Cleopatra 2001 -Works of Cornelius 007-
1993年が明けてもしばらくは、小山田の主な活動はプロデュース業だった。
3月にはBridgeの2作品『A Meeting on the Disk』(Trattoria Menu 10)『Spring Hill Fair』(Menu 11)がリリースされた。以前にも触れた通り、小山田は楽曲提供はしておらず、ここではバンドを取り仕切ってまとめる役目が中心だったようだ。ある程度のディレクションはしたかもしれないが、音楽的な関与はそれほど大きくなかったのかもしれない。
これと前後して、もう一つのプロデュースの仕事も進んでいた。Pizzicato Fiveの7thアルバムの制作である。この当時のPizzicato Fiveは、コンポーザー小西康陽・高浪敬太郎と、ヴォーカル野宮真貴の3人体制だった。
Tout Va Bien
Pizzicato Fiveと小山田の出会いは前年秋まで遡る。両者に共通する人脈があることを考えると、もっと以前から交流があってもおかしくないと思うが、初めて知り合ったのはアルバム『Sweet Pizzicato Five』(1992年9月リリース)に関するMV撮影のときだったという。92年秋といえばunoのCMの頃なので、ちょうど小山田が改めて活動し始めた時期に撮影されたものだろう。
小山田はアルバム収録曲「万事快調 (Tout Va Bien)」のMVにゲスト出演しており、つけ髭を付けてお茶目なダンスを披露している。
同年、小山田が「華麗なる休暇」を提供したKOIZUMIX PRODUCTION『bambinater』には小西も参加していたため、ここでもつながりがあったようだ。スタジオ作業中の小山田を小西が訪問した際、しっかりと制作を進行していたことが小西の印象に残っていたという。
Bossa Nova 2001
『Sweet Pizzicato Five』が人気を得て、特に若いリスナーが増え始めたことを小西らは実感していた。当人たちとしても制作側としても、ブレイクの兆しを経て次のアルバムが勝負、という機運が高まっていたのだろう。次作は夏の発売を予定し、夏らしく聞きやすいポップスを軸とすること、しかも若いファンが期待する音に素直に応えるような作品にすることが方針として定められた。
そうして4月に発売された先行シングル『Sweet Soul Revue』は、カネボウ化粧品のCMソングとして繰り返しテレビで放送され、一般にも名前が浸透するきっかけとなった。
一方、時期を同じくして、小西と高浪のもとにはそれぞれ子どもが生まれ、プライベートの時間も大切にしたいという事情があった。ふたりが長時間スタジオで顔を突き合わせることは難しい。そこで、小西の代わりに全体を見渡すことができ、なおかつターゲット世代と同じ感性を持った人物として、小山田に共同プロデュースを依頼することになったという。
依頼の連絡があったのは1993年2月中旬で、その2週間後の3月3日にはレコーディングが始まり、約1か月で終えるという慌ただしいスケジュールだった。
小西と高浪は、それぞれの作品の制作過程を小山田に逐次プレゼンテーションし、方向性の判断を仰ぎながらレコーディングを進めた。売りたい相手の代表的存在である小山田に直接好みを聞くことで、ターゲット層が欲している音に全力で寄せていこうとしたわけである。
曲の全体像が見えてくると、こんどは小山田から解釈を伝え、ギターを差し替えるなど具体的なディレクションをする場面もあった。本作のギターはほとんどが小山田による演奏のようだ。
小西はこの頃すでにギタリストとしての小山田のテクニックを賞賛しており、以後も時々起用することになる。だが当時は「Flipper's Guitarはライブが下手」というのが定説で、しかも小山田はヴォーカリストだったためか、演奏力に関してはほとんど認識されていなかったと思われる。今のようにプレイヤーとしての評価を受けるようになったのは、Sketch ShowやYMOへの参加を経てからだと思う。
こうして完成したアルバム『Bossa Nova 2001』は、キャッチーでありながらもウェル・メイドなポップスでまとめられた。ハウスなどのダンス・ミュージックの要素は控えめになり、わかりやすい名曲を揃えている。一般に知られた"Pizzicato Fiveらしい曲"を体現したアルバムといえるが、いつもの"外し"を使わずに、狙って"らしさ"を追求している点では、彼らの作品群の中では異色ともいえる。
