「あなた」のそのままの笑顔を撮りたいー白井明子さん
「私、誰とでも仲良くなりたいし、なれるって思ってる。だから、ついついいろんな人に声かけてはいろんなことを聴いちゃうんだよね。」
そう言って目を細めた彼女は、白井明子さん。
大手企業に勤めながら、副業としてフォトグラファーの活動をしている。
今回、μ's projectに参加することにしたきっかけは、2021年6月に開催した小木曽絵美子の写真展だという。
横浜でボランティアスタッフとして設営と接客をした。その時のお客さんの反応に驚いたのだ。
「写真を飾ることって、喜んでもらえることなんだ」
会場を訪れた人たちが、飾られた写真一枚一枚を見て感じて気づきがあり、SNSでその感想を書く。被写体になった本人だけでなく、誰もが撮影された人を見ることで自分自身と向き合うきっかけになる。
ただ写真を撮りデータをお送りするだけでは気づかなかった「写真展」というものの価値を感じた。それならばと、今回手を上げることにしたのだという。
ファーストインパクト
カメラとの出会いは10年と少し前。
長女の保育園最後の発表会、舞台でお遊戯をする娘を撮ってくれた人がいた。
笑顔にフォーカスした活き活きとした写真は、娘以外の背景がじわりとボケていて、まるでプロが撮ったようだった。
こんな繊細な写真が撮りたい。
我が子の成長する姿を、笑顔を、真剣な表情を、こんな写真で残したい。
そんな想いがこの時すでにあったかどうか。
ともかく写真を見て感動したことを伝えたら、その人は笑ってプロじゃないよと謙遜しながら、「プロじゃなくても、一眼レフでならこんな写真撮れるよ」と言った。ならば早速と夫がNikonの家庭用カメラを購入してきた。
それから、子どものイベントにはいつもカメラを持っていった。
なかでも、長男は小学校から高校までサッカー少年だった。試合をすると聞けば必ずカメラを持っていった。
もちろん、同級生や上級生の親御さんの中にはそれこそプロ並みの大きなカメラを持っていて、綺麗に撮ってくれる人たちがすでにいた。だが、そういうカメラで切り取られる瞬間というのは、ゴールシーンやドリブルで相手をすり抜けていくような劇的で華やかな攻防のシーンだ。
息子のポジションは守備。
大型レンズが追う先には、なかなか登場しなかった。
そして、学年が上がれば上がるほどレギュラー争いが激しくなり、試合に出られる数も減ってくる。
息子と同じように注目されにくいポジションだったり、なかなか試合に出れない少年たちがいる。仕事の都合でなかなか観戦にこれないお母さんたちもいる。
どんなポジションでも懸命に輝いているこどもたちの姿を、お母さんたちが見れたらいいのに。それならば、せめて写真でその雄姿を見れるように、私が撮ろう。
そう決めた。
とはいえ、最初から技術があったわけではない。
とにかく最初はオートマチックモードでシャッターを押すだけ。
ファーストインパクトのあの写真のようには、まだ撮れない。
撮りたいものを表現することとの出会い
2018年春、初心者向けのカメラ教室があった。
2時間ほどの講座を2回。ボカシやシャッタースピードの変え方、いわゆるマニュアル撮影を教わった。
カラフルでビビットな色合いに撮ることも、光の入る雰囲気を優しく切り取ることもできる。
新しく何か機材をそろえたわけではない。元々持っていたカメラだ。
それが、今まで触らなかった設定をいじるだけで、一枚ずつが全く違う写真になった。
マニュアルで写真を撮るってこんなに楽しいのか!
