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ドイツ移住だけじゃない、転機の年

この記事は​、「おうち秘書サロン」メンバーによる
「おうち秘書サロンAdvent Calendar2020」企画に参加しています。
昨日は、キョーコさんが記事を書いてくれました!

今年は転機の年でした。
世界的に問題になったウイルスの影響もありますが、私にとって忘れられない一年になることは昨年の時点から決まっていました。

本日12月25日は初めての結婚記念日なんです。

ふーん、さよか。
おお、そうか。

そんな心の声が聞こえてきそうです。
でも、それだけじゃないんです。

この日から今日に至るまでの一年を
振り返りたいと思います。

2019年12月25日

9年の付き合い、うち2年は国外にいた彼が、海外で職を得てめでたく凱旋帰国した日です。(本人曰く)
私は空港で彼を待ち構えていました。
半分書き終えた婚姻届を携えて。

到着してすぐさま、空港のフードコートで残り半分を記入。
一緒に出迎えた彼のお母さまにも署名してもらい、その足で市役所へと向かいました。

こう書くとなんかドラマチック。
フードコートじゃなくてカフェにしとけば良かった。

こうして私はドイツ移住への道を歩み始めました。

2019年末~2020年1月

休みが2日あったら、必ず1日は引きこもりたい性分。
ですが、年末は毎日のように人に会ったり名字変更のため役所に赴いたりしていました。

結婚式は準備する時間もエネルギーも無かったため行わず。
その代わり、写真は残しておきたくてスタジオで撮影。
両家の顔合わせのための会食。
共通の友人たちとお祝いの食事。
元職場の忘年会。
個人的に会いたい友人と食事。

これから会えなくなるからと予定を詰め込みまくり
食べまくり、飲みまくりました。

会える時に会っておいて良かったと強く思います。

年始には一人で地元の青森へ里帰り。
めったに会えない友人に会ったり、今や全くお目にかかれない新鮮なお魚をたらふく食べたり、温泉に浸かったり。

立体駐車場を見て興奮していた田舎娘のルーツがここにありました。

母と妹を連れて温泉地へ1泊旅行もしました。
ちょっとは親孝行になったかな。

1月後半は怒涛の荷物パッキング。

そして、1月27日に出国しました。

2月~8月

当時はまだウイルス問題も深刻化されておらず、空港で移されたら嫌だな~程度にしか思っていませんでした。機内で使おうと買ったピッタマスクが、のちに必需品になるとも知らず。

海外旅行は何度か経験がありますが、住むのは初めて。

食文化のちがい
よう分からん言語
会える友人は皆無
タテにもヨコにも体が大きい人々

旅行と居住は違います。
どうせ帰るからガマン、ができません。

駐在員に帯同する家族は、急な環境の変化や日本社会から切り離されたことで鬱になりやすいと言われています。
夫は駐在員ではないものの、状況は似たようなもの。

ですが、私にはそんな兆候は全くありませんでした。
私が出国前に夫に口酸っぱく言い聞かせていた言葉は
「インターネットはライフライン」
ネットがあれば、読書も買い物もチャットも通話も、何だってできる。

外に出るとたまに圏外並みになるのは誤算でしたが、大して不自由はしませんでした。困りごとは先人のブログを読めば解決できるし、新しいモノに対する抵抗もない。
非常にのんびりした生活を送っていました。

そこへきて、例のウイルスが世間を賑わすようになってきました。
私の住む地域では、2月末にカーニバルがあります。
パレードを見に集まった観客は密そのもの。
一気に感染拡大しました。