トラック1「Rock'n Roll」の歌い出しの歌詞は「華麗なる休暇」と酷似している。敢えて小山田の作品と関連づけた演出だろうか。
アルバムには小山田が作曲に携わった楽曲も1曲収められている。
小西によれば、小山田が自ら作りたいと申し出て、機会をうかがった末、レコーディング終盤におそるおそるデモテープを作ってきたという。打ち込みの機材を持っていなかったためか、全て手で演奏して録音したデモで、弾けない鍵盤については手探りで弾いたものだった、と高浪は語っている。
Cleopatra 2001
こうして小山田の作った「Cleopatra 2001」はアルバムの最後に収められた。
あくまでPizzicato Fiveの楽曲であるだけに、これまでの小山田の作品とは趣の異なるサウンドである。ギターの音は控えめで、パッド系シンセサイザーの音色が大々的に用いられており、スペイシーな雰囲気に仕上げられている。小西による歌詞においても宇宙がモチーフになっており、彗星やその他の星になぞらえて、近付いてくる21世紀に思いを馳せる。
サウンドも歌詞も、90年代前半によくみられた"世紀末感"や"未来への警鐘"といった作風ではなく、明るい未来を感じさせる。
"2001"をタイトルに掲げながらも、アルバムコンセプトのひとつは"1968年"であったらしい。スペース・エイジの古き良きポジティブな未来感を反映させているのだと思う。
参照元のひとつは、宇宙SF映画「バーバレラ」のオープニングテーマ曲である。この映画の公開も"1968年"であり、意図的にコンセプトと合わせた引用だろう。
ブラスのフレーズの一部では、Swing Out Sister 「You On My Mind」も引用していると思われる。
Play Back 2001
「Cleopatra 2001」の直前に収められた「Play Back 2001」でも共作者として小山田の名前がクレジットされている。元々はアルバムのプロモーション用に配布された音源の一部で、野宮によるナレーションのBGMとして用いられたものだそうだ。
内容はというと、何かのレコードからサンプリングしたと思しきヴィブラフォンとベースのループに、いつものサウンドロゴ "A New Stereophonic Sound Spectacular" が乗るだけのシンプルなつくりで、小山田が作曲した部分があるようには聞こえない。アイディアのみの関与ということかもしれない。
Souvenir 2001
各曲の別バージョンについても触れておこう。
1993年7月1日には『Bossa Nova 2001』の特別版としてアルバム『Souvenir 2001』がリリースされた。昔懐かしき「コロちゃんパック」のフォーマットで、CDと冊子がパッケージされたものである。CDには『Bossa Nova 2001』収録曲の別バージョンやアウトテイクが収められている。
Message from Miss Pizzicato Five
トラック2の「Message from Miss Pizzicato Five」では、「Play Back 2001」をバックに、野宮がアルバムの紹介を朗らかに語っている。前述したプロモーション用の音源と関連するものと思われる。
途中でミスしてやり直すところなどもそのまま収められているため、一聴すると洒落でNGテイクを入れてあるような感じだが、もしかしたらこれがプロモーション音源そのものなのかもしれない(実物を聴いたことがないため未確認)。
Cleopatra 2001
トラック14は「Cleopatra 2001」の別バージョンである。
元バージョンとの明確な相違点は、エンディングの効果音がカットされている点である。それ以外は真剣に聴き比べても違いがわからなかった。あったとしてもミキシングの微妙な差程度だろう。
『Bossa Nova 2001』はこの後2回の再発の機会があり、その度にパッケージデザインが更新されている。初回盤・通常盤の違いと『Souvenir 2001』を合わせると、計6種類だろうか。
一方、Pizzicato Fiveは今のところ一部の限られた楽曲しか配信をしておらず、「Cleopatra 2001」はその中に含まれていないため、CDで所有する必要がある。
パッケージを全部揃えたいと思ったら根気が要るが、聴きたいだけならば入手は容易である。