まさに、色のない白黒の世界に突如色が溢れたような、そんな発見だった。
家に帰ってからも、休みの日に花を買ってきて花瓶に活けては、いそいそとカメラを持ち出してその花を撮る。
かわいい。
光の方向はこっちの方がより引き立つかもしれない。
いや、もっと寄りで撮った方が…。
気づいたら30分、一心に花を撮っていて、子どもたちに呆れられたなんてこともしばしば。
まさに、夢中になるものに出会えた。
そんな瞬間だった。
時を同じくして、ある女性をSNSで知った。
起業家向けのポートレート撮影や、レッスン風景の撮影を仕事にしているという。
目から鱗だった。
カメラマンというのは、報道カメラマンや雑誌の専属カメラマンなど、狭き門を潜り抜けてなれる一部の特権のような職業だと思っていたのだ。
それならば、私も大好きなカメラを仕事にできるかもしれない…!
「ぜひお話し聞かせてください!」
友人でも知人でも、まして会ったとこともなかったが思わずメッセージを送った。相手もフランクな人だったらしい。「それじゃランチしましょう」と気軽に応じてくれた。
「カメラを仕事にするにはどうしたらいいでしょうか」
と聞くと、
「それじゃあフルサイズ買いましょう。それに合うレンズだと、これくらいかな!」
入門者用ではない、一般から中級者が持つカメラとレンズを薦められた。
カメラは精密機器だ。
本体もレンズも、グレードが上がれば値段も上がる。
結局、それに加えて写真編集のためのパソコンと、息子のサッカー用に望遠レンズも併せて一度に購入した。
ボーナス数回分。
しかし躊躇はなかった。
ボランティアで700人
ところが、実際にそこからすぐにカメラを副業にしたかというとそうではない。
実績もないのにお金を受け取ることはできない。
持ち前のまじめさで、まずは無料で撮ろうと決めた。
ちょうど勤務先に「社内ネットワークの自分のアイコンを笑顔の写真にしよう!」という活動をしているボランティアグループがあった。
メンバーはみんな副業でカメラを扱っている人たちだった。人を撮るのにちょうどいい。勉強にもなる。参加することに決めた。
グループと名はつくものの特に厳しい縛りがあるわけではなくそれぞれのメンバーが勝手に自分の撮影する日を決めて
「この日の昼休みに中庭のココで撮影するから、撮られたい人は来てください」
という具合に募集をかける。
指定した場所でカメラを構えて待っていて、人が来たら順番に受付をして撮影する。金銭の授受もないからシンプルだ。
ただし、会社の規模が大きい。だから撮影する人数は尽きることがない。まさに「数稽古」というやつで、活動は学びの連続だった。
撮るのは昼休み。時間は1時間。
その中で撮影に使えるのは30分程度だ。
日によって数はバラバラだが、多い日には20人を撮る。
当然ひとりに時間はかけられない。
撮られ慣れているモデルのような人は一人もいない。
顔は右向き、左向き、両方を撮ろう。
ポーズもある程度指定しよう。
心をほぐすための会話や声かけも含め、試行錯誤しながら導線を整えていくと、ちょうどいいパターンが見えてきた。
例えばこうだ。
とにかく一度撮る。
そうしたらカメラ本体のプレビュー画面で、撮った写真を見せてみる。
するとみんな一眼レフの繊細な写真に感動しながらも、自分の緊張した顔につい笑ってしまう。
その笑っている顔をまたすかさず撮る。
硬すぎず柔らかすぎず、本人らしい自然な笑顔が撮れる。
そうして、笑顔の写真を一年で700人撮った。
撮った写真を納品すると、思った以上に喜んでもらえた。
さらに自分に興味を持ってくれて「副業ってどんな感じなんですか?」と聞いてくる人もいれば、「アイコンを変えたらめちゃくちゃ褒められたんです」と報告してくれる人もいる。
それが嬉しかった。
趣味は「ナンパ」
ある日の昼休み、食堂でまだアイコンを変えていない役員の男性を見かけた。
草の根活動のボランティアは広がるにつれ一定の効果があったらしい。上層部が撮影を受けることを社員全体に奨励するようになっていた。とはいうものの、まだボランティアに撮られていない人がそれなりにいたのだ。
