鏡花水月絡みの考察


鏡花水月について

鏡花水月は作中で恐らく最も有名な敵キャラであろう藍染惣右介の斬魄刀。
藍染惣右介は様々な名言(あるいは迷言?)を残しており、高い戦闘能力と策謀術などもそうだがやはり何と言っても斬魄刀の鏡花水月の能力である「完全催眠」が非常に強力だし、鏡花水月は作中でそこまで使用したと思われる頻度は高くないのに「最強格」の斬魄刀として思われている。 
また鏡花水月は始解であり、結局卍解を出さないまま完結した事もあり、卍解はなんなのか、鏡花水月の破り方は?など謎を多く残した斬魄刀でもある。
まぁ、そんな斬魄刀も神話と絡めていけば共通点のある神や悪魔、エピソードがあり、そこから鏡花水月の卍解の姿、打ち破り方なども見えてくる。
あくまで考察という名の妄想の範疇を出ないけど。


鏡花水月の卍解についての考察(旧ver)

「鏡花水月」という始解が「催眠」、つまり「騙す」事として捉えていた。そのために「騙す」というのは「トリック」、つまり手品のような物、と思っており手品の先、あるいは前においては「タネを知る」必要があると考えた。
そのため「解析」系の能力だと考えていた。
そしてその解析系の力によって藍染惣右介の力を持ってしてでも抗えない「力に勝る相手」である山本元柳斎重國への対策、「知に勝る相手」である浦原喜助の策への攻略を得て居たからあれほどまでに「豪胆」で要られたのではないか、と思っていた。
加えていうならその「解析」の力を自分に運用し、「最短最速」での成長ルートにより、死神として高い実力を得るに至ったのではないか、と考えていた。
確かに、一応の辻褄は合う。
ゲームなどで攻略法やデータを予め知っているような物だ。
どんな強力なボスでも弱点があり、攻略法が存在するなら焦らず、「攻撃」と「防御」を使い分け、自分の力で足りないなら対策となる「道具」を用意して使っていけば良い。
どんな難解な謎解きでも答えそのものや解法が解っているなら謎にはならない。
浦原喜助はそうした能力への懸念があったがゆえに下手に真黒崎一護に真実を教えず、ルキア奪還など作中で裏方に回った可能性もある。
ただ腑に落ちない。
何故ならそうした「解析」 が藍染惣右介クラスの力になった場合、鏡花水月の力の範囲、「見たものを催眠状態にする」というかなり広く、強力な力に対して卍解となるとそれはまさしく「藍染惣右介の視認したもの全て」となり得る。
それはつまりほぼ「世界の解析」 であり、それを「悟り」という言葉以外の表現で自分は表せない。
それは裏返せば「悟り」を使える藍染惣右介は「仏陀」をはじめとする神話、宗教の「善性」の極地の存在となる。
鏡花水月の卍解は解析系の力、という事自体は間違って要るとは思えない。
しかし藍染惣右介の卍解、つまり過去や若さがそうした仏陀やそれに類似した存在だろうか?と疑問はあった。

鏡花水月の卍解の考察を改めるに至った経緯とモチーフとなる神の名前

解析系の力がある、と思いつつ何処か腑に落ちない説だが山本元柳斎重國の卍解、「残火の太刀」の4つの方角をそれぞれ、人生の節目の力としてあらゆる卍解にそれが当てはまる、としたら。
その考えの元にそれを鏡花水月に当てはめていく事にした。
つまり「解析」の力もまた鏡花水月の卍解の4種のうち1つにしか過ぎない。
そう考えた時に流刃若火に真似て「過去」と「未来」、「自分」と「他者」に分けて鏡花水月を読み解いた場合、自分でも納得のいく力とそのモチーフになったある「神話」の神が思い当たった。
それはインド神話における「愛の神」であるカーマ神である。

カーマ神のエピソード


カーマ神とは愛を司る神であり、最も有名なエピソードはインド神話の最高神である一柱、破壊神シヴァとのエピソードだろう。
ある時世界を支配しようと現れたアスラ(悪魔のようは存在、敵)が強力過ぎて如何なる神ですら歯が立たない。
どうすれば退ける事ができるのか、となったときに「シヴァ神の息子が唯一アスラを倒せる力を持つ」と神々の中でお告げがあった。
しかし、その時のシヴァ神は修行中、勿論禁欲中であった。
その理由は最愛の妻、女神サティの死んだ事で喪に服しており、シヴァ神はサティが死んだことについて責任を感じ、自分を責めていたのである。
そこで神々はサティの生まれ変わりであるパールバティを見つけ、シヴァに引き合わせ子を成してもらうように仕向けたがシヴァは聞く耳持たず。
そこで神々から差し向けられたのが愛の神、カーマ。
ギリシャ神話で言うところのキューピット的な役回りをしてシヴァに愛の矢を放ち、パールバティと引き合わせる事に成功し、見事子供が生まれてアスラは倒された。
しかしながらその引き合わせるために撃った愛の矢に対してシヴァ神に修行を邪魔された、と怒りカーマ神は殺されてしまった。

