大切なことはみんな柘植先生が教えてくれた

懲りもせず、毎晩、ドラマの最終回を見ている。見逃し配信がある世界でよかった。そして、チェリまほのハッシュタグから同志を探しに行く。

ある日、SNS上のたくさんの感想の中に『最幸』という二文字をみつけて、なんて素敵な言葉だろうと、しみじみ眺めてしまった。

何かと比較して一番良いとかではなく、自分にとって最も幸せと言っているようなこの言葉は、本当にこのドラマにふさわしいと思ったのだ。

最終回まで自分でも引くほどに何度も見たこのドラマに教えてもらったことは2つある。

俺はお前を絶対にバカにしない、笑わない。

何かに打ち込んで頑張っている人も、それを応援する人や見守っている人も、又、一生懸命だ。何か結果を出したい、誰かにわかってもらいたいともがく様は、興味のない人や経験のない者にとっては滑稽な事が多い。でも、誰かにとっての何かは、自分にとっての何かでもある。それを馬鹿にすることは、回り回って自分を馬鹿にしていることでもある。つい、引きすぎた位置から人を見てしまう自分を反省してしまった。時には輪の中に入って自分も一生懸命やるほうがきっと最幸だ。六角と藤崎さんがあげる花火を見ていて、そう思った。

自分の心にもちゃんと触れてみろ。

空気を読むだとか、求められる人になるとか、なんでこんなに他人の価値観にばかりあわせる世の中をいきることになってたのだろうか。きっと、その方が楽だからなのだろう。

自分の価値観を持つということは、自分がしたいことやその実現方法を自分で決めていかなくてはいけない。そして結果は自分で受け止めなければならない。誰のせいにもできない。その過程はとても面倒で、結果にはいつも未熟な自分と向き合わされることになりしんどくて、できれば逃げていたい。
安達もそうして逃げてきていた。好きな物に囲まれた物の多い安達の部屋は他人に合わせることに疲れた時に逃げ込む巣のようだった。でも、黒沢との関係を一歩進めたことにより、あの部屋はもう安達を慰めてくれる巣ではなくなった。そこに黒沢が足りないからだ。だから、段々廃墟のようになっていく。
そんな巣の中にいても「元の俺」には戻れない安達を向き合うべき現実に引摺り出してくれたのは、柘植先生だった。ドアを開けて(柘植ぇ~)とすがり付くような表情をしたのは、安達自身、こんな自分をどうにかしたいと思うようになっていたからなのだろう。

落ち着いて回りを眺めてみれば、決して一人で生きていたわけではなく、ここぞというときに背中を押してくれる人がちゃんといる。そういう暖かい人間関係を作れることは安達の素敵なところだ。
そういう人たちの存在に気づけるようになって、やっと、もう一歩踏み出した安達。彼はゆっくりじっくりの人だ。まわりとペースが違うことのせいで自己評価が低かったのだろう。比べなくてもいいことまで比べて勝手に落ち込んでとじ込もっていたのだろう。

自分と向き合う覚悟を決めた安達はとても素敵だった。黒沢に目を奪われていた豊川の女子社員は自分の目が節穴だったことに気づくことになるに違いない。

思えば、この夏、別のドラマのエンディングでも米津玄師が歌っていた。

お前はどうしたい?返事はいらない。

誰にも等しく死が身近に感じられる世の中となって、惰性で転がるように動いてきたものを一旦停止して、やっと、自分に目を向けられる時間を得た一年だったと思う。そんなときに、自分と向き合う一歩を自分のペースで踏み出す主人公のドラマに出逢えて、最幸だ。

それにしても、柘植先生いいこと言うよなぁ。土下座二回の経験がある人の言葉は違うな。最終回の衣装は、赤鼻のトナカイかサンタのようだったから、あれが安達へのクリスマスプレゼントだったのかも知れない。


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