「撮影しに行きませんか?」
直属の上司でも知り合いでもなかったが、声を掛けて中庭に連れ出した。
撮ってその写真をモニターで見せてみると、自身の笑った顔が嫌だという。
にやけている。だらしない。
そんな印象を与えないか心配だと。
写真を撮りなれていない人は、自分の笑顔を見ると「ニヤケている」という。不思議と中高年の男性に多い。
会話をしながらの撮影だから、「笑ってください」とは一言も言わない。無理やり笑わせたわけでもなく、そのまま普段の顔しか撮っていない。
元からこの表情をしているのだ。
周りの人々はいつもその笑顔を見ている。
ところが、自分自身の笑っているところなんか鏡でも見ていない。だから、笑顔の瞬間を切り取られると突然自分の良くない部分がさらけ出されたように感じてしまうらしい。
だが、それは違う。
この顔を、家族や後輩や部下たちは何とも思わずに見ている。むしろその「にやけた」笑顔が、「そのままの素敵なあなただ」と当たり前に思っている仲間や家族がいる。
写真に写った自分の笑顔は、周りの人を幸せにしている時のあなたの顔だ。
役員の男性はしぶったが、紆余曲折の末、「じゃあ期間限定で…」と笑顔の写真をプロフィールアイコンにした。周りの評判がよかったらしい。期間限定の時期が過ぎたあともその写真が使われていた。
人はそもそも「いい顔」をしているのだ。
たまたまカメラで切り取られていないから、その顔を自分で見たことがないだけで。
たとえば自分の殻を破ったり、その人のステージが上がったりすると「いい顔」の質が変わることがある。
だから、つい違和感のあるプロフィール写真の人と出逢うと、先の役員のように、「与える印象が変わっているから撮りなおしたらどう?」と声をかけてしまう。
おもしろいのが、これが彼女の「営業」ではないところだ。
別に撮られてくれるなら誰に撮られてもいいのだという。
ただ、もうすでに既存のプロフィール写真と実物の印象が違うのに、このままでいるのはもったいないと、つい声をかけてしまうらしい。
ある意味おせっかいだ。
でも、そういうところが彼女にはある。
会って話すと、もう親戚のようなものだと思ってしまうらしい。
どうせなら長く付き合いたい。
その人の人生がどんな素敵な方向に進んでいくのか、それを一緒に喜んだり、泣いたり、祝ったりしたい。
だから、つい話しかけてしまう。
そんな彼女だが、見た目や撮られることに関して、コンプレックスがまったくなかったわけではない。
元々、いわゆる「リケジョ」。
理系の大学によくある圧倒的多数の男子の中で、化粧っけもなく過ごしてきたタイプ。今の会社にもシステムエンジニア志望で入社した。
しかし、カメラを生業にして選ばれる事業主になろうとすると、化粧っ気のない状態では追いつかない。
長期講座で気づいた「母としての呪縛」
2020年1月、ある写真家の長期講座を受講した。
本格的にカメラを副業にするためだ。
同期の講座生はみんな華やかだった。
SNSですでに活躍している人や、もうすでにカメラ以外で事業を興している人もいた。
華やかで個性的な女性たち。
しかも美人ばかり。
気おくれしている。
初日に撮った集合写真は、まさにそんな顔をしていた。
のちに仲間の一人が回想で「"お母さん"が来たと思った」と言ったが、その通りだと思った。
その講座は人を撮るのを目的にしていたから、毎回受講生同士がお互いを撮りあう。
そのたびに「お母さん」な現実を突きつけられた。
次は何を着ればいいのか。
あの時ダイエットせずそのまま放置していた体形が気になる。
もっと痩せてたらこんなに気おくれはしないのに。
「お母さん」はこんなところにも出た。
講座の補講が京都で開催されるという。
夫に「カメラの講座なんだけれど、京都に行ってもいいかな?」と尋ねた。
夫は「わざわざ京都まで行かなくてもいいんじゃないの」と言った。反対されたと思った彼女が「でも行きたい」と返すと、彼はあきれて言うのだ。
