「なんで」を求めるのはなんで?
「なんで」と言われて困ったことはありませんか?
「なんで」この会社で働きたいの?
「なんで」結婚しないの?
「なんで」生きるの?
あらゆることに「なんで」が求められる時代だなと感じます。
どんな場面でも「なんで」から逃れることはできません。
そして、世間という枠にハマるように自分の感情を変形させ、言語化する必要があります。
世間が求める「なんで」への正しい解が出せないと「社会不適合」の烙印を押されてしまうからです。
本音という原石は跡形もありません。
いずれ最初の形すらも忘れ去ってしまいます。
しかし、生きることに真っ当な理由なんて必要なのか疑問に感じます。
例えば、江戸時代の人々は「なんで」に悩むことは少なかったでしょう。
良くも悪くも出自が人生を左右します。
自分の人生に理由付けをする必要がなく、
ただ目の前を懸命に生きていたと思います。
一方で現代は人生の選択肢が豊富です。
誰といるか、何をするか、どう暮らすか。
自分に合った生き方ができること自体は素敵です。
しかし納得いく理由を用意できることが必須条件になりました。
典型的な例が就活でしょう。
「なんで」我が社を選んだのですか?
「なんで」前職を退職したのですか?
就活はいわば、なんでへの上手い返しを考えよう選手権です。
だが本音を言えば、べつに大した理由なんてない。
なんとなく合いそうだったから応募した。
ただ辛かったから辞めた。
本音じゃなく嘘の正解を話さなければいけないから、就活は辛いのでしょう。
「なんで」は自分と他者を理解するうえで大切な疑問だと思います。
しかし全ての言動に意味があるという前提は窮屈です。
人を好きになるのに理由なんかないように、大体のことは感情が無意識に判断していると感じます。
年収・見た目・性格を熟慮して、正しい恋人を選ぶ恋愛は本当に楽しいのでしょうか。
なんかわかんないけど好き。
本当に大切な感情ほど、理由がないことが多いです。
私たちはもっと直感的に生きてもいいと思います。
自分の感情に対して、誰かの許可を得る必要なんてありません。
何を感じてもいいし、何も感じなくてもいい。
もっともらしい理由なんていらない。
それに対して負い目を感じる必要もない。
嫌だから嫌!好きだから好き!
本音の感情こそ、何よりも説得力のある理由になります。
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