
「ものみの塔」ないしは「エホバの証人」のこと
1931年の満州事変から1945年のポツダム宣言受諾までの15年戦争下の日本で,戦争を推進した軍部や官憲の強大な権力にたいし,良心的兵役拒否をふくむさまざまな抵抗をしめしたひとたちがいたことはあまり知られていません.
灯台社とよばれたキリスト者集団もそのひとつです.きわめて苛酷な軍律の統制下にある戦前の日本軍のなかで,そのような兵役拒否をするにはどれほど勇気がいったかはかりしれません.この特筆すべき抵抗の実践を生んだ灯台社はキリスト者の集団でしたが,キリスト教諸派のなかでは異端とされていました.
しかしカトリックやプロテスタントといった体制諸派は,戦争の国策に協力することによって組織を温存するのに汲々としていました.そうした状況にありながら,異端とされた灯台社が終始国家権力と妥協するのをこばみ,ついには解散を強制されて組織も壊滅状態になりながら最後まで頑強に抵抗しました.
その事実は深く銘記されなければならないでしょう.聖書の真理を尊ぶ自己の信条に忠実であろうとした灯台社のひとびとは,戦争遂行の国策に背いたということで,不敬罪や治安維持法などの罪を問われてことごとく投獄されました.ふたりの女性をふくむ多くの信者の拷問死や獄死をだしています.
灯台社の戦時下抵抗については岩波新書「兵役を拒否した日本人」にくわしく書かれています.あるときは無思想ともいわれ,あるときは「転向」があたりまえのようにおきる日本人において,なぜこのような思想史上の例外的な現象がみられたのでしょうか?
アメリカでおこったキリスト教改革運動である「ウォッチタワー」日本支部であつた灯台社は,のちに「ものみの塔」あるいは「エホバの証人」と呼ばれるようになります.
さてここからの話です.われわれ医者にとっては,輸血拒否のエホバの証人はいつも悩ましい相手であり,とくに外科系にとっては不倶戴天の仇といってもいいかもしれません.エホバで苦労したことのない外科系医師はおそらくいないのではないでしょうか.子どもの輸血を拒否して死にいたらしめるなどは狂気の沙汰としか思えないのです.
またカルト宗教として社会的にいろいろとトラブルをおこしているのは有名です.このマンガは,小さいころから母親に入信させられた女性が,25年間かかってようやく信仰から脱出することができた壮絶な体験記です.とてもおもしろいのでぜひ一読をお勧めします.

戦時下のの国家ぐるみといっていい狂気と圧政のしたで,最後まで理性と良心をたもって抵抗できたのは,非転向をつらぬいた一部の共産主義者と,エホバの証人のグループであったことはいろいろな意味で示唆的です.
絶対的権威としての天皇主義に対抗できたのは,別の絶対的価値観を奉じるイデオロギーであったこと.敗戦による解放後は紆余曲折の末,いずれも一種のカルトに化していったこと.わたしたちの思想の立つところ,自由への希求はどこに根拠をおくべきなのでしょうか? それは原理的に不可能なのでしょうか?