「行くって決めてるなら聞くなよ」
いわく、聞かれたからアドバイスが欲しいのかと意見を述べただけで、行くと決めてるなら反対はしない。むしろそれなら「行くと決めたから、その間の子どもたちの世話を頼める?」と聞いて欲しい。
自分の気おくれが跳ね返ってきた。
カメラをやる前にも同じようなことがあった。
夫は毎週末楽しそうに出かけていくのに、自分は3人の子ども世話で出かける余裕なんかない。
ある日たまらなくなってその怒りをぶつけると、「勝手に我慢してるのに不満を押し付けないで」と返された。
「勝手に我慢している」
まさにそうだった。
当たり前に勝手に我慢しているのだ。
そんな彼女の意識を象徴する話がある。
ごはんどきに卵焼きの端っこを悲しい気持ちになりながら自分の皿に入れていたというのだ。
真ん中のふっくら肉厚な部分は子どもたちに与えるもの。そこに疑問を持つでもなく、あたりまえにそうすべきと思っていた。
そんな話を誰かにしたら「端っこ好きな人もいるよ」と笑われた。
気付き
かつて、といってもほんの数年前の話だ。
「何がしたい?」と聞かれても答えられない人だった。
大人になるまではある程度の願いを叶えてきたけれど、子どもが生まれ、母になった瞬間から、可処分時間はすべて会社か家族の為にしか使わなくなった。
「自分の為に使いなよ」と言われても、思いつく案が出ない。
だが、
『母親というものはそういうもの』
そう無意識に思っていた。
そしてそれが当たり前になればなるほど、センサーが鈍る。
華々しい恰好でランチをする女性を見ても
「どうせ私にはできない」
「私はそもそもそういう環境じゃない」
そう言って、やらない理由が先に立つ。
望むことすら前提にない。
うっすらとした不満や満たされない思いをごまかしながら、麻痺した日常をこなしていた。
ところが、カメラと出逢って人生が変わった。
白黒の世界に急に色があらわれたような。
それほどの衝撃だった。
まさに心躍るという状態を、おそらく小さな子どもの頃以来、思い出した。
乾いた土に水がしみわたるように自分の心が満ちていく。
しかもそれは、誰かがもたらしてくれる幸せではなくて、ただカメラと自分がそこにいるだけで幸せになれる。もともと「誰か」の幸せを考えるのが得意だったからこそ、カメラというツールとの出会いは奇跡だった。
家庭が明るくなった。
いつからか、子どもたちからも「カメラを仕事にしたらいいんじゃない?」と言われるようになった。
そうしてカメラ講座の受講期間が終わりに近づくにつれ、華やかな女性たちに囲まれて気後れしてる場合ではないと気づかされた。
仕事にするならば、選ばれる人にならねばならない。
子育てと仕事の両立で忙しいとか、今さら見た目なんて…と、言い訳している場合ではない。
「リケジョ」「お母さん」というレッテルを貼って今まで目をつぶっていた部分を変えよう。
ノースリーブを来て二の腕を出す。
ネイルサロンでネイルをしてみる。
スカートを履く。
白・黒・ネイビー以外の色の服を着る。
ひとつずつ小さな階段を上ってきた。
そして階段を上がった先で気づいたのは、大切なのは「きれいかどうか」よりも「きれいであろうとする」ことなのだ。
今までチャレンジしなかったことも、やってみたら楽しくなる。だから、楽しんだらいい。
静かに自分を諦めていることが、いかに不幸なことか。
会社や学校で出逢う同世代の女性たちを見ていてむずむずしてしまうのは、まだまだかつての自分のように静かに自分を諦めている人が多いからだ。
やらない・チャレンジしないままに、自分にはふさわしくないと諦めている。
自分の夢中になれるものに出会えたからこそ、何もせず諦めることがいかに不幸かということに気が付いた。
だからこそ、この話になると熱がこもる。
世の中のお母さんたちは、もっとやりたいことをやっていい。むしろ、やりたいと思っていい。自分の為にお金や時間を使っていい。
「好きなことが分からない人は、とりあけずカメラを始めたらいい」と彼女は言う。
