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ドロップアウトから還ってきたやつらと中華円卓を囲みたい。

最近、山月記を久しぶりに読みました。

これです。


皆さんも、高校でドロップアウトしていなければ、一度は読んでいるでしょう「山月記」。

簡単にあらすじを振り返ると(ネタバレ)

古代中国で、幼少から天才と称えられ、トントン拍子で出世したまあまあいい調子の役人、李微(リチョウ)がいました。
が、このまま社会の歯車となって死にゆくよりも、文芸で後世に名を残したいと思い、仕事を辞めて地元に帰ってきました。

誰とも関わらずにひっそりと創作を続けますが、あまりうまくいかず、家族にも心配されさすがにヤバいと思ったので、再び下級役人の仕事につきました。
しかし、昔見下していた自分より下の位の役人たちは今の自分より遥か上の役職に付き、そいつらたちの指示に従わなければいけないことに、プライドの高い李微の自尊心はズタズタになりました。

文芸の才能がないことに絶望し、仕事も辛いだけ、李微はあるとき、狂ってしまい、森へ駆け出し、気づいた頃には虎になっていました。
さて、李微には役人時代、袁傪(エンサン)という数少ない友人がいました。彼は温厚な性格で、それゆえ、李微のよくないところも受け止められたのでしょう。

袁傪はあるとき、たまたま出張で朝早くから森を抜けなければいけませんでした。その森は人食い虎が出るということで、昼になるまでは通らない方がいいと言われましたが、大事な仕事だったので早めに向かいました。
刹那、草むらから一匹の虎が現れ、袁傪に襲い掛かろうとしたところ、急に身を翻し、草むらに隠れては「あぶないところだった」と、人の声でしゃべります。
袁傪はその声に聞き覚えがありました。
「その声は、我が友、李徴子ではないか?」
虎は泣きながら、「いかにも、私が李微である」と答えます。
なぜ身を隠す?と問うと、こんな惨めな姿を友には見せられないと言います。

ただ、李微は「こんな俺でもちょっとだけ話してくれないか」と呟きます。
ささいな世間話と謝辞を述べてから、袁傪は虎になった経緯を聞きます。
李微曰く、何か自分を呼ぶ声に導かれて走っていったら、気づいた時には虎だった。と、「理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。」とかなんか言います。

とはいえ、こうなってしまったからには、自死の定めだと感じましたが、一匹のウサギが目の前を通った暁、自分の中の人間は姿を消し、辺りには血にまみれたウサギの毛が散らばっていました。
それから幾重の時が経ち、今はもう人間の時間が一日に数時間しかありません。

「昔はなぜ、虎になったのかを考えていたが、今はなぜ昔人間だったのかと考えている。もう少しすれば、俺は完全に虎になるだろう。」
「人の心がなくなれば、幸せなことだろうけど、自分の中の人間はそれをひどく恐れている。この気持ちは俺にしかわからないだろう。」
「最期に、昔自分が作っていた詩が、まだ世には出ていない。これを少しだけ後世に残してほしいのだ。」

その詩は、どれも非凡なものでしたが、袁傪はどこか、何かが足りない。と感じます。
詩を詠い終わった李微は、こんな姿でもまだ詩人としてもてはやされることを夢見ていることに、自嘲を重ねますが、お笑いついでに今なにか即席で詩を詠もうと言います。

「狂気、人でなくなった運命。虎になったこの俺に歯向かうものはいないだろう、かつて名声を集めていた俺たちのように。けれど、俺は獣となり草むらの中で生き、君は出世し順風満帆だ。君と再び出会った今、この苦しみを詩にしても、獣の俺は吠え面をかくだけだ。」

人は、この男の不運を嘆きました。

「とはいえ、こうなったのも思い当たらない節がないわけでもない」
「俺は人間だったとき、人との関わりを避け、傲慢に振舞った。それは、実は羞恥心からくるものだと、知っていた。周りには単に嫌な奴にしか見えなかっただろうが。」
「俺のプライドは、臆病な自尊心だったのだ。」
「詩も全て、一人でやった。弟子に着くことも、仲間と研鑽することもしなかった。馴れ合いと蔑み、しなかった。」
「才能がないと思いたくないから、努力をしなかった。才能があると思いたいから、人とつるまなかった。」
「人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」

カチが勝手に編集。山月記は文章表現すごく良いので、原文もぜひ読んで。

ラストは省略。青空文庫にあるので、そこで読んでもいいし、⇧のオモコロの記事を読んでもいいです。


山月記、今読み返すと、これは単に変体の話なのではなく、
完全に人間のドロップアウトの話をしていますね。

でも、山月記に真に共感できるのは、ドロップアウトを経験した人間にしかできないと思います。高校生の時の俺は「んえ~~~人生失敗して虎になっちゃた悲しい話だな~~~と思っていたので。」

