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特別な友情関係
僕には知音がいる。
この言葉を聴いても僕の周りには、この言葉の意味を知ってる人はいない。
知音(ちいん)とは、
"相手の行動や言動など、あらゆる音の情報により、相手と自分自身の考えや状態等を互いに分かり合える存在を言う"
音という漢字に関しては、英語表記で言うと「sense (感覚)」に近いものがある。
そもそもこの言葉を知ったきっかけは中学3年生の頃、帰りのHRの時間に僕の担任でもあり恩師が友情関係の仕組みについて教えてくれたのだ。
その瞬間を僕は今でも鮮明に覚えていて、実際に細かく説明させてもらうと、
友情関係には6つの分類がある。
『他人』 "全く繋がりの無い人"
『知り合い』 "顔だけ知ってる人"
『友達』 "文字通り友達の人"
『親友』 "親しい仲の人"
『信友』 "信用、信頼し合える人"
『知音』 "第六感で分かり合える人"
それから僕にとっての友情関係というものの見方が変わった。
当時15歳であった僕は、「いつの日か知音なる存在が現れてくれたらなぁ〜」と、淡い期待と強い興味に惹かれて、気付けば長らく探し求めていた。
そして、22歳の夏。
7年間、探し求めていた存在に出会ったのだ。
出会いは、友達に誘われた無人島生活をリアルに体験出来るコミュニティに参加した時のこと。ほとんどが顔も名前も知らない中でもあった。
そして、彼に近づき挨拶を交わす。が、ものすごく素っ気ない態度を取られたため、彼は僕に興味が無いものだと判断した。
事後談になるが、彼は僕とのファーストコンタクトを覚えていないと言う。そのくらいあっさりした出会いでもあった。
この無人島生活を終えてから本格的に僕等の知音への旅路が始まった。
頻繁に会うようにもなり、お互いを徐々に知っていくのだが、
生まれ故郷も、バックグラウンドも互いが持つ知識や経験も何もかもが正反対なことに気付く。それと同時に魅力や尊敬、互いの言葉に耳を傾けたくなる。そんな存在度合いが大きくなる一方でもあった。
そんなある日、2人で東北一周車旅を約二週間掛けてすることになった。
この旅中は、四六時中、嫌でも一緒にいることになるだろうし、もしどちらか片方でも限界が来た時は、一生の解散をする瞬間であったと思う。
そんな旅の中盤、山形にて真夜中に足湯に浸かりながら、僕が思う友情関係の話を持ち出した。
その時、彼の中で知音という関係性の本当の意味だったり、僕が彼に対して抱いている友情関係の中でも特別な存在だと言うことも伝えた。
あの時の彼は、真夜中にも関わらず大きな声で足湯に浸かりながら大興奮してたのを今でも覚えている。
そして旅は大成功。
旅の別れ際、彼は泣くほど嬉しかったと後から聞いた。
実際、僕も同じくらい嬉しかった。
と同時に恩師への感謝の気持ちも大きかった。
最近は中々会うことが難しいが、頻繁に連絡は取れている。が、やはり直接会って会話をしたいのだと毎度思う。
現在進行形で、彼とは知音であるし特別な存在には代わりない。だが、知音になったからゴールって訳でもないし、これまでもこれからも互いの友情をさらに深めていくことが可能な限り、追求していきたいと心から願っている。