人というものは、どうでもいいものにシャッターボタンは押さないらしい。
何かを見て、その視線の先にある心を動かされたものに反応して、初めてシャッターが切れる。
だからカメラを構えることは、自分が「何を見ているか」を自覚することだ。
あるときカメラの講座の中で「自分好みの100枚の写真を集める」という課題が出た。
ある人が出したものは「海・空・青」が多かった。
見た人はみんなそろって「確かにあなたって海っぽいよね」と言ったのに、本人だけがきょとんと、「え?私海っぽいの?」と驚いていたのがとても印象的だった。
ほかにも、「新緑の緑やナチュラルな雰囲気」もいれば、「ピンクが強い、カラフル」、「アンダーな色気のある雰囲気と、手」などなど。
人の見ている世界ってこんなに違うのか。
何に向けてシャッターを切るのか、そしてどんな色でそれを表現するのか。みんなまるで違う。
その人が普段から何を見ているかが、つぶさに分かってしまう。
ある意味恥ずかしい。
だけど、自分の好きに、自分が気づける。
それがカメラだ。
「自分の気に入る『私の写真』があってほしい」
もちろん、撮られるのもいい。
撮ってもらいたいけれど、コンセプトがなくて心配、という人もいる。
そういう人には、どんなことに心が動かされるのか、どんな状態が心躍るのか、それを聞くことにしている。
人は無邪気な部分を必ず持っている。
100%無邪気にカメラの前に立つのは難しいかもしれない。
でも小さな一歩は誰にでも進める。
そう自信をもって伝えられるのは、経験してきたからこそだ。
「いつかやってみたい」を叶える撮影。
自分の意志で選んで、そして楽しい!と思える撮影だ。
なにより、毎日続くルーティーンの中に撮影という「本番」があると、「準備」ができる。
いつもよりも自分に手をかけてみたり。
美容院に行ってみたり。
撮影のためならと、いつもは行かないお店に行けたりする。
ルーティーンの中で決まっている自分の居場所から一歩抜け出す。
現在の自分よりも、望んだ自分に一歩近づく体験になる。
もちろん、自分で決めてきた今までのルールを改訂するのは一朝一夕ではいかないかもしれない。
それでも何かを変えたいなら、無理やり全部を変えずとも、ひとつずつ小さなチャレンジしながら自分の枠を広げていけばいい。
だからこそ、いつも撮影はほぼオーダーメイドで作っていく。
今回の写真展用の撮影も、ほかの人のようにテーマは決めなかった。
お客さんと話しながら決めて、話しながら撮っていく。話している間に「そういえば」と思いを話されることがよくある。撮影された写真よりも、撮影という時間その物に価値があるのかもしれない。
階段を作って、小さな一歩を一緒に上るのが好きだし、得意だ。「あそこが気になるけど泊まるのは…」と言っていた友人に「やってみようよ!」と、秋の京都・瑠璃光院まで撮影に連れて行ったこともある。
こどものような笑顔を撮りたい。
歳を重ね理性を駆使していろんなものを纏う前の、純真こどものような笑顔が撮れたら最高だ。
写真の自分の安心している顔を見ると、その顔に自分自身が安心するものだ。
「自分の気にいる『私の写真』っていうのがあってほしい」
私ってこんな風に笑うんだ、と気付いて欲しい。
それは、とりもなおさず家族や友人や、大切な人が見ているあなたの顔だから。
盛った写真や映える写真に、家族はいいねとは言わない。
いつもと違うお母さんの姿・妻の姿は、やはり違和感になるらしい。
だから、普段通りの「あなた」をとりたい。
撮影を受けてくれた人が大切にしている人─家族や友人やその人のお客様が、喜ぶ写真を撮影していると思っている。
「いつも見てるあの人の、大好きな笑顔!」
澄ました顔でもなく、作った顔でもなく、いろんなものが取れている清々しい笑顔。安心する笑顔。
そういう写真を、彼女は撮り続けている。
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