時間というものが強い意味を持つことくらい知っている。それを否定するつもりもないし、僕自身、そう考えている。 長らく温めた思いは強くなっていくし、愛着だって芽生えていく。信用とか信頼だとか、そういったものは時間を費やしてでしか築いていくことができないのかもしれない。 ゆっくり、ゆっくりと過ぎていく時間のなかでしか、その流れに乗っかってでしか、僕らは真に理解し影響し合うことが適わないのだ。 本質とはそういったところに存在し、それをそれを積み重ねることでようやく、自分という
たとえば、です。ある男が、もう十数年にも渡ってひとりの女性を愛していたとします。男が彼女と出逢ったのは、まったくの偶然でした。 その日、男の知人が出演するライブハウスで、対バンを組んでいたのが彼女でした。男は普段から会場に通っていたわけでもなく、むしろ、どちらかと言えば苦手な空間でした。 本当に、たまたま気まぐれのようにして足を運んだライブハウス。そのステージで歌う彼女の姿を見て、男は魂が揺さぶられるような感覚を覚えました。 大袈裟に聞こえるかもしれませんが、それまで
僕のなかにはたくさんの『ボク』がいて、それらがまるで、たった一つの意識下に集約されているみたいに振る舞って生きている。イワシの群遊みたいなものだ。それぞれのボクは違うことを考えているはずなのに、理性や感情といったものにコントロールされ、その殻を突き破って抜け出すことはない。 僕のなかの、たくさんのボク。今、こうして思考を巡らせている僕も、この身体に宿ったわずか一つの『個』にすぎないのだ。 いつか、聞いたことがある。あれは珍しく上機嫌な親父に連れられ、水族館へ遊びに出掛け