静かに定まる思念―高野公一句集『羽のある亀』
高野公一氏の第三句集である。
1998年に「山河俳句会」入会。2004年に「山河賞」を受賞。
俳句の創作だけでなく、俳句評論でも2015年に第35回現代俳句評論賞を受賞している俳句評論家でもある。
近年「現代俳句」に発表された芭蕉の「奥の細道」の論考で、芭蕉が自分の俳諧としての思想を確立した「瞬間」を、「奥の細道」を丹念に読み込むことで論証した論考は圧巻だった。
この句集は高野公一氏の熟達の技と、静かに定まる思念に満ちている。高野公一氏のこの句集に寄せる思いを句集「あとがき」から、以下に抜粋する。
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俳句と共にあった時間は、今、思いついたことだが、亀に生えた羽のようなものだったのかもしれない。太古の記憶を探り、遠い先の時間を感じ取り、飛べないと知りながら、羽ばたく真似をする。そして、何時かは飛べるかもしれないと思ったりする。そうしながら、今、ここに在る限られた時間を、その時を共にする、身近に存在するあらゆるものと挨拶を交わす。俳句はわたしにとってそんなものだったように思われて来る。
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以下、特に印象に残った俳句を摘録しつつ、数句について鑑賞コメントを添えさせていただこう。
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「鏡餅」の章から
蝶が影失う空のはじめかな
「影を失う」というのは、植物に添うように飛んでいる蝶の、植物や地面に映じていた影が消えたように見える高度を上げた瞬間の表現だろう。それを「空のはじめ」と捉える視座が尋常ではない。そのことを契機として読者の心の中に、ある種の解放感のような感慨が沸き起こる。「影」ということばが、自分という個に纏わる諸々のしがらみに感じられてきて、そこから抜け出して、誰のものでもない共有空間の広々とした世界に飛び立つような爽快感を感じる句である。
手にふれてこの世のものとなる蛍
どうやら螢は「この世のもの」ではない、彼岸の灯だったようだ。人の手に触れることで「この世のもの」となったというのである。
行きすぎてから立ち止まる敗戦日
「行く」前に立ち止まるべきだったのだ。国土を瓦礫の山にしないと「立ち止まれない」この国の国民の業が静かに批判されている。
「玉葱」の章から
青虫の死後に夕空きらきらす
黄落をどこにもいないひとといる
「どこにもいない」という言葉で、常に自分の心の中にいる死者たちに光が当てられている。
梟の吹かれて神になりすます
「吹かれて」の置き方がすごい。
「冬鴎」の章から
菜の花に近づく人のみな昏し
初夏を全裸の鯉の跳ね上がる
億年の層に日の射す緑かな
死んでいる時間コスモスまた咲くよ
死者たちの死後の長い時間が詠まれることで、わたしたち生者の持ち時間の短さが際立つ表現である。
澄みきって水みずいろを損なわず
穂すすきの上に海ある故郷かな
わたしが今住む三浦半島の畑台地から、房総半島を対岸にした浦賀水道とそっくりの景だ。わたしの故郷は九州本土から天草諸島を対岸にみる「失われた故郷」である。戦後の日本人の大方が故郷を失って彷徨う放浪の民だったといえるだろう。
冬岬忘れられたるもの静か
時満ちることなし山に雪残る
生者の「時間」は流れたり満ちたりもする。だが死者たちの「時間」は永遠に溜りつづけて流れたり満ちたりはしない。「山に雪残る」の置かれ方がすごい句だ。
一通は冬青空に行きしまま
だれにも宛先のない心の手紙が仕舞われている。それを今、「青空」に向かって放ったのに違いない。
「ふる雪」の章から
手に触れて南瓜の花の遠さかな
飛ぶという未完のかたち秋の蝶
生きるということの永遠の「未完」性を見事な造形句にしあげた力量に感嘆するほかはない。
