見出し画像

【大学生も日本の魅力を再認識できた!】世界最古のオーケストラと能の奥深さ(後編)

みなさんこんにちは、学生広報チームの金川です。
今回は3月16日に武蔵野キャンパスで行われた「令和5年度武蔵野大学日本文学研究所 土岐善麿記念公開講座―親鸞聖人と極楽世界」の【後編】レポートを引き続きお送りいたします。後編では能の知るほど面白い設定や、宗教との関係についても触れるので、これを機に興味を少しで持っていただけたらと思います。
【前編】では、武蔵野大学と関わりの深い土岐善麿について、また世界最古のオーケストラである雅楽について書いていますので、ぜひ、こちらもご覧ください。

日本の古典芸能・能とは??

講座の後半には、本学の文学部教授で能楽資料センター長の三浦 裕子先生から、有名な演目「羽衣」についてのお話がありました。その前に、そもそも能とは何か、簡単に説明したいと思います。
能の起源は中国です。8世紀、今から約1400年前に日本に渡ってきた「散楽(さんがく)」という芸能が14世紀の室町時代に日本独自の文化や様式を経て変化し、「能」として成立しました。
能の舞台は、シテ(主役)とそのワキ(助役)による対話を舞や音楽にのせて、物語が進んでいきます。物語のテーマは、神/仏の教えや歴史的な事件、恋心を描いたもの、妖怪を退治する話など、様々なものがあります。昔は神事や祭りで多く披露され、豊臣 秀吉も能をとても愛したと言われています。演目は現在、250曲ほどあるそうです。

能に似た芸能に狂言があります。こちらも名前は聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか。狂言と能の違いは、簡単に言うと「笑い」をメインにするかしないか、です。能はお面(面(おもて))をつけ、神や霊が登場人物としてあらわれる悲劇的な物語が多いですが、狂言には庶民の日常をおもしろおかしく切り取った作品も多くあります。2つをあわせて「能楽」といい、元々は同じルーツを持つ芸能です。

能の演目「羽衣」について

「羽衣」は三保の松原(現 静岡市清水区)が舞台です。昔話にもある羽衣伝説をもとにした演目なので知っている人も多いと思います。あらすじは以下の通りです。春の朝、漁師の白龍(はくりょう)が松の枝にかかった美しい羽衣を見つけます。家宝にしようと持ち帰ろうとしたところに現れたのは天女でした。天女はその衣が無いと天に帰れないと言います。白龍は羽衣を返す代わりに、天女の美しい舞を見せてもらいます。この天女の舞は、雅楽の国風歌舞(くにぶりのうたまい)に属する「東遊(あずまあそび)」に登場する舞、駿河舞として受け継がれるほど、能における舞に大きな影響を与えています。

この羽衣がかかっていたと言われる松は、現在も静岡県清水区の三保に実在しています。僕自身、静岡市出身で実際に見たことがありますが、幹から枝までとても立派な松で、羽衣がかかっていただろうと想像できる曲がった枝も見えます。一般にある松とは違い、神社や仏閣にある松のような神聖さを感じました。

「羽衣」のテーマ

「羽衣」は、いくつかのテーマが複雑に絡み合っている作品であるそうです。

①羽衣伝説の能的な表現・解釈 … 昔話の羽衣伝説では、羽衣は返さず、天女と白龍は結婚するとのことです。
②春の訪れに対する喜びと、富士山及びその周辺の聖なる美しさへの賞賛 … 天女や羽衣を美しく表現するだけではなく、その風景も鑑賞者が頭に描きやすいよう、美しく表現しているそうです。
③「いや疑ひは人間にあり。天に偽りなきものを」という天女の主張 … 羽衣を返したら、舞を舞わずにそのまま帰ってしまうのでは? という白龍の疑いに対して、天女はこう答えたそうです。他人を疑わず、自己の心を見つめなおせというメッセージを感じました。
④阿弥陀如来が営む極楽世界への憧れ … 天女は極楽浄土の世界にいる仏様に仕えており、能「羽衣」の最も古い上演の記録が、浄土真宗の寺院である石山本願寺にあるとのことです。このことから、「羽衣」における極楽浄土との関係が見えてきます。(極楽浄土の説明は、後の「親鸞」で触れます)
 
