人生のアーリーアダプターでありたい
こんにちは、逆張りスト兼トレンドの先を行きたいかちけいとです。
私はこの社会に色々な人生思想がある中で、次に来る人生像のトレンドのアーリーアダプターでありたいと意識しています。
アーリーアダプターは、例えばスマホの普及なんかを考えてもらうと想像しやすいかなと思います。
イノベーターは元々PCやガジェット好きな人など熱烈な趣味を持つ層で、アーリーアダプターはスマホの新規性や便利さにいち早く反応して取り入れるという感じでしょうか。
その後、社会の多くの層が取り入れていくという風な段階になっていて、実際スマホはもうラガードの層まで浸透し始めている感じです。
じゃあ具体的に私がどんな人生像のトレンドが来るかと考えていると、
「ミニマリズム・ローカリズム・センスベース」です。
一つ一つ説明していきます。
・ミニマリズム(反消費)
私は今後、今までの社会構造で悪かったものへの反動が強く来ると思っていて、そのうちの一つがミニマリズムです。
資本主義の大量生産大量廃棄の法則が地球環境に多大なダメージを与えていること(先送りしていること)はもう明らかな事実ですが、これだけ世の中でサステナブルが叫ばれ、昔と比べて若者の貧困化(年金負担、増税、安いニッポンとか)などの社会課題が引き起こす今後の人生トレンドは、生活の合理化や消費価値観の見直しだと思っています。
ミニマリズムの面白いところはお金がないからの単なる合理化だけでなく、生き方について豊かな心の持ちようを考えている点です。
ライフスタイルはメンタルや思想が大いに現れる部分だなと改めて感じています。
私に関しては、モノのミニマリズムだけでなく、住居地域や周りの環境まで含めたミニマリズムを考えています。
家やモノだけでなく、周辺のお店や自然、気候や雰囲気、人の余裕や空気感などの住環境という大きなまとまりまで範囲を拡張したミニマリズムということです。
「ないものはない、あるものはある、まちが溢れすぎない」をテーマに、
人工と自然がいいバランスが溢れすぎない、足るを知る、人間性の回復という要素を含めた、物質的にも精神的にも住環境から余裕を持つミニマリズムというのを目指しています。
・ローカリズム(反グローバリズム)
先ほどのミニマリズムの話と続いてきますが、住環境も、人とのつながりもこれからはローカルの大切さが大きくなってくると思います。
グローバルの繋がりというのはインターネットや資本主義の激化という恩恵をもたらしましたが、最近のインターネットでの人の関わりというのはSNSでの叩き合いであったり、相手の素性がわからない以上表面的な会話しかできなかったり、対話という他者との関わりがもたらす最高の人間の悦びは遠い存在になりました。
また資本主義の激化は実際の購買活動に形式的な「いらっしゃいませー」「ありがとうございましたー」などの人とのつながりを形成しました。古き良き商店街的な関係性は資本主義の前に消えかかりつつあるのです。
何が言いたいかというと、とにかく人間の根源的な悦びは他人との関わりがもたらすものであり、グローバル化はそれを希薄なものにしてしまったのです。
その悦びを消費欲求で埋め合わせしていたのが今までの世の中であり、今はその消費に対して待ったの声がかかっている。
つまり行き着く先はミニマリズムもローカリズムも同じであり、ローカルでの関わりと生活なのです。
・センスベース
シンギュラリティはそのうち起こります。
私は昔「ロボットがなんでもしてくれるようになったら」という文章を書いたのですが、これを考えたときにシンギュラリティと個性、生き方やライフスタイルということを意識するようになりました。
(AIとロボットは別なのでロボットがなんでもしてくれるような社会はシンギュラリティの相当先だとは思いますが、似たようなことなので)
要は、最近既に言われ始めている個性の時代だとか、AIに奪われないクリエイティブな思考の話に近いことです。その延長というか、どんどん便利になっていく世の中で自分のセンスというものを強く持っていないと生きる意味を永遠に探し続けたり、自由を与えられた人生の扱いに困ってしまいそうだなと思っているからです。
誤解されたくないので補足しますが、世の中の反動だとかで、昔に戻れと言っている訳ではありません。
むしろ、今までの消費社会があったからここまで便利に社会は成長したと思っているのですが、地球環境と人間性という制約がもう限界を迎えつつあるからもっと良い環境に移行しようと言いたくて、私自身はテクノロジーが大好きだし、便利な生活はもっと進歩して欲しいと思っています。
ただ、便利と豊かさは別物という話で、QOLという総合的な尺度で見た時にこっちの方がよくねという話です。