muse_moments_musicaux
Komponiert in Potsdam 1789 ― 1789年にポツダムにて作曲された これは、W.A.モーツァルトのピアノ曲「デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲(K.573)」のタイトルの下に書かれていたものです(写真はヘンレ版)。 1789年といえば、バスティーユ襲撃(7月)を機にやがてヨーロッパ全土を巻き込むことになったフランス革命が勃発した年。もっとも、この曲が作られたのは1789年4月とされているので、そうなるとまさにフランス革命前夜、まだアンシャン
二年程前ですが、ある方とお喋りをしていたとき、「これからソロリサイタルをするなら、どんなプログラムにしてみたいか」といったようなことが話題になりました。当時の私の考えは次の通りでした。 我ながら「着眼点としては悪くないかな」と今でも思っています。誰も褒めてはくださらないので、自分で自分を褒めておくことにします。 それにしても、口にするだけなら簡単なことですが、実際のところ、意志薄弱な私、二年程前に思いつきで口にしただけで、以後実現に向けた行動をとることは殆どありませんでし
ハイドンといえば、「明るく元気で茶目っ気たっぷり、パパ・ハイドン!」というイメージが先行するかもしれませんが、悲痛な響きに満ちた不朽の名作 Hob.XVII:6 については、少々趣を異にしているように思います。ハイドンの作品には珍しいヘ短調 f-moll が選択されているところも特殊でしょうし、終盤の壮大なコーダのドラマティックな表現も、ロマン派時代の魁であるといっても差し支えない気がします。この曲が作曲されたのは1793年、親しかったマリアンネ・フォン・ゲンツィンガー夫人、
この度、スペインの KNS Classical から、New Album "Light and Shadows" をリリースすることになりました。 カバージャケットのデザインです。 こちらが公式リリース告知です。 正直なところ、我ながらデジタル・パブリッシングなど「まだまだ」「時期尚早」という思いも強いです。名を重んじるなら、こんな軽挙妄動は慎むべきものなのかもしれません。 もっとも、以前にも申し上げたかもしれませんが、私の場合「守るべき過去の栄光」の類など何も持ち合
皆さまは、ドビュッシーのピアノトリオをお聴きになったことがありますか。 今では動画検索をしても、それなりに演奏事例がヒットするようになったようですが、それでも「昔から誰もが知っている超有名曲」ではないかもしれません。 事実、先日すこしお話する機会のあった弦楽器奏者の方によれば、「あまり知られていないのではないでしょうか」というコメントでした。そうかと思えば、また別の弦楽器奏者の方からは、「ドビュッシーのピアノトリオ、学生のときにやりましたよ」というお話もあったり。 私が
今年最後の大きなイベントであったソロリサイタルが終わりました。 お時間を作ってご来場いただいた皆さま、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。お運びいただきまして、まことにありがとうございました。 また、今回のリサイタルについて、各種運営は全て主催者の方で対応いただきました。大変お世話になりました。厚く御礼申し上げます。 【プログラムについて】 プログラムノートとしてお配りした文章、ご紹介いたします。今回、各曲とも字数制限があり、これが結構難題だったような気もします。 事
【シューベルトの最晩年】 シューベルトがモーツァルトよりも短い31年で生涯を閉じたのは1828年11月19日、それは楽聖ベートーヴェンが逝った翌年のことでした。早世の天才の最晩年にあたる1828年は、まさに音楽史上の「奇蹟」としか言いようがないほど、豊かな実りに満ちています。ミサ曲第6番(変ホ長調・D950)、弦楽五重奏曲(ハ長調・D956)、連作歌曲集「白鳥の歌」(D957およびD965A)といった大作とともに、ピアノ曲の分野でも、最後の3つのピアノソナタ(D958~D9
コロナ禍を機に増えたであろう動画提出方式によるピアノコンクール、「実際のところ動画審査ってどうなの?」という素朴な疑問をお持ちの方に対して、小学一年生から最高峰クラスの国際コンクールコンペティターまで、数多くの審査動画の収録・作成を手がけてきた私自身の経験を通じた感想をご紹介しようと思います。 あくまでも、私個人の感想であることをご承知おきください。 【動画でもある程度のことは分かる】 沢山の動画を収録した経験から申し上げられるのは、「この方は通るな」とか「これは残念だ
