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恐怖心・不安・嫉妬・比較... ネガティブを手放していく

こちらのタイトルを見てどのように思われましたか。「わたしのこと」だと感じた方、「わたしには関係ない」という方もいると思います。
誰ひとり違わず意識的にまたは無意識に心の周波数(波動)で「これは心地よいか」「心地悪いか」を察知し同時に選択を繰り返しているのだと思います。

こちらの話にお立ち寄りいただいた方はそんなご自分の選択といま在る周波数を受け入れて「その選択でよかったんだよ!」と褒め点をあげることから始めましょう。内側の自分は他の誰からでもなく自分自身に褒められたいのだと思います。遠慮することなくどんどん自分を褒めて、自分を認めていってあげましょう。わたしも実体験から確信しています。

余談ですが、最近ポジティブですねと言われることが増えてきました。嬉しい限りです。しかしネガティブもたっぷりありますとお答えします。

"ポジティブの塊"な方を目前にすると、憧れや劣等感、嫉妬、最悪な場合は「この人はなんか嫌」と一方的に扉を閉ざすことも珍しくなかったのです。

わたしは明らかにネガティブが多目でまたそれを隠して生きてきました。少しだけ顔を出すポジティブだけで明るい人を演じていました(笑) 当然ですが素の自分に戻るたび現実と差に疲弊していました。


日頃「不器用で未完全だけれども真っ赤な血の通う人として生まれ、決して成功とばかりじゃない人生という冒険の書の主人公を必死に楽しんでいるよねぇ」と意識的に自分自身に伝えています。繰り返しになりますが、内側の自分は自分自身から発せられる言葉を待っています。褒めてもられること、認めてもらえることを欲しています。少しでいいのです。労い(ねぎらい)を待っています。

では、わたしを含め大半の人の場合、不安や嫉妬、失敗や恐怖、他人との比較の中で生きながら自分自身をどのように褒めればよのか、どのように認めてあげればよいのか。そもそも到底そのような気持ちにはなれないんだよ!と思われるのが正常ではないでしょうか。

わたしの場合、過去を振り返ってみても自他共に褒める、認めることは特別下手くそで(笑)。例えば就職や恋愛が成就したとしても、次に「どのように昇格していくか」「長く付き合うには何をすべきか」と今を生きることよりも未来の不安探しやまだ見ぬ未来の自分自身を採点し始める結末です。安心感や平穏の中で生きる"ゆとり"が無く、常に自分自身に辛く接していたと思うのです。

このような感情の源によく幼少期の体験が挙げられます。幼い頃の体験や感情たちがいまの自分自身を形成していることは事実です。"食"のように食べて排出するサイクルが正常ならば、わたしは感情の排出が下手な子供でした。

両親は共働きで朝から夜遅くまで必死に働きわたしを育ててくれました。言葉で言い尽くせないほど感謝しています。時に疲れた果てた親から理不尽に叱られる(当たられる)ことも普通にあり、その場合「そうかぁボクは何か悪いことをしたんだ。怒られるのは嫌だけど仕方がないんだな。原因は解らないけれどもう怒られないようにいい子でいないとな、、」としていたのです。気持ちのデフォルト=中心が「仕方ない(諦め)」「叱られないように生きたい(怯え)」「いつ叱られるかわからない(恐怖・不安)」に設定されていたのです。

社会人になりそれは空気を吸うようにごく自然に自分自身の中にあり、無意識にうまく付き合い、時に表面化して自分自身に辛く接していました。

では、わたしたちにはもう何もできないのか。そんなことを考えにいたってしまいますが、結論は決してそうではありませんでした。良き学びを与えてくださった方々が皆同じく語られることに「過去を癒す」「過去の解釈を変えていく」という思考法を導いてくれました。

ヒロさん(鎌田さん)のお言葉(をお借りすれば)
「過去は変えられないけれど過去の解釈は変えることができる」

田坂広志先生のお言葉(お借りすれば)
「解釈力」を磨く

※正式な表現ではない場合、また言葉の意味合いでご指摘がある場合はご了承ください。わたしの自身まだ修行中のため本記事のように理解をし学ばせていただいてます。

どちらの方もわたしに素晴らしい思考を与えてくださいました。
そうなんです。解釈を変えていくことでネガティブな体験と感情を手放させたり、逆にその体験からの学びをポジティブに受け取ることができます。

それは決して勝手な想像や嘘を「信じ込ませる」のではなく、また自分自身の内面にある、経験=事実から受け取った感情だけではなく、まだまだ未熟な自分に与えられた「あの頃に知る術もなかった意味のある厳しさ」や「経験すべき悔しさ」、「理不尽さを感じた中にあるわたしの中の本音との向き合い方」など。

過去や目の前の出来事の解釈を変えたその時点から。
受け入れが変わり、受発信する周波数に変化がはじまり、目の前の感情と思考の配置=ポジションが変わることを実感しました。

また現在のわたしの体感では、恐怖心・不安・嫉妬・比較などが消えて無くなるのではありません。彼ら(自分自身のネガティブな感情)は心の隙をみては鮮烈に記憶と体験と感情をねじ込ませ、周波数を乱すきっかけを与えます。実はそれもまた思考の正常な働きだということを知りました。

乱れたら落ち着いて中心へ戻る。
そして、また乱れたら落ち着いて中心に戻る。
このワークを繰り返していきます。

やがて「消える」という表現をされる方もいらっしゃいます。わたしの様な未熟者にはまだ見ぬ境地ですが体感としてまたその解釈を変える思考を重ねるたびにワークがスムーズになっていく感覚があります。

ネガティブがポジティブに名を変えることはないと学ばせていただきました。しかしネガティブな感情の解釈よりポジティブが生まれること、またその逆もあるのです。

例えが下手くそですが、料理においてアクも必要なのです。物語には悪役が必要なのです。その善と悪、光と闇、ポジティブとネガティブ、プラスとマイナス。どちらも同量だということを体感しています。(ヒロさんのお言葉をお借りします)

生きるという活動の原点には自分自身と上手く付き合うこと。
そんな当たり前のことを学ばせていただきました。

今回はここまでにいたします。
学びと気づきに感謝いたします。ありがとうございました。

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