「虎」に関しては、物語上のわかりやすい表現と思っていました。
しかし、これは、人間的にダメな時期=ドロップアウトして落ちている時代の人間に巣食う闇の心が「虎」だといっているのでしょう。

李微は虎から帰ってこれませんでした。

だから高校生向けなんですよね。中学で習う走れメロスはハッピーエンドです。

多分、これから学年で数人現れるであろうドロップアウト組に対して、君たち負けてもいいが腐るなと。文科省からのエールです。

BADエンドで終わるから、君たちはこうなるなよと、伝えてる気がします。

私は高校途中で辞めて、地方にぶっ飛んで、なんかベンチャーでメンタルぶっ壊して、最終的には一つ形を残して辞めて、今なんとか生きている人間なんですけど、

自尊心と羞恥心が人間を腐らせるというのは、だいぶ的を得ていてるなと思います。(偉そうに上から目線ですが…まあ1サンプルの意見だと思って読んでください)

イキのいい若者は大体が謎の自尊心を持っています。
多分ちょっと勉強ができるとか、あいつらより色んなことを知っているとか、要領よくやればできる人生を生きてきたとか。

あんまり恥ずかしい経験を積まなかった(なんかできて褒められた)から、恥ずかしい経験に対して無限の恐怖、尊厳の死みたいな感覚を持っています。

でもそれで、ある程度結構うまく行っちゃた人は、高校卒業してくらいから、色んな壁にぶち当たって、一部、ドロップアウトします。

高校までは用意された場で自尊心を育めますが、大学、社会に出てからは全選択を自分で選ぶので、謎の自尊心が力を発揮しません。

そこで、基礎がグラついて倒れそうな自尊心を支えられる何かが見つかればいいのですが、ここで羞恥心が性能を発揮してしまうと、新しいことに挑戦できないので、結果、謎の自尊心は形を獲得できないまま崩れます。

謎の自尊心に名前を与えて、健全な自尊心(尊厳)と共に生きていければいいんですけど、肥大化した自尊心ほど、名前を付けるのは難しいんですね。

一度折れ曲がって倒壊した自尊心と折り合いをつけて、過去を清算し、エンジンにぶち込んで、かすかな燃料として燃やして、人生再スタートする。
そんなことをする必要が多分どっかで現れます。こういう人間には。

そうして、帰ってきたやつらと一緒に、安くてウマい中華を食いに行きたいですね。
みんな一人一人の人生を聞いて、酒で流して、今こうやって笑いながら飯食ってる世界を目指したいです。

俺はまだ、ちょっと帰ってきただけで、まだ、何も成し遂げていないので、いつか。

李微のできなかった、家族と友人との楽しい食卓をいつか創造したいもんですね。





醜態は、積極的に晒していった方がいい。
どうせ今のやつらと10年後、5年後、一緒にいる確率は低い。
俺と一緒にいる奴は、俺だけ。

醜態を晒すことに慣れたら、なんでもできる。

子供は、なんでもできる。

最近、高校2年だった時に書いた自分のnoteを読んだ。

なんだんだこいつは。このエグイ行動力はなんなのか。
今みたいに、現実に流されているだけじゃなく、目の前にあるもの、すべて掴みに行って、今できそうな楽しいことに全力で向かっていた。

これが、俺だったのか。

この時は、本当に本当に楽しかった。

何も知らなかった時期。
世界も、社会も、大人の都合も、自分の限界も、

全部体当たりで、というか突進で、
無い道を突き進んでいた。

今は、色々知った。
責任とか、リソースとか、費用対効果とか、
損得の計算をするようになった。

そんなこと全く考えずに楽しいことにつき進める人たちが羨ましいなと感じている。いつの間にか、何がしたかったのか、今何をしたいのかも不透明になっている。

その寄り戻しで、最近旅ってやつに惹かれてるのかもしれない。
無意識に始まった。なぜ、たまにフラッと旅をしているのか、まだよくわからない。

旅ってやつは、私(のキャラクター)から離れて、何も考えず、世界に醜態さらすような行為。
私はなんにもできない存在です~~~~~~。という意思表明。

人間多分、なんにもできない存在なので、本質的に自尊心なんてものは嘘であって、ただ、自分が腐らないようにするための信念であって、実際的には虚構。

高2の時の俺に、自尊心とかは多分なかった。
今、今、今で進んでいたら自尊心とかはいらない。
動けていないときに、自尊心を見つめることになる。

羞恥心は、動くのを邪魔して、動かないことを正当化する、大元のやつ。
動かない理由を作って、うんぬんかんぬん、の元。
今の自己像への所属欲求。

高2の時の俺に、自己像とかも多分なかった。
自己を探していたのも、あるのかもしれない。
今の自己像は、いつからできたのか。
それは、めちゃくちゃ本気で守りたいものなのか。

あれ?今、何を守っているんだっけ。

そう、今。





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