このように能には、知れば知るほど面白い設定や隠された関係、工夫などが多くあります。現代でも、ドラマや映画の裏設定やバックストーリーが好きな人は多いと思います。それと同じような感覚で様々な知見を得てみるのも、能の楽しみ方の一つだと思いました。

実演「羽衣」を観て

「羽衣」についての解説を三浦先生から聞いた後は、「羽衣」の一部の実演(仕舞)となりました。舞われるのは本学の客員教授でもある、佐々木 多門先生です。地謡(じうたい)と呼ばれる、第三者の視点で風景や出来事を朗唱する役は大島 輝久さんと友枝 真也さんが務めました。お三方は能楽シテ方喜多流の重要無形文化財保持者でもあり、全国で活躍されています。

謡いを聞いてまず率直に、肺活量のすごさに驚きました。1つ1つの言葉をゆっくりと丁寧に謡いながらも、大きく、太く、力強い声が十数分間、終始ぶれることなく、むしろ後半になるにつれ、より胸の奥にズシンと来るような、厳格さを感じさせる声が講堂内に響き、その迫力は鳥肌が立つほどでした。

佐々木 多門さんは舞を行いながら謡う場面もありましたが、舞姿にも力強さがありました。今回は能ではなく部分上演の仕舞だったので、衣装は赤や金色などの華やかな配色は無い紋付袴でしたが、それにもかかわらず、美しいと思わせるような、細かい所作に品性を感じる新鮮な感覚です。特に僕は、佐々木 多門さんの手の所作に美しさを感じました。能は扇を持って演じます。その扇の持ち方や、扇を開く・閉じる際の手の形にも気品があり、意識が体の隅々まで行き渡っていることが伝わってきました。

個人的に、始まった瞬間に演者のお三方に何か神様や仏様が憑依したような、そんな神々しい雰囲気が感じられました。派手な演出や小道具が無くても、目の前に情景が浮かびあがる感覚が新鮮で面白かったです。

土岐善麿の新作能「親鸞」

最後に、杏林大学特任教授で本学の客員研究員でもある河路 由佳先生から、土岐 善麿と「親鸞」についてのお話がありました。
土岐 善麿は浅草の浄土真宗の寺の次男として生まれました。父親から英才教育を受け、仏教・漢詩文・生花など、様々な文化に幼い時から触れてきたそうです。
「寺に生まれたことも因縁であろうが、そこがたまたま浄土真宗の寺であったことは、そのまま一生の幸福であったと考えているのである。」土岐 善麿は仏教・父親への思いとしてこう綴っています。そうした生い立ちから、土岐 善麿は浄土真宗の能を創りたいと考えたそうです。
そして、1961年に京都・東本願寺で初演された新作能「親鸞」を創作しました。

浄土真宗とは??

浄土真宗は、鎌倉時代の僧である親鸞が開きました。
浄土真宗の主な教えは、「他力」にあるそうです。「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで、阿弥陀さまの本願により、人は死後に極楽浄土に行けるという教えだと、河路先生は端的に説明されました。「南無阿弥陀仏」つまり、私は阿弥陀を信仰しています、と雑念を取り払って唱えるだけで、人は皆平等に救われるのだ、といった思想が平安時代末期から鎌倉時代にかけて流行したようです。
またその時代は戦乱や疫病などが続き、世の活気が下がり始め、人々がより救いを求めていたことも、浄土真宗が人々の間で流行した理由に挙げられると話されていました。

夫婦が互いに尊重しあうストーリー

「親鸞」のストーリーを、本説(ほんぜつ・能の作品の中心的な素材)を交えて簡単に説明すると、主に3人の人物が登場します。親鸞、その妻の恵信尼(えしんに)、そして観音さまです。観音さま(観音菩薩)とは阿弥陀如来の化身であり、33種の姿に変身し、人々の前や夢の中に出てきては、助言をしたりして人々を救う存在だそうです。

