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20241107
意味からの解放。
今日行った前野健太のワンマンライブにタイトルをつけるとしたら、これが近しいだろう。
僕らは無意識でも意識下でも意味に縛られすぎている。
そんな雁字搦めになった僕たちを、前野健太という男は軽やかに、まるでスルッと蝶々結びの紐を解くように自由にさせてくれる。
彼のライブには、そんな魔法がある気がする。
前野健太のワンマンライブに行くのは、もう何度目か数え切れない。
吉祥寺のライブハウス・MANDA-LA2では何度も観たが、今夜は同じ吉祥寺でも、武蔵野公会堂というホールだった。
ライブハウスと違ってホールで観る前野健太は、どことなく緊張感が客席に漂っていた。
まぁ急に寒くなったり年季の入ったホールの薄暗い照明のせいでもあるのだろうが。
そんな緊張感の中、彼はMCや楽曲の歌詞の端々に無意味なくだらなさを忍び込ませて、僕たちを笑わせてくれる。
私が彼のライブに足繁く通っているのは、このくだらなさを浴びたいからというのが大きい。
日常生活を営むだけで、どうしても意味に絡め取られてしまうような昨今。
答えの出ない問いや、あの日の行動の意味とかを探っているうちに窮屈になる、そんな自分を彼の歌で解放しているのだと思う。
ギター1本で歌うステージは、ごまかしが効かない。MCで滑っても誰も助けてくれない。(まぁ滑ってるマエケンも好きなのだが笑。)
今日のライブの前半は、独特な緊張感があったが、徐々に一緒に歌ったり、手拍子をしたりと、どんどんオーディエンスの力が抜けていって一体となっている感じがあった。
アンコールではもはやお馴染みの客席まで降りてきて、マイクすら通さない生歌とギター演奏。
たまたま通路側だったので、数センチ隣にギターを抱えたマエケンがいて、その臨場感と言ったら!
個人的にはライブハウスで観るほうが、親密度が高くて好きなのだが、たまにはこういうホールで観るのも、宗教の集会っぽくて良い笑。
昨今は1人で弾き語りのライブが多い前野健太。
そろそろバンドセットでのライブも恋しくなってきたな。バンドセットでは、もうしばらく観てないかもしれない。
MCの中で彼は「どっちかが死ぬまでやっていく」という旨の発言をしていて、あぁ、こうやって推す推されるの関係を飛び越えて、なんか同志というかパートナー的な感じで、彼と並走していく人生も楽しそうだな、と思う。
そう。彼のライブを観ていると、アーティストVS客という感じじゃなくて、アーティストVSアーティスト(観客もアーティストの一部みたいな)っていう感じがしてくるから不思議だ。
まるで自分が前野健太になっているかのような、同一化現象。
目線がお客さんに近い。というか、もう同じ人間だよね!私とあなたは同じグループ!みたいな気持ちになるから面白い。
この一体感が心地よくて、彼のライブに通っているのかもしれない。
来年10月まで先日発売したアルバム『営業中』のレコ発ツアーをやるらしいので、また機会があったら行こうと思う、というか、もう導かれようと思う(ますます宗教っぽい笑)。