朧月海の中から手が伸びる
海は厖大な死の記憶をいだくところだ。石牟礼道子の『苦海浄土』の思想にもそれがあった。
涅槃図に山鳩の声加えたし
筋書はあとで書かれる落椿
作家は物語を構想するとき、鮮やかな場面性を有したエピソード群を、頭の中に抱え込んだ状態になる。それを一つひとつメモにする作家もいる。それを俯瞰的に「眺めた」状態で、全体の「ストーリー」構想が熟してゆく。一般的に誤解されていることだが、書き始めたときには作者もまだそれがどんな物語になって完成するかを知らない。最初からそれが見えている合「目的」的な物語作りは、エンターテインメントの娯楽小説ならあることだが、文学的な作品の創作の現場ではそういうことはない。作者は自分にも未知の深遠な「主題」の表現に向けて情熱を傾けるだけである。だからこの句の、完成した物語の「筋書」は、後でしか書くことはできないというのは真実である。
この句はこのような「現実」的なエピソードを超えてゆく含意を持つ。明治維新からの富国強兵主義「筋書」の果てが、かの国土荒廃の敗戦という体験だった。この「筋書」さえ、国民に共有されていない。地に落ちて実にくっきりとした完結形を示す「落椿」の置かれ方もすごい。
重力の生まれたる日よ水羊羹
立冬の富士水平に垂直に
三浦半島から見る富士がまさにこのようである。富士の姿をこのように句に言い留める技がすごい。まさに「立冬」。秋までは富士が見える日は少ない。
「ああ」の章から
来ては去る後ろ姿の青嵐
真正面から向き合い慈しみ合った人であっても、いつかは互いに去って「後ろ姿」となってゆく。あの人とも、もっと正面から向き合っておけばよかったという思いまで包みこんで「青嵐」の中で佇んでいる。
祖母が見し南瓜の花は母も見し
「花を」なら凡句。「花は」という限定的物語性に自分の今がある。家族の絆はただの精神性ではない。濃密な事物と時間の共有にこそ絆というものがあるのだ。
その時はああと口あく夏椿
「その時」のこの「時」は、読者と共有できない「時間」を、普遍的な表現とすることで共有しようという企みである。それが俳句である。「夏椿」がたまらない。
「海猫」の章から
海底に雨は届かず寒明ける
海祀る三月鴎鳴き止まず
花辛夷水平線を突き破る
わたしの誤読でなければの話だが、この章は時間的に東日本大震災直後からの時間を含んでいるのではないか。つまりここにわたしが摘録した句と他の数句は、いわゆる「震災詠」ということになるだろう。
震災直後から一年以上、俳句界には類型的な「慟哭」「励まし」「無常観」表現の句が溢れた。その状況を視座に入れれば、この高野公一氏の「震災詠」の独自性は際立っているというべきではないか。簡単に何か言って済まされない、言うに言われぬ「思い」の造形表現に徹している。多くの俳人は見倣うべきであろう。
俳句を合「目的」的な産物にしてしまってはいけない。言うに言われぬことに、なんとか自分なりのことばを与えようと格闘する行為が俳句なのだ。
ハーモニカ春の真中に君はいず
菜の花に海は眩しすぎないか
浜昼顔見えぬところを浄土とす
「沈丁」の章から
雨の日は雨をながめる桐の花
河骨は花を終いて水底に
一本の蔓を許して木の晩夏
高々と枯れ行く草に水明かり
人間の一生をかけての営為の姿の美しい造形俳句である。水平に広がる水を由来とし、木々に寄り添って高く陽光を求めて伸びあがる。私たちの魂は枯れても消滅することはない。そうして達成されたものの中に永遠に刻まれるのだ。
美しき日々を追いこす芒原
折れやすい直線は折れ冬川原
白光の冬日誰かが消えている
「誰か」の中に「わたし」を夢想して感受している。「白光の冬日」のように静かな境地で。
「寒雀」の章から
落蟬のままで一度は鳴いてみる
蟋蟀の長鳴き天地やすき間に
この二句は作者の俳句創作姿の喩として鑑賞しておきたい。
何事をなされ海鼠となられたる
敬語表現に微かな諧謔を伴う敬意と自信がこめられている。達成の後の成就的変貌の境地ではあるまいか。