恵信尼は親鸞と結婚後、夢の中で2つの絵を見ました。1枚の絵には観音さまが描かれており、その正体は夫である親鸞だと、教えられました。
対して親鸞は、結婚前の京都・六角堂での修行中、夢に救世観音(聖徳太子の本来の姿。古くから聖徳太子は観音さまの化身だと信じられている)が現れて「あなたは結婚するだろう、そのとき私が妻となり、必ず極楽に導こう」と告げられました。そして後に恵信尼と結婚した親鸞は、恵信尼があのお告げの観音さまの化身なのだと悟ったそうです。
この夢のお告げのことを、浄土真宗では親鸞の「六角堂の夢告(むこく)」と言うそうです。
こうして親鸞と恵信尼の2人は、お互いに相手が観音さまだと思いながら、お互いに尊敬しあって暮らした、という話です。夫婦が互いを尊敬して幸せに暮らすことは、土岐 善麿の結婚観にも重なる部分だとも話されていました。

「親鸞」の特別な演出

「親鸞」を上演するにあたり土岐 善麿は、通常とは少し異なる面白い演出をしたそうです。
仏教書『歎異抄(たんにしょう)』には、親鸞の「阿弥陀さまが途方もない時間をかけて考えた念仏を、罪の深い私(親鸞)を救うために唱えて下さり感謝している」という意味の言葉が残されていました。土岐 善麿はこの言葉の寛大さ、深さに感銘を受け、この言葉こそが「親鸞」を上演するうえで最も重要だと考えたそうです。
そこで演出上では、節(ふし)を付けずただ心からの言葉として表現するため、通常の能では舞台向かって左の通路、橋掛かりの奥に幕があり、そこからシテやワキが登場しますが、幕が上がる前の幕の奥でその親鸞の言葉を語る、という演出にしました。
 
その幕から登場するシテの姿にも工夫があります。土岐 善麿はこのシテの役柄に、親鸞、恵信尼、そして聖徳太子を重ね、3人の姿として登場させます。さきほど「親鸞」の本説の紹介でも触れたように、親鸞と恵信尼はお互いが観音さまの化身だと信じ、尊敬しあって暮らしていました。それを表現するよう、土岐善麿は1人3役の演出をするよう「親鸞」を書きました。
その3人が一体となったシテが歓喜の舞を舞ったとき、土岐 善麿は浄土真宗の能が完成し、悲願の達成ができたと思ったのではないかと、河路先生は話されていました。

さいごに / 伝統芸能に触れてみて

今まで能や雅楽など、日本の伝統芸能にそれほど触れてこなかった自分にとって、今回の講座はとても良い経験になりました。雅楽の神々しい音色、能の奥深さや歴史に気付くことができ、興味が湧きました。
 
一部だけでしたが「羽衣」の上演を観たとき、初めて能を見たのでとても新鮮で自身の生活とは別の文化に触れたような感覚でした。しかし日本に生まれた身としては、本来はこの美意識や感覚が元にあるはずです。本講座を通して、日本の多くの人は現代のポップカルチャーに馴染みすぎているんじゃないか、日本の伝統的な芸能・文化を風化させてはいけないと思いました。
海外の文化に触れるのも悪くないですが、一度自分の暮らす国の古来の文化に目を向けてみても、新たな発見や新鮮な感情が生まれてくるはずです。
 
前編・後編にわたる長いレポートとなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。少しでも能や雅楽に興味を持っていただけたら嬉しいです。

※肩書は取材当時(2024年3月)のものです

経営学科2年 金川 心

【学生広報チームについて】
学生広報チームは2023年9月に活動を開始しました。創立100周年事業プロジェクトの取材を行い、武蔵野大学の学生・教職員だけでなく、学校法人武蔵野大学の中学校や高等学校の生徒の皆さん、地域の方々に武蔵野大学や100周年事業の魅力を発信できるように今後も活動していきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?