#いま私にできること
フルマラソンはご存じだろうか?そう、42.195kmを誰が一番最初にゴールできるかを競う、オリンピックでも行われている競技である。最近は認知度も高く、実際に走ったこともある人が多いのではないか。
では、ウルトラマラソンはご存じだろうか?恐らくフルマラソンよりかは認知度が低いと思われる。
ウルトラマラソンとは…
42.195kmを超える道のりを走るマラソンのことである。一般のマラソンのように一定の距離を走るタイプと、一定の時間を走り続けるタイプ(その時間内に走った距離が最も長い者が優勝となる)がある。
(wikipedia参照)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%83%B3
メジャーなもので言うと100kmマラソン、100mileマラソン、24時間マラソン(某テレビ局でやってるやつではない)がある。つまり、主にフルマラソンより倍以上の距離を走る競技である。
私はこのウルトラマラソンに調整する。フルマラソンにすら挑戦したことがないのにも関わらず、だ。一つだけアドバンテージがあるとするのなら、昨年までトライアスロン(水泳、自転車、ランニングをこの順番で続けて行われる競技)をやっていたことくらいであろう。しかしショートディスタンス(オリンピックで行われるswim1.5km,bike40km,run10km)メインの選手だったので試合の時間は2時間かからない程度、ウルトラマラソンの半分にも満たない時間でしか運動を続けて行ったことがない。
ちなみにウルトラマラソン挑戦が決まって約3週間やることもないのでとにかく走ってみた。
挑戦が決まったのが10日、その前の1週間の走行距離が27kmであったから3週間で290km、1日平均で13.81km、走った日数15日で平均をならすと19.33km。出来ればもっと休息日を減らしたいが、久々のトレーニングで足がビックリしたので急速を挟まざるを得なかった。(17日に出場予定大会が中止になりモチベーションの低下も休息日増加要因であることを否定せざるを得ない)
ぶっちゃけ、こんなに走るのは実は人生で初だ。トライアスロンをやっていた頃は多くてもこの2/3程度しか走ってなかった。走ってみて課題が浮き彫りになった。
・内臓強化
・足底部の強化
・ランニングエコノミーの向上
主にこの3点だ。まず内臓強化。圧倒的に内臓の力が弱っている。トライアスロンをやっていた際は全くなかった「ご飯が食べられない現象」が、初めて30km走をやった際に表れた。どう言うことか、そう、文字の通りご飯が食べられないのである。流動食しか喉を通らない、もちろん栄養はしっかりとれない、場合によっては消化不良でそのままトイレになんてことも。こんな状態では100km持つわけがない。しっかりとした血肉を土台にするためにはとにかく食う、そのために強い内臓が必須と言うことである。持久系種目の選手はこの内臓が強い選手ほど勝利が近いといっても過言ではない。
次に足底部の強化。今まで効率良く速くなる、をテーマにしていたせいで10kmそこそこ疲れた状態で走れる最高のスピードに耐えれる足底部の力しか持っていなかった。そんな状態だから30km走り終わったあとの足底部の激痛は骨が逝ったんじゃないかと言うくらいの激痛だった。そこからマッサージ、動き作りを行ったお陰かこの3週間だけでも効果が現れてきている。これは、走り込みを行った結果分かったことなので、今後もっとたくさんの課題が出てくるかもしれない。(走り初めはとにかく膝、脛が痛すぎた。がこれはただ体重が重かっただけだったので痩せてすぐに解決できた)それをこれからよりしっかり走り込んでいく中で、課題と向き合いそれを解決するための手段を一つづつこなしていき、成長していきたい。
最後にランニングエコノミーの向上だ。今までは時間にして30分強の時間しか「走る」と言う動作に向き合わなかったので、辛くても気合いで押して行けることが可能であった。しかし、100kmもの道のりではそんな気合いや根性で押せるほど甘くない。仮に押しきったとしてもランニングエコノミーを向上させることによってもっと楽に、そしてもっと速くその道のりを終えることが出来ると考える。タイム、動作、精神状態など少しの積み重ねがゴールでは大きな差となってあらわれる、それが100kmマラソンだと思っている。この3週間走ったことで自分の動作やフォームの癖が少しわかった。これをより無駄のない動きにしてそれを自分の中のストレスフリーにしていく、この作業を大事にしていきたい。
この3週間走っただけでVO²Maxや安静時心拍数に変化が出てきている。小さな成長かもしれないがこれが私の走る原動力に繋がっている。しかし良く考えてみたら、スポーツとは本来こう言うものではないか?
今、大きなスポーツイベントのほとんどが中止になり、それによって落胆しているもの、やり場のない怒りをどこに向けたらいいか分からないもの、色んな人がいる。もちろん、モチベーションの波は誰だってあるし、その大会に思いがかかっていたこともあるだろう。しかし、そんな人はなぜそのスポーツを始めたのか、是非この機会に一度考えてみるべきである。
結局楽しいからではないか?自分の記録を更新したり、出来ないことが出来るようになったり、そうやって自信の成長を感じとりながら、そのスポーツを楽しんでいた時期が必ずあるはずだ。そう、スポーツにはそんな素敵な、言葉では形容できないような素晴らしい魅力がある。だから、この大会にすべてをかけていた、この大会が俺のすべてだ、そんな風に思わないでほしい、そのスポーツを一時限りのものにしないでほしい。
生涯スポーツと言う言葉がある。文字の如く、一生涯かけて楽しめるスポーツと言う事だ。私は全スポーツが生涯スポーツであるべきだと考えていて、その大きな生涯スポーツと言うくくりの中に小さく競技スポーツと言うものが潜んでいる。この国ではこの競技スポーツの大きさが大きすぎるのではないかと感じている。
今こそこの生涯スポーツの考え方にシフトすべき人がたくさん存在しているのではないか。私も一時期そう言う時期があった。記録、順位、名誉、栄光…そう言うものが全てであると考えていた時期があった。だからこそ言える。生涯スポーツこそ原点であり頂点である、と。今後しばらくは大会が開催されることはないかもしれない、それでも、スポーツの素晴らしさを体現するために、スポーツの本来の意味を体現するために、私は走り続ける。これが