「正夢」の章から
聖魂忌両手の中に火を点す
「父の名は聖魂」の前書きのある句。敬意をもってその魂を継承しているのだろう。
青空に母を行かせて桜咲く
「四月三日」の前書きのある句。母の命日だろうか。「妣」と書かないで存命中の「母」と書いて、桜咲く中を青空に歩みゆく姿を現在形で見守り続けている表現にしているところがすごい。
故郷のきのうの桜散ることなし
「桜」「きのう」「桜」を「の」で繋いで、過去でも現在でも未来でもない、記憶の永遠性の中に「桜」を咲かせ続けている。
リラの花生き継ぐものの背が伸びる
大地に抱かれて水平になるまで、生きとし生きるものは「伸び」てゆく他はない。それが生きるということだから。
松の花河童のいない世を捨てる
たましいも灰になりたる薄暑かな
この二句も自分自身を送るように、誰かの死を見送っている味わいがある。
正夢でありしこの身や花南瓜
残る日の傷みやすさよ草苺
「海坂」の章より
天地を一枚にして河鹿鳴く
海坂を亀の越え行く晩夏かな
「日短」の章より
涅槃図に死んでいるのはただ一人
蝌蚪の国夕日の国と争わず
遠景の戦後の夕べ彼岸潮
正座して正面つくる敗戦日
その日から体の中に油蟬
高野公一氏はこの句集で、「終戦」と言わず「敗戦」という言葉を選択して詠んでいる。そんな戦争に対する思いのにじむ章である。
自由から遁れて来たる水蜜桃
戦後は「自由」が希望だった。今は「自由」が「不自由」な「絶望」と化してしまった。そうして逃亡する者の身ぬちの「水蜜桃」のような甘さ。どちらも出口は戦争に繋がるような予感を抱かせる句である。
「点眼液」の章から
深みどり沈めて水は何もせず
我が後は蔓草生えよ紅葉せよ
人は自然を知らず、不自然の中に「自然」を合成して、借り物のような命を扱いかねている。何もしない水のように、自分の死といっしょに蔓が伸び、全山が紅葉するように、自然であれとの「遺言」の句であろう。
「口髭」の章から
耳たぶにひかりの点る二月かな
句集を拝読するかぎり、二月は高野公一氏には聖なる月のようだ。この「耳たぶ」は仏陀のイメージが喚起される。
耳奥とつながっている五月闇
反対に「聖五月」は、耳奥と世の闇が同期する季節のようだ。
川底に無数の目玉ほととぎす
水底に死者の世界を観る感性は、日本人が共有する古来の心象だろうか。厖大な死を描いた石牟礼道子の俳句を初めとする作品群にも、「天湖」のように死者の世界がある。
公一忌チンチロリンの口髭の
章題はこの句から採られたようだ。このような諧謔味も高野公一氏の持ち味だ。
涅槃図に居ない者たち世にあふる
涅槃図も高野公一氏のキーワードで、この句集を味わい深くしている。
「赤子」の章から
花ふぶく薄紙ほどの生存圏
ピーマンを開いて宙を無に戻す
青胡桃ほどの初めの言葉かな
一神教の「初めに(神の)言葉ありき」に真っ向から立ち向かう句だ。太古の祖先が初めて発したことばのように、今の「わたし」も人に向かって、初々しくことばを発している、と。神は要らない。神は人間も含めての万物の中にアプリオリに潜在するものだからだ。
今日もまた星の時間の中にあり
「神の旅」の章から
亀鳴いて虚空をわたる翼得し
夢の中の蝶になるまで落ちてゆく
西東忌要らない箱を平にし
敗戦忌人の目をした魚の目
過ぎるもの過ぎて反魂草高し
水平に進む海亀神の旅
前世を思い出せない烏瓜
星々を巡る次の世楽しからん
天地のしじま糺して鶴歩む
この章は一句一句に言及することを躊躇わせる雰囲気がある。
みごとな文学的エンディングである。
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世に溢れる句集の編み方と一線を画しているように感じられる。
編年式の「境涯詠」集的な通常の句集のあり方が拒否されている。
しっかりと、高野公一氏の自己表出としての、一巻の文学書として編まれていることを感じる。
そこに深い敬意と共感を抱いた句集である。