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「反ワクチン」
学生時代のわたしはいまでいう「反ワクチン派」でした。吉原賢ニ氏の「私憤から公憤へ―社会問題としてのワクチン禍 」(岩波新書)を読んですっかり感動し、アポもなしに直接ご自宅を訪ねたりして、いまから考えるとずいぶん迷惑だったろうと思います.
そのころは本の奥付に著者の住所などが表示されていて、まさに隔世の感ですね。吉原氏の娘さんは予防接種で重い後遺症を負い、のちに亡くなります。吉原氏はほかの親御さんといっしょに国家賠償請求訴訟をおこし、わたしもその運動をほんのすこしだけですがお手伝いしました。
吉原氏は東北大学理学部の教授で、その主張はけっしてワクチンそのものの否定ではありませんでした。ワクチンにより多くの生命が救われる、すなわち社会防衛の側面がある一方、ごく少数のひとは重篤な副作用にみまわれる。だから社会は犠牲になった少数にきちんと補償すべきだという、いまから考えてもまっとうな主張でした。
訴訟は最終的に最高裁で全面勝利となりました。それが行政を動かし、いまの健康被害救済制度に結実します。市民の運動が国家の不作為をあきらかにし社会をかえたという事実が、当時の革新政党やマスメディアには強く印象づけられました。だから最近のHPVワクチンでもコロナワクチンでも条件反射で否定してしまうのは、そのときの成功体験があまりに強烈だったからとわたしは睨んでいます。
コロナ禍のなかでの反ワクチン、反マスクの主張にはまったく賛成できるところはありませんが、しかしそれを主張するひとたちが愚かだとかトンデモだと否定しきることはできません。もしわたしが医者になって臨床を経験していなければ、まずまちがいなく反ワクチンを主張していただろうことは,学生時代の自分を鑑みてたしかです。
PCR検査についても、事前確率、すなわち症状や接触歴、流行状況によって適応をきめていくべきなどと、素人には納得しづらいことをいうのもおなじです。医者でなければ、全員にPCRして陽性者は隔離へとかんがえるか、もしかするとウイルスにPCRをすべきでない、のどちらか両極端を主張していたことでしょう。
コロナ禍の収束がみえてきましたが、これら問題にかんしては後世のためにもなんらかの形での総括はぜひおこないたいものです。「総括」だあ(笑)