Into Somethin' -Works of Cornelius 003-
Trattoriaレーベルのスタートにあたり、小山田がまず発想したのは、才能ある仲間たちの作品を世に広めるために協力することだった。これまでに関与した『Fab Gear』『BLOW-UP』などと同じアイディアである。これらに参加していたBridgeやVenus Peterは、こうしてTrattoriaにも加わり、初期の"メニュー"の主軸として作品をリリースしていった。
初期Trattoriaのもうひとつの軸は、マイク・オールウェイの運営するExoticaレーベルの日本配給である。このラインでは『Bend It!』の他、ルイ・フィリップやWood-Be-Goodsら旧élの面々が名を連ねた。
そこへ、新たに第3の軸が加わることになる。同時代のイギリスで一大ムーブメントを築いていた、Acid Jazzレーベルとのライセンス契約である。
DJ小山田
Flipper's Guitar解散から約2年の間、小山田はTrattoriaの運営や作曲・プロデュースなどの裏方仕事には携わる一方で、自らが表に立った音楽活動はほとんどしなかった。効果的な再デビューの道筋を模索していた、という見方もできるが、のちに「すぐに音楽をやる気にはならなかった」というような発言もしている。単に意欲が湧かず、前向きなビジョンも見えなかったということなのかもしれない。
そんな中で、ささやかながらも人前に出る機会となっていたのが、DJとしての活動である。回数は少ないが、主に瀧見憲司と一緒に、単発でクラブイベントにゲスト出演したり、ときには学園祭に出演したりもしていた。この頃に回していた音楽は、もはやネオアコでもシューゲイザーでもなく、アシッド・ジャズが中心になっていたようだ。
アシッド・ジャズとは、ファンクやラテンのリズムを取り入れた、ダンス・ミュージックとしてのジャズのことである。中でも、DJ/サンプリング文化の盛り上がりとともに、1990年前後のUKクラブシーンで流行したものを指す。
このDJ活動の一環で、小山田は1992年に行われたJames Taylor Quartetの来日公演のオープニング・アクトを務めた。James Taylor Quartetはアシッド・ジャズの代表的なバンドのひとつで、小山田も好んで聴いていたため引き受けたという。
UKアシッド・ジャズ・シーンとのリンク
この公演をオーガナイズしたのは、ロンドン在住の音楽ジャーナリスト兼フォトグラファー、トシ矢嶋である。
矢嶋は、YMOメンバーのイギリスでの活動のコーディネイトや、イギリスのバンドやDJの来日公演の企画制作など、日英間のミュージシャンの橋渡しも仕事にしていた。また、雑誌連載やラジオ出演を通して、ロンドンのカルチャーを日本へ伝える役割も担っていた。イギリスの音楽をとくに好んでいた小山田は、矢嶋の発信からも情報を得ていたことをのちに語っている。
矢嶋と小山田は、このライブから帰る新幹線の車内で意気投合したという。かつてél所属アーティストであったMarden Hillのメンバーが矢嶋と知り合いで、新作をMo' Waxレーベルから出す予定があることや、そのélにゆかりのあるアーティストの作品をTrattoriaがリリースしていることなどを互いに話し、盛り上がったようだ。
この頃ちょうど矢嶋は、アシッド・ジャズシーンの中心であるAcid Jazzレーベルと契約を結び、日本で販売することを考えていた。この計画は、矢嶋と小山田の出会いが縁となり、Trattoriaが協力することによって実現することとなる。こうしてTrattoria内に新ブランドmo' musicが発足し、矢嶋がプロデューサーとして加わることになった。
資生堂 uno
この経緯と前後して、小山田は初めてテレビコマーシャルに出演した。資生堂から新発売となった整髪料「uno」の初代イメージ・ボーイである。CMは1992年秋から半年ほど放映されていた。
資生堂からのオファーを事務所が受け、本人は乗せられた形であったようだ。小山田は出演をかなり悩んだらしい。主に「恥ずかしい」というのがその理由で、撮影時に一方的に現場の指示で動かされたことも、居心地が悪かったという。多分に照れ隠しも含んでいそうだが、「解散して金がなくなったのでバイト感覚で引き受けた」といった自嘲や「やらなきゃよかった」等の後悔を後年まで語っていた。
一方で、資生堂のような大手のCMに出演することで、そのイメージが広まってくれれば「元Flipper's Guitar」という肩書から一気に脱却できる、というような思惑があったことも語っている。これは後付けで考えた理由かもしれないが、新たな活動にあたってイメージを更新する必要を感じていたことは確かなのだろう。