鏡花水月とカーマ神から読み解く卍解の4つの力

鏡花水月の「完全催眠」と仮にカーマ神が藍染惣右介のモチーフだとして考えられる4つの能力。
流刃若火を真似て東西南北の方位、そして北を最初のスタートとして東→南→西と力を考えていき最終的に西と北の整合性も考える。

北→流刃若火では「天地灰尽」。炎の斬撃を飛ばす力。コレはつまり鏡花水月に落とし込むと「幻」の効果範囲の拡張、あるいは幻の精度の強化ともいえるような「幻」の力そのものになるといえる。

東→流刃若火では「旭日刃」。炎を刃先の一点に集中させる行為。コレを鏡花水月に落とし込むと「解析」、つまり手品のタネへの藍染惣右介の理解度を高める力になると考える。

南→流刃若火では「火火十万億死大葬陣」。山本元柳斎に斬り殺された亡者の灰に熱を灯して動かす力。
コレが恐らく「 カーマ神」の力。カーマの矢によって意識を自分の意のままに操る力。
幻を見せても自分の意のままに操れるとは限らない。
例えば「北」の幻の力で仮にネズミを龍に見せたとしても必ずしも同じ反応になるとは限らない。
弱い者なら龍に腰を抜かして動けなくなる。
しかし頭の回る者なら逃げ出す。
血の気の荒い者なら龍に立ち向かう。
もしも頭の回る者、血の気の荒い者にも弱者のようにその場に釘付けになって欲しいのであればネズミをもっと別の物にする必要がある。
その時に何が一番最適か、と解析するのが「東」の解析の力。
そしてその解析の力によって藍染惣右介の意のままに感情をコントールするための力、それが南の「カーマ神の矢』の力。

西→幻、解析、感情のコントロールと来て最後に行き着く能力。それはインド神話におけるカーマ神の別の側面、仏教における釈迦の修行の邪魔をした天魔、「マーラ」である。
マーラは煩悩の化身であり、その名を「殺す者」。
最上級の悪であり恐怖、障害、困難、あるいは誘惑、そうした「悟り」へと至る前の「乗り越える壁」を司る力を手に入れる事で「愛」によるコントロールは「洗脳」、つまり「完全催眠」 へと変貌する。
「鏡花水月は卍解はない」という説もあるようだが自分は藍染惣右介の卍解はゲームで言うところの「パッシブスキル」のように鏡花水月を強化する力だったのではないか、と思っている。
勿論、各種「幻」「解析」「感情のコントロール」「煩悩(感情を爆発させるブースト)」とそれぞれ単独でも効果を発揮できるだろう。
そして循環という視点で見た場合についても煩悩から幻へとなるのも悪くない繋がりだ。
煩悩から出た妄想、妄言は一段強い幻といえる。
また最後の西に「殺す者」であるマーラの力が来たのも中々に綺麗に収まった。
10の死の形を司るエスパーダを統べる存在として非常に適した存在とも思える。
しかし卍解、つまり本来なら斬魄刀の持ち主である死神、藍染惣右介の「過去」であったのに対して何故「未来」の姿になってしまったのか。

崩玉を求めた理由


崩玉によって斬魄刀との融合を目指した理由。
それは藍染惣右介が「若すぎたから」。
山本元柳斎と残火の太刀の関係性のように長い年月をともにしたわけではない。
恐らく藍染惣右介は「真面目」過ぎた、「理想」が高過ぎた。
それ故に解析を自分に向けて最短最速で成長を積み上げ、実力を伸ばす一方で自分の限界と理想の差に思い悩んだ。
その「悩み」や「苦しみ」を受け止めず、「悪」として切り捨ててカーマの矢で己の感情すらコントロールした。
そして行き着く先は煩悩の化身、マーラ。
非常に強力な力である煩悩、死の力を年を経た老年の死神なら御しきれる力だったかもしれないが最短最速、自分の心まで無視して一直線で来た事で藍染惣右介の若さ(見た目)で老年の力にまで手が届いてしまった。
結果、卍解の力、斬魄刀の内にあった力に飲み込まれ、斬魄刀の中の精神と藍染惣右介の精神が通じてしまった。
精神が繋がった以上、あとは身体の繋がり。
斬魄刀と死神の身体の境界を崩す事で藍染惣右介は自分が「完成」すると考えたのではないだろうか。

