「おちり」はなぜかわいいのかに対する音韻論的解釈
先日、言葉の引力の話をした。
僕にとって、最近、一番大きな引力を持つ言葉。
【おちり】
無論、おしりのことである。
最近の僕は、何を話すにも【おちり】を使ってしまう。
「最近の漫才の調子どう?」
「おちりだね」
「昨日何食べた?」
「おちり」
「カラオケで最初に歌う曲は何?」
「おちりサウダージ」
何人もの友人と疎遠になった。
出禁になった居酒屋もある。
しかし、やめられない。病気である。
ものぐるおしけれ。
【ち】と【し】
音韻論をご存じだろうか。
言語学の一種であり、言葉における「音」の領域の研究である。
今回は、音韻論的に【おちり】の魅力を考察していく。
まず、「おしり」と「おちり」の違いは何か。
「し」と「ち」である。
そして、この「ち」という音は、それが入っている言葉をかわいくする力を持つ。以下の例をご覧いただきたい。
「しにがみ」→「ちにがみ」
「しぼうとどけ」→「ちぼうとどけ」
「しゃんくす」→「ちゃんくす」
「しめいりょう」→「ちめいりょう」
「あさしょうりゅう」→「あさちょうりゅう」
魔法である。
こんなかわいくなってしまって、目も当てられない。
逆に、「ち」を「し」にすると、一気に愛嬌を失う。
「ちゃーはん」→「しゃーはん」
「ちちしぼり」→「しししぼり」(逆に、「ちちちぼり」はかわいい)
「ちゅーりっぷ」→「しゅーりっぷ」
だからといって、「ち」と「し」は、離れ過ぎた存在ではない。
どちらも、濁点を付けると同じ音になる。
「ぢ」と「じ」。
不思議な縁である。
赤ちゃん言葉
個人的に赤ちゃん言葉は好きである。
他意はない。
赤ちゃん言葉はもちろんかわいい。
全言語の中で一番かわいい。
そんな赤ちゃん言葉には、「ち」が多用されている。
「そうでちゅね」
「上手にできまちた」
「ちゅごい!」
なぜ「ち」はかわいいのか
さて、ここまで、「ち」が入ることで言葉がかわいくなる具体的な例を出してきたが、ここで本丸の問いである「なぜ『ち』がかわいいのか」の考察をする。
結論から言うと、「ち」が子供の出しやすい破擦音だからではないかと考えられる。
日本語の子音は、主に四種類の音に分類される。(説は色々)
破裂音(バ行、パ行など)
摩擦音(サ行など)
弾き音(ラ行)
破擦音(チなど)
つまり、
子供はかわいい
↓
子供の出す音は可愛い
↓
子供は「チ」をよく使う
↓
「チ」がかわいい
この展開により、僕たちの頭の中に
【チ】は可愛いという共通認識が出来上がってるのである。
言ってしまえば、子供への愛、子孫への愛が
【チ】を可愛くしている。
人間が生物である限り、【チ】も可愛くあり続けるのである。
もし、【おちり】を可愛いと思えなくなった時、人類は生物として終わりを迎える。
人類の退廃化。
子供を愛せなくなったということだからだ。
僕は【おちり】が大好きである。
他意はない。
【おちり】が好きであるということは恥ずかしくない。むしろ人間として誇り高い。
みんなで言おう。
おちり万歳!
おちり永遠に。