かつてカカシだったわたしへ
0か100か、白か黒か。
はっきりさせることが好きだ。
昔からそうだった。
世の中は全て、右か左か、イエスかノーかで表せると思ってたし、どうして表さないのか不思議だった。
2人が衝突したら廊下を走ったやつが悪い。この子は好きだしあの子は嫌い。
悪いやつと、悪くないやつ。正しい人と間違ってる人。
わたしの世界にはその2人だけしか存在しなかった。
無駄なことなんていらない。
目的地には必ず最短の道でたどり着きたい。
石の上にも3年なんて馬鹿馬鹿しい。
感情だって最低限でいい。特にマイナスな感情、怒ったり、悲しんだりする必要はない。
期待がそれを引き起こすのであれば、はなから期待しなければいい。
「こうすればいいじゃん」が口癖だった。
好きだったから選んだし、嫌いだからそこから逃げた。
「上司が嫌で」「毎日同じことでつまらない」とため息をつく友だちに、いつも全力で相談に乗った。
でも、その子たちがアクションを起こすことはなかった。
「愚痴を言いたいだけ」だったと知るまでに相当な時間を要したし、いまだにその気持ちはよくわからない。
これが男性脳だとか理系だとか、ラベリングはどうでもいいけれど、2択しかないシンプルでコントラストがはっきりした世界は、当時のわたしにとって光り輝く魅力的な場所だった。
特に、親元を離れ成人してひとりで強く生きていると錯覚してからは、色鮮やかなその世界により一層魅せられ、第一線で活躍するヒーローたちの甘くて力強い言葉に陶酔した。
言い換えれば、色の混ざった輪郭のない、どっちつかずな世界を、あたかも存在すらないかのように振る舞っていた。
くっきり国の住人になったわたしは、白と黒しかないくっきり語をネイティブさながら流暢に話した。
「AならばBすればいい」と、解がひとつしかない数式をあざやかに解くかのようだった。
この言語で通じ合える人は、予想に反して多くはなかった。
友だちから「すごい」「かっこいい」とポジティブな言葉はもらえても、どこか違う世界の人だと思われている感覚があった。
いつしか過ごす環境が少しずつ変わっていった。
好きな世界に行けることが嬉しい反面、虚しい気持ちに襲われる瞬間も多々あった。
どうやらくっきり語は太く、鋭いようだった。
非常にもっともらしく正義を掲げ、他の言語をかき消すかのように響き渡った。
相手を力づける時もあれば、その力のあまり相手を圧倒し、吹き飛ばしてしまう時もあった。
わたしは、知らぬ間に冷たく荒々しい人間になっていくようだった。
でも、わたしは間違っていなかった。
くっきり語で伝えてあげることが、彼らのためだった。
だって、1+1は2なのだから。
なのに、それを聞いた彼らは浮かない表情のままだった。
それがなぜかわからなかったが、彼らとの温度差が生まれていることだけは感じられた。
くっきり国の住人であるわたしは、たとえそこに雨が降っても、風が吹いても顔色ひとつ変えず、そこから一歩も動かないカカシのようだった。
解はひとつなのだから、その一点に強く立っていればいい。その場に真っ直ぐ、決してぶれないように踏ん張っていた。
カカシでいることが、強いことだと思っていた。
実は、くっきり国に憧れるずっと前から、わたしはカカシだった。
それは、自分を守る鎧だった。
別にいじめられていたわけでも、アンチがいる大スターでもない、ごく普通の家庭の普通の女の子で、いわゆる繊細さんなのか、そうじゃないのかも自分ではわからないけど。
夕方の胸を締め付けられるようなニュースに耳を塞いだり。
何気なく発された心ない発言にうなされたり。
とにかく、怖がりで、震えながら生きていた。
そんなわたしは、わたしを守るために、幼いながらにカカシになることを選んだ。
嫌なことや苦手なものから顔を背け、その場に立ち続けた。なにが起きても動じないように、感性を自ら麻痺させた。
そうこうしていたら、雨が降っても、風が吹いても顔色ひとつ変えない、見事なカカシが完成していた。
そんなわたしに、くっきり国は、カカシでいることの大義名分をくれた。
ここには、白か黒かしかないし、無駄なことはしなくていい。自分を肯定されたようで嬉しかった。
自分を守る鎧だったはずのカカシが、自分を強く見せるための矛に代わったのは、その時だった。
カカシとして強いはずのわたしが、いくら矛を振り回しても手応えのない場所があった。
そこは、くっきり国とは正反対、ぼんやりとピントの甘い世界だった。
でも、なぜだか、そこに惹かれていく自分がいた。
そこは、深くて、温かかった。
じんわりと、あたたかくて安心できる、母のような場所だった。
住人たちは、悲しいことがあったら、まっすぐに涙を流していた。
たとえ答えがなくても、共に悩んでいた。
そこは、白でも、黒でもなかった。
柔らかくて、あたたかくて、そして強かった。
徐々に、ピントが合ってきた。
その世界の豊かな色が、じんわりと染み込んできた。
ぼんやりしていたのは、わたしが尖った矛でしか物を見ていなかったからだった。
そこは、イエスでもノーでもなかったが、何よりも芯が強かった。
その世界を見つめていると、答えを求めることではなく、今をまっすぐに受け入れることが本当に強いことだと気づいた。
ふと鏡をみると、苦しそうに肩肘張って、息を止めて踏ん張っている自分が見えた。
ちっぽけで、貧相で、いつかぽっきりと折れてしまいそうだった。
柔らかく、しなやかな強度が欲しいと、心から願った。
自分のカカシ姿がみじめで否定してしまいそうだったが、そんなふうに冷たいくっきり語を使うのはこの日からやめた。
とはいえ、カカシはカカシ。
急にしなやかにはなれないけれど、まずは風にそよいでみることにした。
次の日は、さざ波に乗ってみた。
その次の日は、雨に降られてみた。
もちろん、今でも難しい。
でも、徐々に、自分の柔らかいところを、柔らかいままさらせるようになっていった。
はっきりさせることは、今でも好きだ。
だって、これがわたしだし、いいことも悪いこともあるけど、仕方がない。
そして、こんなふうに、
白黒つけない自分も、今では好きだ。