若書きの魅力 ― ドビュッシーのピアノトリオ
皆さまは、ドビュッシーのピアノトリオをお聴きになったことがありますか。
今では動画検索をしても、それなりに演奏事例がヒットするようになったようですが、それでも「昔から誰もが知っている超有名曲」ではないかもしれません。
事実、先日すこしお話する機会のあった弦楽器奏者の方によれば、「あまり知られていないのではないでしょうか」というコメントでした。そうかと思えば、また別の弦楽器奏者の方からは、「ドビュッシーのピアノトリオ、学生のときにやりましたよ」というお話もあったり。
私がドビュッシーのピアノトリオの存在を知ったのは、1993年頃のことでした。ある日レコード屋さんの店頭で見かけて購入したCD(ルヴィエ・カントロフ・ミュラー トリオ DENON COCO-75305)がきっかけでした。「ビュッシーのピアノトリオ? え? そんな曲あったっけ? ラヴェルやフォーレなら知っているけれど」と思ったことをよく覚えています。当時、私が一瞬「え?」と思ったのには訳がありました。というのも、このドビュッシーのピアノトリオ、作品目録には記載されているものの、ドビュッシーの生前はもちろん、死後も長く所在不明だったところ、1986年に至ってエルウッド・デアの編纂によりヘンレ社から出版されて世に出たという作品だったのです。ですから、当時は、まだ世に広く知られていない「レアもの」を入手したような気分でした。
そして、出版後ほどなく収録されたこのCDの演奏に接して、すっかりドビュッシーの若書き(18歳!)の虜になりました。なんと若々しく瑞々しいのだろう…と。もちろん、この作品は、ドビュッシーが後年たどり着いた作風とはかなり異なり、いわゆるロマンティックな作品です。でも、どこかアラベスクやベルガマスク組曲、小組曲(連弾)の片鱗をうかがわせるものがあると感じました。と同時に「親しみやすい曲でもあり、きっと今後そこそこ広まるだろうなぁ」という感想も抱きました。ですから、上述のように「弾いたことがある」という方がいらっしゃるところからしても、最近ではそれなりに演奏される機会があるのだろうと思います。
しかし、この曲、作品発見の経緯や、校訂の過程も含め、いろいろとミステリアスな要素も多々ありそうです。特に、フィナーレについては、チェロ以外のパートについて欠落した箇所があり(脚注によれば210小節~234小節)、そこはこの作品を世に問うた音楽学者のエルウッド・デアが再構成しているところもあるのだそうです。欠落箇所は、ちょうど曲が終結に向けて盛り上がっていくところ、それだけにここのオリジナルはどんな感じだったのだろう、という思いもよぎりますが、エルウッド・デアの仕事もなかなかお見事なもので、感動的なフィナーレを形成するのに一役買っていると思います。
かつ、ピティナのピアノ曲事典によれば、スケルツォ楽章がドビュッシー自身の編曲により、ピアノ独奏曲「間奏曲」としてリメイクされたものが存在するそうですから面白いですね。
それにしても、この曲が作曲された1880年頃のドビュッシーは、チャイコフスキーのパトロンであったフォン・メック夫人の長期旅行にピアニストとして同伴していたのでありました。そこのお嬢さんと…しかも同時に(!)年上の人妻とも…といった話は、ドビュッシーの伝記に詳しいと思いますので、ご興味ある方はどうぞお調べになってみてください。
ということで、曲の来歴にも素行にもとかく問題(?)ありそうなドビュッシーの最初期の作品ですが、主題的要素が変奏されながら進む第一楽章、軽妙なリズムが印象的なスケルツォ楽章、穏やかで抒情的なアンダンテ楽章、情熱的なフィナーレのどこをとっても、あふれんばかりの青春の輝きに満ちており、飽きることがありません。そんな、甘酸っぱいような青春の香りを私はこよなく愛しているのでありました。
ドビュッシー ピアノトリオ オーナー出演予定
★2023年2月5日(日) 京都府立けいはんなホール メインホール