス」です。
企業に正社員として属しながらベーシックインカム的に収入を得て、一方で企業に個人のブログやネットでの活動を認めてもらい、組織外で得た人脈・知識を組織に還元するという新しい働き方のスタイルです。つまり、「正社員+フリーランス(個人活動)」をする働き方のことをセミフリーランスと勝手に命名しています。
今まで、ブログなどの個人の活動は「副業」と呼ばれ、隠れてコソコソとするもの、という世間的なイメージがありましたが、2018年より政府も副業・兼業を普及促進しています。
副業「解禁」ではなく、「普及促進」ですよ!
人口と共に労働者も減っていくこれからの時代、企業と従業員が手を取り合って苦境を乗り越えていかなければ日本の未来はありません。個人戦も団体戦もできる”強い個人”になっておくべきだと私は判断しました。
収入面でも、本業の理学療法士の方は、給料の元となる診療報酬が下がれば徐々に下がっていきます。その間に、副業や兼業・複業を通して自分を外の世界で磨き、医療介護業界以外から自分で収入を得ます。こちらの収入は自分が頑張れば頑張るほど増えていきます。
私は、10年後くらいには、副業・複業が本業の収入を上回り「本業が趣味」という状態を目指しています。
私は、医療介護職の仕事って、本来は給料やお金を稼ごうと思ってするべきものではないと思っています。「やりたいからやる」という人だけが任意で参加すべき仕事だと思うのです。
社会的に「本業・副業」という括りがあるから、どうしてもそこから生活するだけの給料を得なければならない、という固定概念を生んでいる気がします。(昔は当たり前にみんな雑多に多様な仕事をしていたのです。)
でも、この仕事が好きだから辞めたくない、という私みたいな人は沢山います。
ならば、個人で活動し、そこで充分な収入を得つつ、本業の方の給料は関係なく、ただ患者や利用者だけを見つめて仕事ができる環境にすれば良いと思うのです。
最終的には「お金なんて要らないよ!」と本心で言って、自分の家族も養いながら、笑顔でリハビリを提供できるようになりたいです。
最後に
最後に、私には「確実に何かを変えられる」という確信だけはあります。だって、あんなにボロボロで貧乏で惨めな自分でも、たった2年でここまで来れたのですから。
やってやれないことはないのです。
どうぞ、宜しくお願い致します。