子供の未来は子供のもの

どこにも出掛けないですむ正月休みなのをいいことに、見逃し配信で、しつこくチェリまほの12話目を見ていたら、だんだんドラマを見る目が清の母ちゃん目線になってしまった。

30歳にもなろうというのに彼女を連れて帰ってくることはおろか、誰かと付き合っている感じもしなかった一人息子(勝手にそう設定)が、突然超イケメンのパートナーと帰ってきたら、どうするだろうか?

清が黒沢の心の声を聞いて『俺‥?』と思ったように、清の母も又、『なんで、うちの子?』と思うんじゃないか。

でも、黒沢は全力で清の家族も愛そうとしてくれるだろうし、営業で培った技術とナチュラルボーンスマイルを駆使してアピールしてくれるだろうから、まずほとんどの母親は数時間で陥落することになるだろう。
そして帰り際には、幸せ一杯の二人を眺めて、これで我が子は完全に親離れかと思うのだろう。更に我が子二人の未来に待ち受けるイバラの道と、孫は期待できないことを少しでも考えてしまう己の欲深さにどんよりしてしまうのだろう。

世間の普通に負けたらだめよ

こんなときに、同じテレビ東京でやっていたドラマ『ハルとアオのお弁当箱』で見たハルちゃんの母のようなセリフが言えたら格好いいのに。もし私が黒沢に声をかけるとしたらなんと言うだろうか。

『もし、清と喧嘩したら愚痴言いに来ていいからね』位か?言えるかな。言えないかな‥‥。

あれほどのハッピーエンドにも関わらず、あり得ない妄想の果てに勝手にどんよりした気分になってしまった。オープニングテーマをフルで聞いて初心に帰ろう(?)と、見逃し配信を閉じ、YouTubeを開く。omoinotakeの『産声』を歌詞を眺めながら何度かリピートして、やっと目が覚めた。

未来はまだ不確かでいい

そうだった。子供の未来は子供のものなのだ。親のものじゃなかった。だから、私の価値観や今の世の中の当たり前で子供の未来を推し量って勝手に心配しても意味がないのだ。十年後、五年後、もう明日にだって、何が起こっているかわからないんだし、実際、去年の今頃当たり前だったことは、今当たり前ではないじゃないか。

あやうく、ロミオとジュリエットを悲劇にした大人みたいになるところだった。

彼らの未来は彼らがつくっていくのだ。親にできることなど知れている。ここぞというときに背中を押してあげられればいい方なのだ。たいていは、ただ見守っていることしかできない。それでいいはずだ。

それに、そもそも、フィクションで、私、清の母ちゃんでもないし。

大事な事を思い出させてもらったお礼に、課金しよう。CDポチりました。明後日あたり届くはずです。

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