いろいろ、色々。

私の息子には色覚異常がある。色の見え方が私とは違う。

この遺伝があることは、小学校の検診で眼科を受診するようにというプリントを持ち帰ってきてわかった。母から「あなたもそういう遺伝子を持っているかもよ」と言われていたのでさほど驚きはしなかったが、そういえば・・・と思うことは多々あった。

たとえば、6歳くらいまで、色鉛筆やクレヨンは特定の色だけ使っていた。最初は黄色。持てなくなるくらいまで小さくなると次は緑。塗り絵の線や枠は全て無視して、一色で塗りたくる。途中で面倒になるのか、疲れるのか、元の絵を大きくはみ出して塗ったことだけを残そうとするような線が残っていて、塗り絵を与えたことを後悔するような紙が残っていた。

保育園では、画用紙一面に真っ赤な消防車を描いて園長先生に褒めていただいたこともある。こどもらしい勢いのあるいい絵だと思います、と。確かに画面いっぱいの消防車は、こどもにとっての消防車の大きさをあらわしているようだったし、画面いっぱい使える度胸の良さがこの子の持ち味なのかと思ったが、同時に、また1色だな、とも思っていた。

小学生になると、さすがに色数は増えた。かわりに画面いっぱいを使うことはなくなった。朝顔観察日記の葉っぱは緑で塗っていたし、夏休みの宿題の海の絵では、ちんあなごは白と黒、海の色は青、で塗っていた。しかし、学年が上がるごとに彼の絵はどんどん小さくなっていく。

3年生になっても、画面のすみにちんあなごを描いて夏休みの宿題を乗り切ろうとしていたのを見て、ついに、口を出してしまった。「せっかく水族館に行ってサメを見てきたのだからサメを描こうよ」、と。水族館でとったサメの写真を印刷しこれを見て描きなさいというと、筆も口もぴたっと止まってしまった。私はこれをやる気を失わせてしまったのだと思っていた。

学校で描く絵はどんどん訳のわからない絵になっていく。保育園のときがピーク?と言いたくなるように。上も下もわからないようなものを持ち帰る。しかし、大好きなウルトラマンの白黒のフレークシールの模写は完璧だ。好きな物だけ細かく見て描く気が出るのかと思っていた。

着る服もどんどん固定されていくようになった。柄のあるものは、どんな柄でも嫌だといって着ない。キャラクターが恥ずかしいのかと思っていたが、そうでもなかった。無地がいい。灰色がいい、柄のある服は気持ち悪い、とずっと言い続ける。お買い物する側としては、たいへん面白くない。できれば色々選びたい。しかし着てもらえないものを買う訳にもいかない。

私だけが勝手にいらいらする状況は、小学校からのプリント1枚で解決された。そうだったのか。それが原因だったのか。

眼科を受診すると、「色弱と呼ばれる程度の色覚異常で、日常生活には問題はありません。なれない職業が一部まだありますが、大丈夫、医者にはなれます!」との診断だった。先生、お医者様には別の理由でなりづらい気がしますが、なりたいと強く願ってもなれないものが少しだけしかないというのは安心します。

そして、私は大いに反省した。私が見て面白いじゃんと思った柄のある服は彼には気持ち悪いのだ。同じように見えてはいないのだから。水もサメも同じような色のぼやけた写真からでは、輪郭を描くことはできないのだ。

自分が見えているものが相手も同じように見えていると思っていてはいけなかったのだ。それだけのことに気づくのにずいぶんかかってしまった。ヒントはいくつもあったのに。

彼が見ている色の世界はどんななのだろうか。言語化してくれる時がくるのだろうか。今、たくさん本を読むようになった彼には、それを期待している。言葉で伝えてもらえたら、私のいろの世界ももっと広がるに違いない。





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