練習時間が増大すると、それに伴って種々の故障リスクも増大します。よく知られたところでは、腱鞘炎等の手指の故障リスクの増大ですが、気を付けなければならないのはそれだけではありません。特に、加齢に伴ってリスクが増大するのが、聴力の問題です。 騒音性難聴という言葉を聞いたことがある方も多いかもしれません。「騒音性?私がやっているのは騒音ではなくて音楽だから!失敬な!」と仰りたいその気持ちはよく分かりますが、残念ながら、これは音楽であっても十分起こり得ることです。 ところで、この
数年前から、私は断続的に親指の腱鞘炎と疑われる症状に悩まされてきました。「疑われる」という表現を用いたのは、スポーツや音楽分野における故障の専門医(整形外科)の先生から、「現時点では最も疑われるのは腱鞘炎でおそらく初期症状である」という診断ではあったものの、同時に「スポーツの場合の診断は一瞬で出来るが、音楽家の場合は、実は診断が難しく、何度かやっていくうちに段々問題を突き止めることになるケースも多いので」というコメントをいただいたことを踏まえています。 私の場合は、故障が発
私が、ピアノを弾く方に広く聞いてみたいと思うことの一つに、「あなたは目をつぶってピアノを弾くタイプですか?」という問いがあります。皆さまはいかがですか? 私の場合は ― 多数派であるかどうかは不明ですが ― 「目をつぶって弾いた方が、落ち着くし、音を聴きやすい、むしろ、視覚情報は基本的に邪魔!」と感じるタイプです。少なくとも私は、伴奏・連弾等、見て弾く本番、と決まっている場合を除くと、譜面を見て弾くと「目が泳ぐ」感じがして、演奏に集中するのが難しいと感じてしまいます。 つ
皆さまは、「真似をする」という言葉に対して、どのようなイメージをお持ちでしょうか。 ひょっとすると、最近では、個性を重視する立場から、真似をすることを嫌う人々も多いのかもしれません。あるいは、「猿真似」という言葉があるように、やみくもに他人の真似をすることに対しては、必ずしもいいイメージは与えられていないようです。 また、真似をすることの負の側面として、盗作・盗用といった事象も残念ながらありそうです。安易にアイディアを真似して、あたかも自分が一から創作したかのようにふるま
寒中お見舞い申し上げます。 手が冷えてすぐには弾けない ― という季節の到来ですね。 ところで。 今の季節に限らず、「本番、手が冷えて思うように弾けない」と訴える演奏家の方、案外多いようです。 多くのアーティストさんを見て来られた調律師さんも、先般「≪手が冷えて動かない!≫と、直前カイロをせわしなく揉んでみたりする人も本当に多いですよ」という話をされていました。 人によっては「カイロを持ち込み、手袋をして本番を待っていたのに、弾き始めたら冷えてきて困る」ということも
久しぶりの「あ~あ 残念なピアノ弾き」シリーズです。 本日のお題は ― 「楽屋でこんなことやっていませんか?」 本番前の楽屋で、思わずこんなことをやってしまう方、結構多いのではないでしょうか。 ● 試験前のように楽譜と睨めっこしてしまう ● 失敗したときの言い訳を予め口に出してしまう ・「この頃暗譜できなくて」 ・「練習時間がなかなかとれなくて」 ・「緊張したらなかなか上手くコントロールできなくて」 何を隠そう、私も昔はやっていました。それこそ、儀式のように。
人前でピアノを弾く機会がある方の場合、「舞台上の椅子の高さや鍵盤の状態、ペダルの踏み心地」等が気になる経験をお持ちの方も結構多いのではないでしょうか。 普段とは異なる環境でのパフォーマンスの場合、普段は意識にものぼってこないようなことが案外気になったりするものです。いつもとは異なる何かに違和感を覚え、それが気になってしまうこと自体は、ある意味自然なことでもあります。ペダルの硬さや鍵盤の重さといった楽器のコンディションについても、演奏者の気持ちに影響を及ぼしてしまうのは、ある
本番のパフォーマンスを良好なものにするためには、楽屋での過ごし方がとても重要であることは言うまでもありません。 ところが、楽屋で過ごす時間というものは、どうも落ち着かない、という方も多いのではないでしょうか。楽譜と睨めっこしてみたり、気を紛らわせようと人とお喋りをしたり、せわしなくウロウロしてみたり…。 深呼吸が重要だと思っても、落ち着かない状態で呼吸を行うと、かえって呼吸が早く浅くなりがちです。これでは、あまり効果は期待できません。 そこで、実際に楽屋で使えるいいツー