【あ~あ 残念なピアノ弾き モーツァルトのお約束は?】
日頃「あ~あ その演奏残念だな~」という状態から抜け出すにはどうすればよいのか、いろいろと思いを巡らしております。
久しぶりに、大学生の頃に弾いたモーツァルトのとある協奏曲の譜面を見ながら、私は開いた口が塞がらなくなりました。当時の私は、何も分かっていなかったのです。
さしずめ、嫌味婆K子さん(一刀両断に「あ~あ 残念なピアノ弾き」を斬るオソロシイ方)に、矢継ぎ早にこう言われてしまうでしょうね。
「そこ左手はノンレガートだし」
「そこで小さくなるのはNGだし」
「そこのトリルは上から」
「一方こっちのトリルは主音から」
「こっちのターン、そこ半音じゃないし」
「そのスタッカートはねないし」
当時は、無知だったから厚かましくも弾けたのでしょうね。過ぎてしまったことなので、今さら仕方がないのですが、思い出すと顔から火が出そうです。
さてさて。
ある程度ピアノを学んだ方であれば、上述のコメントをご覧になっただけでお分かりになると思いますが、中には昔の私のように「え?それ何?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんから、少し補足しておきましょう。
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●そこ左手はノンレガートだし
左手の伴奏において(アルベルティバス等)、しばしばレガートではなくノンレガートで弾いた方がよいケースが存在します。第2バイオリンの伴奏やフォルテピアノのシャリシャリした演奏をイメージすると分かりやすいことが多いかなと思います。
●そこで小さくなるのはNGだし
同じ音型が繰り返されるとき、エコーのように2回目を小さくすることは、モーツァルトでは推奨されないケースが多いです。もちろん、強弱の指示があるケースもありますが(生前の出版譜における場合等)、そうでないとき判で押したように2回目を小さくするのは安直で、むしろ crescendo が相応しいケースもあります。
●そこのトリルは上から
メロディのトリルの基本形は、上方隣接音開始です。
●一方こっちのトリルは主音から
主音開始がふさわしい場合もあり、バストリルとか、直前の音が一音高い音でレガートで連結される場合等、主音開始になるケースもあります。
●こっちのターンそこ半音じゃないし
ターンの上下を両方半音にすることは、調性が不安定になるので、モーツァルトの時代では基本的にはあまり行われないようです。もちろん例外はあります。
●そのスタッカートはねないし
楔形のスタッカートは、むしろ強調する印。そもそも、イタリア語の staccato には「はねる」という意味はありません。
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ほかにも、モーツァルトの calando は遅くならないとか、最低限のお約束事を踏まえておかないと、「あ~あ、この人知らないで弾いているわね~」ってことになってしまうのがコワイですよね。
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最後に、そういうお約束事をもっと知りたいという方のための参考書をご紹介。
●公式サイト