結果として、CM出演がその意味で効果的だったのかどうかは定かではない。それよりなにより音楽の面で注目すべきことは、CMソングも小山田が自ら手掛けたことである。解散から約1年が経過し、ついに待望のソロ初音源がここに発表されたことになる。
Into Somethin'
このCMソングは「Into Somethin'」と名付けられ、Trattoriaのコンピレーション『Jazz Jersey』に収録された。トシ矢嶋の関与により、本盤にはイギリスのミュージシャンが複数参加している。
小山田はここでは自分の名前を表に出さず、名義を"Mo' Music"とした。個人の名義だと、「ついに復活した」というような話題が先行してしまうと考え、それを避けたと語っている。まだ復帰の踏ん切りがついていなかったということかもしれないが、ここでもイメージにかなり気を遣っていることがうかがえる。
楽曲はハモンド・オルガンをメインに据えたインストゥルメンタルで、小山田のギターと、ワウワウを効かせたクラビネットがファンキーにリズムを刻む。パーカッションは生演奏だが、ドラムはサンプリング・ループが用いられている。編成としても曲調としても、まさしくアシッド・ジャズの文脈で制作された楽曲といえる。
なお、CMバージョンと『Jazz Jersey』版は細部が異なっている。CMの時点では小曲だったものを、発売のために膨らませて録音し直したのだと思われる。メインのオルガンのメロディーは同一だが、CMではクラビネットの代わりにギターが2チャンネル使われ、カッティングのフレーズもより複雑なものだった。
さらに『Jazz Jersey』版では、中盤に「More Mission」というカバー曲を挟む構成となっている。原曲はTVドラマ「スパイ大作戦」のサウンドトラック・アルバムの中の一曲である。こうしたスパイものやクライム・アクションものを取り上げるのも、アシッド・ジャズ(特にJames Taylor Quartet)の得意技だ。
原曲に概ね忠実なカバーだが、ホーン・セクションのフレーズはオルガンに置き換えられている。また序盤にはローズ・ピアノのリフが加えられており、よりファンキーな色彩が強調されている。
タイトルの「Into Somethin'」は、ジャズ・オルガン奏者ラリー・ヤングによる同名のアルバムからの引用だろう。アシッド・ジャズ・シーンの中で再評価され、ヘビー・ローテーションされていたレコードだという。
冒頭などで聞かれるホーンのキメフレーズはサンプリングのようだ。ネタはやはりジャズのレコードだろうか。
Alternate Versions
「Into Somethin'」は、CM版と『Jazz Jersey』版以外にも、二種類の別バージョンが商品化されている。
short version
Trattoriaのスタート1年目の記念コンピレーション『Prego! '93』には"short version"が収められている。
この盤からMo' MusicではなくCorneliusの名義に変わっている。リリースは「太陽は僕の敵」の6日前であり、Cornelius名義の曲が初めて発表されたのは1st シングルではなく本作が先ということになる。
曲については『Jazz Jersey』版から"More Mission"のパートを省略したもので、それ以外には特に変更はない。
live version
シングル『Moon Light Story』のカップリングにはライブ版が収録されている。「The First Question Award Tour」のもので、おそらくビデオ『Love Heavymetal Style Music Vision』と同じ、1994年4月28日NHKホール公演での演奏と思われる。
オリジナルよりもキーが半音高くなっており、G(Em)からA♭(Fm)へ変更されている。このライブにはホーン・セクション(Wack Wack Horns)が参加したため、おそらく管楽器が得意とする調性に合わせた変更だろう。これは鍵盤奏者としては相当嬉しくないキーだと思うが、そんなことはものともしない河合代介の熱いオルガン・プレイを全編にわたり堪能できる。
また、スタジオ盤にはない管楽器のフレーズが加えられ、小山田のギターソロをはじめとしたメンバーそれぞれのソロパートも順番に設けられている。ライブ終盤という配置とも相まって大いに盛り上がり、原曲の持つどことなくクールな印象とは段違いの、ハイテンションな仕上がりである。
『Jazz Jersey』はApple Musicで配信されており、iTunes Storeで購入することも可能である。他のバージョンも含め、CDの入手も困難ではないだろう。
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