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雪がなかった白山を見て「枕草子」のエピソードを思い出す

前回の投稿でも少し触れましたが、先週(11月半ば)に石川県を訪れたところ例年ならこの時期には冠雪が見られているはずの白山連峰に雪がまったく見られませんでした。

↓の画像(表紙画像でもあり)は3年前の11月はじめに撮影したものです。

そして↓が前回の投稿でも乗せました先週に撮影してきたもの。じつは上記の3年前の画像と比べるつもりでまったく同じ場所で撮影してみたのですが、ちょうど頂上付近に雲がかかっていて確認しづらい状態になってしまっていました😭。なお、こちらの方が3年前よりも1週間ほど遅い時期です。

雪の有無の違いがはっきりと確認できますね。
今回の白山の様子を見て「温暖化のせいで白山が白山じゃなくなりつつあるよ!」と心中でツッコミを入れざるを得ませんでした。一応この写真を撮影する数日前、11月6日に初冠雪が現地でいちおう確認されていたらしいのですが、例年よりも確認が2週間以上遅れた初冠雪となったそうです。
いろいろなところで地球温暖化の影響が指摘されている昨今ですが、ほんとうに大丈夫なのか?わたしたちが考えている以上に由々しき事態になっているのかもしれません。

ちなみにこの撮影した加賀市片山津町には「祝福の神社」なると~っても怪しい神社があります。その一端をご紹介(笑)

どうみても掘っ立て小屋・・・
左端に見える棒のなかから好きなのを選んで御神体の土台をぶっ叩くんですよ。
ツッコミ待ちの気配がムンムンの御由緒

珍スポットとして取り上げられる価値あり、と思うのですがいかがでしょうか(笑)

で、この雪がない白山を見て「枕草子」のエピソードを思い出したので今回はそれをネタにしてみようと思います。

今年の大河ドラマの題材にもなっている紫式部と同時代に活躍した清少納言(966-1025頃)の代表作にして「源氏物語」と並び称される古典文学の名作、「枕草子」。この作品では彼女が仕えていた中宮定子(藤原定子:976-1001(旧暦では1000年))の後宮(サロン)での日々の様子が綴られています。なので「日本最初のエッセイ集」なんて評価も。

その第82段(以下講談社学術文庫版の全訳注をベースにしてご紹介していきます)の「職の御曹司におはしますころ、西の廂にて」で12月の半ば(本文では「師走の十余日」)に京都に大雪が降るエピソードが出てきます。以下のような内容です。

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あまり雪が降らないと言われる京の都での大雪ということもあって定子に仕える女房たちは庭園で積もった雪をかきあつめて山を作ります。そして「この雪の山はいつまで持ちますかねぇ」という話題になり、多くの女房たちは「10日も持てばいいところかしら」「もっとも年内ってところかしらねぇ」などと予想するなか、中宮定子から意見を求められた清少納言は「来年の10日過ぎまではいけますよ」と強気の見解を披露。

すると中宮定子はいかにも疑わしげな様子、他の女房たちは「いくらなんでもそんなに長く持ちはずないわ」と反対意見を述べ立てます。清少納言自身も「ちょっと強気に出過ぎたかしら?」と不安になりつつも訂正するのが嫌で皆の意見に反対し、頑固に自説を貫くことにしたのでした。

そして、内心の不安を払拭するためか、「白山の観音さま、どうかこの雪を消さないでくださいまし」と祈りを捧げるのでした。(ここで「こんなこと自分らしくもない」、と自分で自分にツッコミいれてる/笑)

その願いが聞き届けられたのか、雪は山はなかなか溶けてなくなりません。その様子はまるで越の地にある本物の白山のよう。「これはイケるぞ」と強気になった清少納言はさらに「15日まで持ってくれないかしら」と強気にでます。そして雪の山を厳重に監視するよう、下仕えの男にくれぐれも申し渡したのでした。

そして10日が過ぎ、14日の夜になっても雪の山は残り続けており、清少納言はいよいよ自身の完全勝利を確信します。そして15日になったら雪をみんなに見せてやろうと決心します。

その15日はいつになく早起きをして「雪を持ってきてちょうだい」と使いを出しましたが、なんと昨夜まで残っていた雪は跡形もなくなっていた、との報告が返ってきました。びっくり仰天しつつも彼女は無念に意気消沈したのでした。

後日、中宮定子のもとへ出仕した際にこの悔しくも不可解なエピソードを報告すると思いもかけない言葉が定子から返ってきました。

「あの雪は昨晩わたしが捨てさせたのよ」

と。さらに「あのままにしていたら20日になっても残っていたでしょうね」とも。

中宮がどうしてそんなひどいことをしたのか!ショックを受けた清少納言はますます意気消沈してしまったのでした。

おしまい

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雪がいつまでも残るよう、白山の神さま(ここでは観音さまですが。神仏習合の時代では一般的に十一面観音が白山の神さまの本地仏とされていました)にお祈りを捧げています。
ここからは10世紀末の段階で京都でも白山信仰が広く知られていたこと、そして「白山=雪」のイメージがかなり定着していたらしいことがうかがえて面白いですね。また、「枕草子」の本文では中宮定子の庭園に作った雪の山が本物の白山のように残っている様子に対して「越の」という表現を使っています。

これは白山は「越の国」にあるというイメージが強かったことを示しているのでしょうか。白山連峰は加賀、越前、美濃(少し越中にも?)にまたがって広がっているわけですが。

そんな平安時代から続く「白山=雪」のイメージが地球温暖化によって脅かされつつある!

