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葬送の螢袋―齋藤愼爾句集『陸沈』考

陸沈


この句集『陸沈』収録の俳句が詠まれた時期は、東日本大震災が起こった年、二〇一一年を含む。二○一一年、総合俳句誌「俳句」は早くも五月号で百四十名の俳人による「励ましの一句」を掲載し、「俳句界」も五月号で七十名の俳人が三句ずつ「大震災を詠む」に作品を寄せた。「俳壇」は六月号で十六名の俳人の俳句五句とエッセイを掲載した。
「俳句」の「励ましの一句」の表現内容を整理分類すると顕著な傾向が読み取れる。
被災しても立ち上がる人間の生命力と自然の復活力を詠んだ俳句、四十七句。被災者への祈り・絆を詠んだ俳句、三十九句。被災者への励ましを詠んだ俳句、二十句。俳句独特の客観写生で震災被害を詠んだ俳句、十句。喪われた命、遺された命、自分の今ある命を詠んだ俳句、七句。死者、被災犠牲への悲しみ、悼みを詠んだ俳句、六句。自然災害の恐怖や人間の無力非力感、怒り、疑問を詠んだ俳句、六句。震災の対極にあるかけがえのない日常と風物を詠んだ俳句、四句。象徴的、暗示的表現で原発事故の表現に挑んだ俳句、一句。
大半の震災詠はこのように、一時的な熱狂に振り回された直情的な表現になっていた。
齋藤愼爾氏は俳句総合誌のこれらの企画に応じていないが、この句集『陸沈』には原発事故という現実から立ち上げたと思われる、次のような俳句が収められている。

身に入みて塔婆と原子炉指呼の間     「出蝶記」
白梅をセシウムの魔が擦過せり      「海の柩」

一読して解る通り、当時俳句界に溢れた「震災詠」とは表現の位相が違う。何が違うのか。
多くの「震災詠」は、自立した自己表現のはずの俳句が、表現主体の座を架空の「善意ある集団的意志」のようなものに明け渡していた。それに対して、齋藤氏は独自の文学的主題の中で俳句を詠む姿勢を貫いている。表現主体の座を自己以外のなにものにも明け渡さない、という文学者としての矜持がここにある。他にも次のような俳句がある。

末黒野に天降りし瓦礫涅槃像       「名残りの世」  ※「天降」ルビ「あも」
山川草木悉皆瓦礫仏の座   「出蝶記」
白芒瓦礫にまたも戻る吾れ        「飛島―孤島夢」

東日本大震災禍と原発事故禍で、多数派の俳人たちは初体験のごとくその破壊と荒廃を目の当たりにして狼狽し、自己の表現主体を「善意ある集団的意志」に明け渡し、「励ましの一句」などという流通言語のしもべと化していた。
齋藤愼爾氏は、一貫して戦後日本人の風土喪失的精神の空洞を逆説的な「望郷」という独自の文学的主題を立ち上げて詠み続けてきた。そんな齋藤氏にとって、東日本大震災禍と原発事故禍の光景は、既視感に満ちたものに感じられたに違いない。
だから震災禍も原発事故禍も、その文学的主題の中で詠むことができたのだ。
その一点においてもこの句集『陸沈』の独創性は際立っている。
この新句集のタイトルは「陸沈」。小林秀雄が引いた孔子の言葉が巻頭に置かれている。
「世間に迎合するのも水に自然と沈むやうなものでもっと易しいが、一番困難で、一番積極的な生き方は、世間の真中に、つまり水無きところに沈む事だ」
まさに氏の表現姿勢を象徴するような言葉だ。
社会から目を背けた自己完結的俳句表現に幽閉せず、常に社会の中で生きて呼吸している自分自身の場所から言葉を立ち上げる。世に溢れる流通言語という「指示表出」とは袂を別ち、「自己表現」に徹する姿勢。「陸沈」はそのような困難な表現姿勢を選択して生きる齋藤氏を象徴するような言葉である。
また句集『陸沈』はそんな従来の表現姿勢を継承しつつ、超時空的、超宗教的視座から今を撃つ新展開を見せている。以下、各章題と数句を抜き出して鑑賞してみよう。

「名残りの世」――きてみればわが故郷は荒れにけり庭のまがきも落葉のみして(良寛)

故郷への旅、つまり原点への旅の開始が告げられている。齋藤愼爾氏は既存の俳句界的抒情とは全く違う俳句表現の重い扉をこじ開けて、その未来(つまりその成果がこの今という現実だが)を拓いてきた。

敗荷を見てをり戦後さながらに
末黒野に天降りし瓦礫涅槃像
末の世のかなしき生絹裁ちて母
血をうすく眠るや吾の涅槃変
仰向けに雛と流るる虚空かな
放下して螢袋の中にゐる
化粧して螢袋で死に支度
斧始めどの人柱から始めよう
鳥引きてわが身を杭と思ひけり

