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コロナパンデミック初期に書いた文章

以下の文章はコロナパンデミックがはじまった初期の2020年4月29日に,X(当時ツイッター)に書いた文章です.いま振りかえってみて,コロナのときに恥ずかしくない行動をとれたかどうか.覚書としてここに残しておきます.
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なぜか最近はリプが荒れ気味ですが,以下の文章は周産期のなかまたち限定へのメッセージです.10年ちかく前の大震災と原発事故のときは,正直いってわたしは茫然としてしまいました.なにをしていいのかわからなかったのです.しかしなすべきことをすぐになしたひとたちもいたことをあとから知りました.

それは医師として,人間としてどの程度覚悟をもっていたかの問題だったような気がします.わたしがいまやるべきことがおぼろげにわかって,それに集中できるようになるには数日が必要でした.それまでのあいだうろたえたり無責任な言動をしたりしたことはいま思いだすとほんとうに恥ずかしいかぎりです.

今回はあとでふりかえって恥ずかしくない選択をしたいと願っています.これからどんな状況がまちかまえているかは予断をゆるしません.もちろん震災と原発事故のあとの医療と,徐々にせまるウイルスパンデミック下での医療はおおきく異なることしょう.それでも思いつくことをいくつかあげてみます.

ひとつは分娩はどんな過酷な状況でも待ってくれないこと,産科は究極の救急医療であることです.他の分野では通常診療をすべて止めて対応できます.しかし産科だけはそうはいかない.どんなときも対応しなければならないことにあらためて覚悟は必要です.覚悟さえすればたいていのことは乗りきれます.

もうひとつは自分をたいせつにすること.震災直後は事態がよくわからず,ただただ緊張していました.病院に何日も泊まりこみ,自分で自分を追いこんでいたような気がします.感情の振れがおおきくなり,ちょっとしたことで興奮したり,怒ったり,涙が流れてきたりしていたことをここで告白しておきます.

とにかく休むこと.当番でないときは家に帰ること,家族とすごすこと,腹一杯食べてぐっすり眠ること,そういったあたりまえのことで次の日もよく働けるのです.同様にまわりのひとたちもたいせつにして休ませてあげてください.しかし今回は家族への感染リスクがとても残酷に思えてしかたないのです.

最後に,困難な状況をのりきるのにたいせつなのは適度のユーモアです.あとは音楽や文学といったものかなあ.アウシュビッツ収容所の極限状態においてひとびとを救ったのはユーモアであり,ヴィクトール・フランクは「ユーモアは自分を見失わないための魂の武器だ」と書いています(「夜と霧」).

「音楽とか文学といったものは,いわばまやかしだ.だとしても,それは生きるためのまやかしだ.生きるためにはこのような姿勢もありうるのだ」.わたしの個人的体験であり,今回の役にたつかおぼつかないですが,一応参考までに書きました.みなで情報を交換し,声をかけあいながらがんばっていこう.

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