3月にはロックダウン。
実は3月初週にイタリアへ旅行する予定でしたが、「あの」イタリアです。やむなく中止しました。

3月末には、弟の結婚式に出席するため一時帰国する予定でしたが、こちらもキャンセル。未だにキャンセル後のANAのクーポンは使えないままです。

4月に面談予定だったビザのアポも延期に。
5月から半不法滞在が始まりました。
結局、ビザが取れたのは11月。長かったなあ…

規制緩和されて週末に出かけていたことを除き
8月までの自分が何をしていたか正直覚えていません。

何もしていなかったんでしょうね。

日がな本を読んでゴロゴロ。さながら隠居生活でした。

これではまずいと思ったものの、就活しようにも言葉はできないし、会社は人を解雇している有様。

読書つながりと情報収集も兼ねて新しいツイッターアカウントを開設したのが、今の生活のすべての始まりでした。

9月~現在

人の縁とは不思議なもので、ときに欲しい情報を持つ人が然るべくタイミングで現れます。湖に斧を落として困っていたら、女神が手を差し伸べてくれるかのような出来事。

ゆりえもんさんとは、まさしくそんな出会いでした。
メール講座に登録、「女神からの問い」のごときミッション、そして最後のzoom面談。

夫以外の人と話すこと自体が久しぶりで、会話そのものが楽しかったのをよく覚えています。

以前から、自分は主役タイプじゃないと思っていました。
副委員長、副部長、運営のお目付け役、サブリーダー
ありとあらゆるナンバー2を歴任してきた私は、トップに助言したり問題点をつつく経験はそこそこありました。

0→1がニガテ
人のサポートが得意

分かる~!!
自分の特徴を端的に表現するとまさにコレ。
これなら私でもいけるかもしれないと思い
飛び込みました。

はじめてのオンラインサロンで、
3ヶ月続けられるか不安だったし
休日も変わらず日報が投稿される事にビビったし
ただドイツに住んでるだけで注目されることが申し訳なかったんです。

でも、時間がたっぷりあるのをいいことに
毎日スタンプを押しまくり、どこかしらに出没するうちに思い出したことがありました。

自分はそこそこ図太いこと。
居心地の良い環境は自分にしか作れないこと。

所詮はオンライン、合わなかったら辞める、それも自分の選択。
そう思うと気が楽になって、いつしかサロンやツイッターでの交流が生活の大半を占めるようになりました。

オフラインでは出会えなかったであろう仲間ができたことが、たまらなく嬉しいです。
帰国したらみんなに会いたい。

発信やコメントを続けることで、テキストコミュニケーションが板についてきました。これもサロンのおかげ。

ビザが取れて、オンライン秘書と名乗って仕事するイメージが湧いたこともあり、12月からオンライン秘書実践プログラムを受けています。
それと同時に、お仕事チームに誘っていただきました。

まだ1ヶ月しか経ってないことに驚くほど、お客さんと仲良くさせてもらっています。働くことが苦痛でも作業でもなく、浅いながらも考えながら仕事している実感があります。

***

チームのディレクションをするゆりえもんさんを見ていると、ひとつの縁が次の縁に、次の仕事に繋がっていく理由がよく分かります。

・即レス
・誰のコメントでも絶対拾う
・仕事の割り振りが的確で早い
・持ち帰る時は筋道を立ててから

安心感がスゴイ。これを間近で見られる環境もスゴイ。

毎日が濃密すぎて、一週間前がはるか昔のことのように感じる日々です。

これから

2021年はどうなっていたいか。
具体的には決めていません。
「オンラインで仕事する」以外のビジョンは見えてないんです。

仕事に繋げられたらいいなと思っている事はこちら。

ぼんやりとした「スキ」なこと

文章は読むのも書くのも好き
画像作成は好きになってきた
数字を見て分析するのもわりと好き
デザインに興味あり

今は興味の赴くままに色んな世界を覗いて、少しずつ絞っていければいいかなと思っています。まだ固める段階ではありません。たぶん。

何かしらのスキルを身に着けたら、意外な仕事で役立つのはよくあること。
経験の1年にしたいです。

YES or はい の心意気で。
ついでに JA(ヤー)も加えましょう。
ドイツ語の YES です。

***

私の急な変わりように、夫は面食らっているようです。
いくつ仕事があるんだっけ?と聞かれることもしばしば。
夫は私がPCを開いている間は仕事中だと思っているようですが、ごめんね。スマホでも仕事できるんだよね。

今後もずっとドイツで生活するとは限りません。
別の国に引っ越すかも知れないし、日本に戻るかもしれません。

そんな状況になっても、ネットさえあれば仕事ができる。
オンライン秘書って、私のような人間にこそピッタリな働き方なんじゃないかと思います。

ドイツの秘書だと注目してもらえるうちが華
そう思って、今日も明日もできることを積み上げていこうと思います。

おうち秘書サロンは12月末までの期間限定の予定でしたが、来年も継続することが決まりました🙌

3ヶ月も続くか不安と思っていた人間はどこへやら、来年も皆に見守ってもらいながらトライ&エラーできそうです。

今年も残すところあと1週間を切りました。
新しい環境に飛び込めた。
それだけで自分を褒めたいくらいです。
自己肯定感高くいきましょう。

来年もどうぞよろしくお願いします。

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