精神の荒廃を防ごうと「螢袋」の中に幽閉されているかのように、戦後と震災後の荒涼とした光景と精神的風景が詠まれている。

「失蝶記」―汝がひさしく深淵を見入るとき、深淵もまた汝を見入るのである。(ニーチェ)

齋藤愼爾氏もまたこの国の底知れぬ「深淵」を覗き見るが、心に空洞を抱えた戦後日本人にはそれが見えていないのだ。

萍の生えそめ魔界入り難し
露けしや睡りと祈りを死に喩へ
身に入みて塔婆と原子炉指呼の間
山川草木悉皆瓦礫仏の座
蝶消えて一隅昏き夢の界
白妙の産衣は朧への橋懸り
霞むにはなぜか魂が暗すぎる
冬雲雀ひとり聴くさへ心の喪
枯山から葬の手順を指図せり

「塔婆と原子炉」が等距離に指し示され、精神の「葬の手順」が「指図」されている。

「苦艾」――燃ゆる大いなる星、天より隕ちきたり、(中略)この星の名を苦艾といふ。(ロシア語ではチェルノブイリ(chernobyl)、『ヨハネの黙示録』)

苦艾―にがよもぎ。薬草にも用いられ、毒性を持ち、また過酷な原発事故を起こした地名にも通じる「黙示録」的物語を背負う植物。その名を冠したこの章は破滅の予言的イメージに満ちている。

狐火の失せたる無明長夜かな
木菟死して西空に星無尽蔵
旅に病み螢袋に寝まるなり
天心に木片の泛く雁供養
未生以前の父への供物苦艾      ※「苦艾」ルビ「にがよもぎ」
来世には新約となれ座禅草

「飛島―孤島夢」――人は島ileのなかで、「孤立isole」する(それが島の語源isolaではないか)。一つの島は、いわばひとりの「孤独」人間。島々は、いわば「孤独の」人々である(グルニエ『孤島』井上究一郎訳)

この終わり損ねた「終わり」、黙示録的世界を潜って、齋藤氏は長年幻視してきた魂の原点、現実の「飛島」に足を踏み入れる。

遠つ世の卯波に杭の身青々と
孤島夢や螢袋で今も待つ
海霞吸ひつつ他界をくぐり来し
蟬の穴千年ののち墓一基
再びは逢へぬ鳰の目の荒らき
白芒瓦礫にまたも戻る吾れ
蜃気楼海図のいづこを流謫せむ
たましひの繭となるまで断崖に ※(断崖 ルビ「きりぎし」)

こうして魂の放浪遍歴は一巡して現実世界に立ち帰る。「瓦礫にまたも戻る吾れ」のごとく、齋藤氏の精神世界には昔もあり、今もあり続ける既視感のある光景。それすらも日本の戦後は失い、現実の世界を瓦礫より無惨な廃墟にしようとしている。

「海の柩」

この章からは現実世界の今でもある、既視感のある「未来」世界が懐古的既視感で予言的に豊かに表現されてゆく。冒頭でも述べたように、原発事故禍でさえ過去であり今であり未来でもあるかのように詠まれている。

まつろはぬこころを杭に冬構へ
白木蓮の海の底ひにあるおもひ
わくら葉の紅みな身に籠る晩年ぞ
白梅をセシウムの魔が擦過せり
あらたまの鏡の芯に母の影
暗く疾し昔見えくる雁渡し

確実に滅びへと脚を迅める空虚な戦後日本精神に、警鐘を鳴らす半鐘の響きのように、現実側の流通言語自身を用いた弔いのような句が、読者に突き付けられている。東日本大震災で多くの命が海に攫われ行方不明のままだ。この日本の現実自身がすでに「海の柩」の中であるかのように。

「偈」
 
偈(げ)とは、仏語で梵語のgāthāを音写した言葉であり、経典中で詩句の形式をとり、教理や仏・菩薩をほめたたえた言葉だという。偈佗 (げだ) ・伽陀 (かだ) とも音写され、句・頌 (じゅ) ・諷頌 (ふじゅ) などと訳されている。四字、五字または七字をもって一句とし、四句から成る形式を持っている。      ※ ( )内をルビに
この章から後の俳句がこれまでの句集にはなかった汎宗教的主題による新展開だ。      
日本的精神風土の葬送の調べが、汎宗教的な宇宙時間の中に置き直されている。

まぼろしの国を流転し水車
美しき偈を聞かせをり手毬唄      ※「偈」ルビ「げ」      
死螢の喪は螢袋にて服す
鳰潜ぐたましひ覗き込むやうに
白芒天の鳴弦かすかにも
一遍のこころに拾ふ落し文
歎異抄混沌として明け易き
蘂一つひとつに涙痕曼珠沙華
下萌や一塵として山揺らぐ
真向へる身ぬちの虚空に蝶一つ
乱丁のある過去暗き蟬の穴
紅梅に入りゆき人の世彼岸とす
晩年や身ぬちに螢火また鬼火
不治といふ病ひ螢火に火傷して
腥き魂一個春の山
道をしへ幾たび飢ゑなば旅果てむ
空海の日の暈良寛の月の暈    

