輪廻転生を保証してくれない地球に対し異世界転生を要求する気持ちはわかるがそれでいいのか日本の若者よ。

小学生の時は毎日寝るまでに世界に生をもらったことの恐怖と死で自分がリセットされることに対し恐怖を抱いていたカチケです。

今回はこの生と死についての見解を話していこうかなと思います。

書いた通り、私は小学生の頃はなぜ宇宙は存在するのか、宇宙の中に産み落とされた自分という存在は死んだら消えて無くなってしまうのか、自分が生きた意味は外部の別世界に用意されているのか、そもそも今自分が存在していることが、地球があることがなんの意味があるのか、そんなことを夜な夜な考えては怖くて頭をブンブン振って脳内から思考を弾け飛ばし寝ていました。

中学に上がってからはもうそんなこと考えなくなったのですが、かくいう私も異世界転生ラノベにハマったからでしょう。
いつか俺にも俺TUEEEEEEEの世界が待っているからみたいな、この世界はこの世界で楽しんでおくかみたいな。
暇な学校で読んでたので先生にはよく読書する生徒だと思われていたそうです。先生ごめんな、読んでたのラノベなんだわ。
あとはもしかしたら母親がスピリチュアルに若干傾倒していたので、たまにさとうみつろうの本とか読んでました。神様とのおしゃべりとかでしたっけ。結構面白かった記憶ありますね。
盲信しすぎるのはよくないっすけど、ああいう考え方を知るのも面白いですよ。
人によっては考え方が変わって気持ちが楽になることもあるかも、ビジネスと化学じゃ議論できない世界は一旦他人の答えを借りるのも良い手だと思います。
私の場合はその時期割と陰謀論も探っていたので結構ガチで悪魔崇拝とかあるんかな〜って思ってましたけど、そのおかげでオバケは怖くなくなりましたね、世界がどうなっているかの方が興味あるので意思疎通を図りたいです。(でもガチで出会ったら真理を知りたくないっていう気持ちも出てきそうで難しいところ、夢で見つけた時はなんだかんだ怖かった。なんかキャットフードの霊だった気がするけど、まあ妄想やろな。)
もう今は陰謀論は考えるだけ無駄、真の情報なんて簡単に見つからんって気づいたのでコンテンツとしてお楽しみくださいって感じなんですけど、これもまあ世界がばかばかしく感じられるので、こういう考え見てればあんまり深刻に生きずに済むとは思います。

話が脱線してしまったんですけど、そういう経緯を経て今は800歳まで生きるっていうことを信じることにして死については相当先送りにすることで考えるのを辞めました。
またいきなり話が飛んだんですけど、人生100年時代とか誰が決めたんだよって思いません?自分の寿命くらい自分で決めりゃいいと思うんですよ。
(人を殺してはいけない倫理観というのは人の決めた寿命を踏み躙る行為だと思っているのでアウトなんだと解釈しています。)
800歳ってのは高1の時にたまたま人間は800歳まで生きられるみたいな記事の目次を見たからです。内容は忘れました。お、じゃあ俺も800まで生きるか〜って感じで、(その決め方は他人の言ったことじゃねえかっていうブーメランは無しで頼みます)

でもこれ本当に効用すごくて、ガチで信じてればマジで世の中のこととかどうでも良くなってくるんですよ、自分のことに対してもまあどうせ800年生きるからいいか〜みたいな感じで時間的余裕がめちゃくちゃ生まれます。
一回なんでそんな生きたいんですか?って聞かれたことがあるんですが、そう決めたから、長く楽しんだ方がいいじゃん?みたいなこと言ったんですけど、本当は死の恐怖を先送りしてるだけなんですけどね。
でも、こんな考えしといてそれはそれで800年生きたら納得して死ねるだろうし、800年生きられなかったとしてもその時まで何か幸運が起きて800まで生きるんやって思って死ねたらなんの恐怖もないまま死ねるじゃないですか、
死の恐怖に怯えながら死ぬのがいっちゃん嫌なので。
というか、なんか自分の死期を悟って優しく死を迎える方っていらっしゃるじゃないですか、マジで嫌いなんですよああいうの、なんか真理を会得したマウントみたいじゃないですか。悔しい。死を先送りにすることで答えを編み出した俺としてはそういうの悔しい。

俺だって輪廻転生を地球が保証してくれれば潔く死を迎えてやるのですが、そうはいってくれないのが悲しいところ。
猫と話せないのもムカつきます。お前は死ぬことに対してどう思ってるんだ?そもそもそういう概念知らねえか。
概念に振り回されてる人間だセーーーーーーーー。
ということで、酸いも甘いも地球での人生を楽しみ尽くしたい俺からはもう異世界転生は選択肢から外れたんですが、今考えてみると異世界転生って超絶つまらなそうじゃないですか?
だって苦しみのない人生になんの思い出も残らないと思うんですよ。
そんなこと言ったらやべえやつかと思われるかもしれませんが、人間の構造として苦しいものほど思い出に残りやすいと思うんですよ。
例えば受験勉強とか、めちゃくちゃ努力して成功失敗した仕事、めんどくさいものほど信用できるとは言いますが、今1ヶ月半のニート生活をしててマジでなんの思い出もありません。時間が一瞬で進みます。
これ、人生が19歳で半分終わりとか言われる結構大きなポイントだと思うんですよ。
なんだかんだ学生時代ってめちゃくちゃイベント事多いし、苦労も努力もめっちゃすると思うんですけどだからこそ記憶に残りやすいんだろうな〜って。

最近見つけたYouTuberがお金配りの乞食することを他人のお金で楽なんてしたら魂が汚れるとか、人生ハードモードの面白みが減るとか言ってて。魂、なるほど、そういうの面白いなと思ったんですが、今の世間の様相はFIREとかマネーゲームで将来に備えよとか、人生をできるだけ楽な方へと行こうとしてると思うんです。
論理性をもつ人間として、どんどん合理的な方へ向かおうとするのはわかるんですが、人生にまでそれを持ってくるべきか?っていうのはちょっと懐疑的で、私自身も生活はめちゃくちゃ快適なものにしようと努力しまくっています。生活改善が趣味です。でも人生まではないかな、
あるモトブロガーは今の幸せの上に将来の幸せがある。だって将来は今の積み重ねなんだから。そういっていましたが、私もそういうことだと思うんですよね。
幸せを感じるには努力して掴み取る必要がある。苦労があるから幸せが開花する。
今の社会の努力の上に成り立っているものは果たして幸せだろうか。
私は努力にも質があると思うし、苦労する方向を間違えているから、苦労から遠ざかろうとしている。
だから勘違いして、形だけの幸せを享受できるように見える異世界転生に全てをかける。
ってことー

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