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妊婦全員へのHIVスクリーニングに疑問

妊婦健診ではさまざまな検査をされますが,そのひとつにAIDSの原因となるHIVのスクリーニングがあります.妊婦全員への公費によるこの検査には意義があるのでしょうか.この検査により全国で毎年30人くらいのHIV陽性の妊婦さんがみつかりますが,その多くはすでにそのことがわかっているかたがたです.

このスクリーニングによってHIV感染がはじめてみつかる妊婦さんは,そのなかの4分の1くらいの7-8人程度です.ほかの3/4はすでに治療がなされている女性があらたに妊娠されたなどの事情です.年間80万人の妊婦さん全員が検査を受け,7-8人の新規HIV患者をみつけることのコストベネフィットはどうなのか?

有病率の低い集団に検査をおこなうと,感度特異度が高くても偽陽性が多く,陽性的中率もきわめて低くなります.この場合,陽性者のうち真のHIV保有者は1%以下と推測されます.99%以上は偽陽性にもかかわらず,告知におそれおののいたことは容易に想像されます.夫婦関係への深刻な影響も知られています.

たしかにHIV真陽性の妊婦さんにたいする治療や発症予防法は確立していて,仮に見つかった場合の妊婦さんや,とくに新生児へのメリットは高いことは医学的事実です.だから感染症の専門家はかならずおこなうべきだと言います.このことは成人T細胞白血病の原因ウイルスのHTLV-1でも事情はほぼ同じです.

しかし産科医は,妊婦さんが非常にデリケートな存在であることは骨身にしみています.出生前診断や妊娠中の薬や放射線といったさまざまな訴えに接したとき,それがいかに不合理な不安や心配であっても,理性的な説明や説得がつうじない場面に遭遇します.最後は妊婦さんの気持によりそうしかないのです.

だからわたしには,HIVの全例スクリーニングを公費でおこなうことには疑問があります.年間7-8人の新規患者をみつけだすために80万人の検査に莫大な費用をつぎこんで,さらに真陽性者の何百倍の妊婦さんをよけいな不安や葛藤のなかにたたきこむようなスクリーニング検査にたいして強い抵抗を覚えます.

なにもないご夫婦が離婚したり,無辜の胎児が中絶されたりといった,いかにも世の不条理を産科医は目の当たりにせざるをえません.スクリーニングがいかに学問的,理性的に意義のあることであったとしても,妊婦健診というたいせつな見守りの場を,その機会や手段にしないでほしいと訴えたくなります.

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