映画『杜人』
丁寧さを感じるものが
世の中増えることで、
自分を活かせるモノ、コトが増えていく。
それが、多様な人を認め合うことにつながる。
と思い描いているムロです♡
障がい福祉に入職した時、上司が当時、子どもにどんな仕事?と言われ「【人間を治す仕事】だよ。」と返答した。というそんな会話があった。
区分6 強度障害の人を部屋に閉じ込めておく施設での実習をした私にとって、同じような困りごとをしている人が給湯器の解体を大きな工具を持ってしている。ラジカセを解体している。
その汗水垂らして働く彼らをみて、人間をなおす仕事という言葉はすんなり入ったことを思い出す。そんな仕事っぷりをする彼らとの向き合いは、とってもハード。
そもそも、私は生活の営みは軽視していた。
どこにでも食べるところはある。寝るところもある。なぜ同じリズムで生活をするのか?その意味は分からなかった。
楽しいことだけしてれば、いいじゃん!と今思えば、そこには幸福度はなかった。
彼らの支援をする上では何時に朝食、何時には仕事、何時には寝ると、決まった生活リズムがあった。それに合わせて、支援…かったるさもあった。
けれど、そのリズムの中で表情が変わる彼ら。うまく言葉にできないけど、皆不信から信じてくれるそんな姿勢があった。
矢野さんの凛とした姿は当時の上司に似ていた。
原因を取り除くこと。正す。修正。
その言葉の捉え方が
問題を正すんだ!と究極な偏りになった時、
私自身が不審となり世界は敵になることがあった。
自分の心地よさを探しに出ると、孤立という寂しさに偏る…
助ける、正す…皆同じことをしたいと思っている人は多い。その言葉を的確に捉え、実践しているひとは少ないように思う。
矢野さんの姿勢を見て、
【澱みを抜けさせる】
見極める視点、全体を見る視点。自然の摂理を感じる視点。
上司の凄さは矢野さんと似た
流れを変えるという再生であったのだと
映画を見ながら振り返る。
草木と人間の世界は同じだ。すぐに結果がでない時間をかけて丁寧に見ていくそのプロセスも。
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