土用、節目の力

さて四神の四方を司る力に対して中央であり、そして季節においては節目そのものを司る力、五行説における「金」の力、皇帝を司る「黄」の力、万物を支える「土」の力。
これはつまり四方の力を司る「死神」 の斬魄刀に対して、「破面」の斬魄刀、つまり「帰刃」に相当するのではないか、と考えている。
そうして考えた時に藍染惣右介の斬魄刀がカーマ神と考えた時にそのカーマ神は動物に乗っている。
その動物の姿が藍染惣右介がもしも死神ではなく、破面であったなら、と思われる姿。
その動物はオウム。
鏡花水月が水面に月を「写し返す」ようにオウムもまた「オウム返し」というような言われた言葉をそのまま返す意味合いを持つ。
オウム、と言われても悪役としてはピンとこないかもしれないがマヤ神話にヴクブ・カキシュという「七の鸚鵡(オウム)」という巨人、あるいは怪鳥が存在する。
その神、ヴクブ・カキシュは「我は太陽、光、月である」と人々を支配しようとした存在である。
何故インド神話や仏教などアジア圏の神からマヤ神話の神に繋がるのか、と言うのはまだ考察しきってはいない。
しかし、BLEACHには「メキシコ」の血が入った完現術者であり虚に近い力を発動する「茶渡泰虎」がいる。
チャドについてもある程度モチーフとなる神と考察は進めているがどうやらメキシコには過去、スペイン人を神の使いと考えていた時期というか事件があったらしいのである。
つまりエスパーダ、破面や虚を考察するときはヨーロッパ圏だけでなくその言語が伝わった地域全域に目を向ける必要があると思う。

崩玉と融合した先

「斬魄刀」の4つの力、そして「帰刃」の力、それら全て「過去の力」と、融合し藍染惣右介は若さを、
「全ての力を持って転生」した。
そうして藍染惣右介は「天に立つ」だけの力を得たと確信したのだが「新たな世界を切り開く力」「過去を乗り越える力」となった「無月」の「最後の月牙天衝」に破れた、と自分は考察している。
その後、無間に幽閉されているが真面目で頭が切れ、力もあったが故に暴走した藍染惣右介は恐らく老年となり「西」の力、マーラの力を制御する事が出来るまでは大人しいのではないかな、と思う。
あくまでカーマもマーラも、そしてヴクブ・カキシュも自分の考察だけでしかないけど。

鏡花水月の破り方かも、と思われる方法

最後に鏡花水月の破り方を考察。
まず原作に出てきた方法として
・鏡花水月を解放前に斬魄刀に触れておく。
コレは市丸ギンがやった方法である。
・盲目である、そもそも解放を見ない。
つまりは目を塞いでいれば視界を通して入ってくる力である以上は効かない、という事である。
原作ではコレ以上特に明確な手立てがなく、発生させられたら最後。
例外としてネットの反応を見る限りでは
・催眠状態でも取り敢えず全員殺せばよくね?というもの。
広域高火力でゴリ押しする山本元柳斎の一刀火葬であったり、あるいは卯ノ花八千流へかなり警戒していた様子からもバーサーカーとなって味方も敵も関係なくなれば催眠状態の意味もないというのが弱点では?とされる。
自分は鏡花水月の力が手軽過ぎると思う。
それに対して攻略法が限られている、と思い何か「そんな簡単な攻略法でいいの?」というのがあると思っていた。
そこでたどり着いたのが「眼鏡」である。
千年血戦編にて神の力といえる完聖体に特効効果を働かせた「 八鏡剣」。
神の力を反射させる力を持つわけだが「反射」、つまりは「鏡」の力である。
護廷十三隊の隊長、副隊長の所謂「隊長格」に対して藍染惣右介は「鏡花水月」を見せたとされる。
110年前の隊長、副隊長、そして作中における藍染惣右介反逆までの隊長格クラスに「眼鏡キャラ」が藍染惣右介と盲目で手下である東仙を除くと後にヴァイザードとなる愛川羅歩、矢胴丸リサ。あとは愛川羅武の当時の副隊長であったとされる小椿刃右衛門とかいう作中では見なかったキャラ。
そしてストーリー中は藍染惣右介を警戒していた京楽によって守られていた伊勢七緒。
そして…射場さん。
つまり不自然なほど眼鏡キャラが死神の隊長格にはいないのである。
そしてもう一人、藍染惣右介が直接対決を避けていた更木剣八。
彼は眼鏡はしていないが自分の力を抑え込むための特殊な眼帯を常にしていた。
恐らく京楽が藍染から遠ざけていたであろう伊勢七緒。
殆ど繋がりのない、というか作中出番もあまりない射場鉄左衛門。
常に眼帯をしていて鏡花水月にかかっているのか不安がある上、そこしれない実力の更木剣八。
神への特効効果のある八鏡剣の存在。
そして藍染惣右介自身も反旗を翻す前はずっと眼鏡をかけていた事。
「本性を表した」という描写であると同時に崩玉との融合前は鏡花水月への自己防衛をしていた、とも取れる。
またエスパーダが「鏡花水月」 ではなく「戦闘力そのもの」に屈服していた事についても「本能的に生きる虚」にはそもそも目から力を発動させる鏡花水月の効きが悪いと言う事があったのかもしれない。 
鏡花水月の簡単な破り方が「眼鏡」 というのは全て「かもしれない」という仮定の上に仮定を重ねた物ではあるが「 なくもない」のではないか、と思う。

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