やはり、これはなかなかにして深刻な事態と言えるのではないでしょうか?

ところで、このエピソードには中宮定子がどうしてこんな意地悪なことをしたのか?という疑問がつきまといます。この問題については先学によるさまざまな見解があるのですが、もっとも有力とされているのが「中宮定子は清少納言のことを考えてわざとやった」というもの。

もし清少納言が15日に雪を後宮に持ち込んで「それみたことか!」と自分の見解に反対した者たちに得意満面に振る舞おうものなら他の女房たちから反発を買ってしまうかもしれない。中宮定子はそのことを案じ、清少納言を気に入っているからこそあえてこのような一見意地悪に見える振る舞いをしたのだろう…と。遠回しに彼女をたしなめた、といったところでしょうか。

さて、どうでしょうか? もしこの説が的を射ているのなら、紫式部の清少納言評が気になってきます。

よく知られていることですが、紫式部は清少納言のことを「知識をひけらかす嫌な女」などとかなり厳し~く評しています。そのためこの評価を下した紫式部自身が毒舌で性格が悪そうな印象をもたれてしまう面もあったりして。

しかしこのエピソードと中宮定子の振る舞いを見ると紫式部のこの評価は清少納言という女性の言動をかなり正確に評価したものではないか?という可能性も出てきます。実際に自分の学や才をことあるごとにひけらかして得意になる面があったのではないか?しかも主人である中宮定子がそのことを心配するくらいに。

真相やいかに! ちょっと付き合いづらい性格だったのかもしれませんねぇ。

せっかくなので白山信仰絡みのスポットも。↓は加賀国の一の宮、現在白山神社の総本宮にもなっている白山比咩神社。石川県白山市。

↓はこちらはSNS映えする撮影スポットとしてもおなじみ、福井県勝山市にある平泉寺白山神社。「え?お寺?神社?どっち?」となりそうなちょっと不思議な名前ですが、明治の神仏分離でもともと白山信仰の寺院だったのが無理やり神社に変更させられた結果の産物です。

この2つはいずれまた取り上げる機会があると思うのでその時にでも改めて。

白山信仰においてはこの2つの寺社(今は2つの神社ですが)に現在岐阜県郡上市にある長滝白山神社と長瀧寺(もともと神仏習合で一体だったのが明治に分離)が「三馬場」として広く信仰を集めていました。わたくしはまだこの長滝白山神社&長瀧寺を訪れたことがありません。

なのでここで名前を挙げて縁を作り、引き寄せの法則を発動させて訪れる機会を作ろうと目論んでいます😄。

来年に行けたらいいなー。いや、行こう!…と引き寄せを図ってみる。

せっかくなので中宮定子についてもうひとつ。彼女は娘を出産した直後に死去、享年は満年齢で24歳。↓はそんな彼女が埋葬された京都市東山区にある「鳥戸野陵(とりべの)」。

彼女の死に関してははてなブログの方で取り上げたことがあります。もしご興味がございましたらご一読いただければとっても嬉しいです。

中宮定子は一条天皇の中宮(皇后)で、彼からことのほか愛されたと言われています。そんな一条天皇は彼女の葬送のときに↓の歌を詠んでいます。ブログでも取り上げていますが、改めましてご紹介。

野辺までに 心ひとつは 通へども
   わが行幸(みゆき)とは 知らずやあるらん”

意味は「わたしの心は彼女の葬送(野辺送り)の場にいる、しかし彼女はその場にわたしがいることに気づいてくれるだろうか」みたいな感じ。

当時の天皇はケガレを極端に忌んで避けていたため、たとえ最愛の人であっても葬儀に立ち会うことはできませんでした。なので「その場はいられないけど、心は立ち会っているよ」という思いを込めた歌、ということになるのでしょう。

で、この中宮定子の葬送の日は大雪が降っていました。京都では珍しい大雪をネタに清少納言をちょっとたしなめたらしい彼女の葬儀にも珍しい大雪が降る。何かの因縁でしょうか。

この一条天皇の歌では天皇が訪れる「行幸(みゆき)」と大雪が降っている「深雪」が掛詞になっていると思われます。なのでおそらく一条天皇は現地でこんこんと降っている雪を自分の涙、涙雨ならぬ涙雪と見なしてこの歌を詠んだのではないかと思われます。「降っている雪はあなたを失ったわたしの悲しみの涙なんだけど、あなたは気づいてくれているんだろうか」みたいな。

なかなかにいい歌と思うのですがいかがでしょうか。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

最後にわたくしがKindleで出版している電子書籍を紹介させてください。

もしご購読いただければとっても嬉しいです。宣伝になってしまいますが、お許し願えれば幸いです。けっこう必死ですので(笑)


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睦夢夕
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