「深轍」

深轍を「しんてつ」と詠むと、陶潜(陶淵明)の有名な漢詩「讀山海經(山海経を読む)」の第二連が想起される。
既耕亦已種  既に耕して亦(また)已(すで)に種(う)え
時還讀我書  時に還(ま)た我が書を読む
窮巷隔深轍  窮巷(きゅうこう)深轍(しんてつ)より隔たり
頗回故人車  頗(すこぶ)る故人の車を回(めぐ)らす     ※( )内はルビ
「畑を耕し、野菜を植え、時には愛蔵の書『山海経』を読む。我が住まいする狭い露地裏は、重いわだちとは無縁の静かさで、ときおり友人の車が訪ね来るばかり」というような意味の詩だ。この詩は、役人生活に希望を失った陶潜(陶淵明)が、役人を辞し隠居生活入り、晴耕雨読の生活の喜びを詠ったとされている。だれもが夢想する静かな老境の姿だろう。
 齋藤愼爾氏はそんな陶潜の優雅な心境とは反対に、いまだに心を占拠して止まぬ深轍(この場合は「ふかわだち」と読むべきだろう)の名を、この章の章題としたのだろう。

暁の夢に入り来し深轍
海の底ひ雛壇傾ぐ紅く青く
蚊帳のなか転生の螢汝か吾か
世に関わり目を濁らせる秋の暮
骨洗ふ音する未明の浅茅原
人柱に似たる箒木は抱きとめん
花野燦燦行く佛界入り易く
芒野陰陰出づ魔界入り難く
日に夜に苦海を流謫白絣
末の世のかなしき冬の比叡呼ぶ
露無辺ひとに遠流に似た訣れ

老いを見つめ、日本の詩歌文芸が直面する精神的危機を見つめ、その苦悩がまさに深轍のごとく、この章に刻まれているかのようである。

「中世」
 この「中世」は時代区分の「ちゅうせい」ではなく、過去と未来をその中間で同時に見つめる「今」、過去世と来世を見渡す「今」、天と地を一望する此処、それを包含した「中(なか)つ世(よ)」という意味だろう。東西の宗教観も包み込んだ視座で「今」を詠む新たな視座が提示されている。これは今までの齋藤愼爾氏の句集には見られなかった新境地・新展開の俳句である。

混沌の滴りとして身の幽か
世に隠れをれば白露大いなる
中世の星の朧に棺一基
空病みて空蟬の念力弛みしよ        ※「弛」 ルビ「ゆる」
隠れ生く天降りし病葉たぐりよせ      ※「天降り」 ルビ「あも」り
涅槃空泛かびてをりぬ飯茶碗
天地のあはひにおはす生身魂
箒草宿世けむりのごとく消ゆ
霞吸ひヨブ記の受難を黙示とす
雲裏に病める日輪死人花

「記憶のエチカ」――恐ろしいことを考え続けることが必要なのだ(ハンナ・アーレント)
『エチカ』はユダヤ教を破門されて、スコラ哲学と近代哲学を研究した哲学者スピノザの倫理学の研究書で、形而上学、心理学、認識論、感情論、倫理学が配列されている。ユークリッドの『原論』の研究方法から影響を受けて、全ての部の冒頭にいくつかの定義と公理が示され、後に定理(命題)とその証明とその帰結が体系的に展開されている。
それを踏まえた「記憶のエチカ」ということなら、形而上学的・心理学的・認識論的・感情論的「記憶の倫理学」ということになる。だがそれは作者独特のアイロニーに違いない。
自己の精神の軸となるものを失い、昭和、平成と社会全体の価値観が多様化し混沌とした日本に、いまさら「倫理」を説くなどという野暮なことを、この俳人がするわけがない。
齋藤愼爾氏はこの句集の最終章の「記憶のエチカ」ということばに、どんな思いを込め、何を詠んでいるのか。
それは読者一人ひとりの鑑賞と解釈に委ねられるべきものだが、これだけは言えるだろう。氏は、ここで血縁を含めて自分の現在を貫く記憶と、その集成の只中にいる自分の現在地を静かに問うているのだ。今までにはなかった諧謔調で。

  夢のごと青淵くぐり雛船
  春障子父母光陰のごと存す
  敗戦日少年にいまも蕨闌け
  病める世に生絹のごとき自裁あり    ※「生絹」ルビ「すずし」
  明易し幽世の母の夢を継ぎ       ※「幽世」ルビ「かくりよ」
  同行のひとりは花野の洞の中      ※「洞」ルビ「うろ」
  面影の一つ生まれ一つ消ぬ雁の声    ※「消」ルビ「け」
  梟に未生以前の山河見ゆ
  我が廃句「危・毀・飢・棄・忌・綺・戯」死人花

 最後は氏には珍しい笑いを誘う自嘲の句で閉じられている。
そう思って読み返すとこの最終章全体に、静かな構えの笑いの響きが感じられる。
そのことも含めて、これからの齋藤愼爾俳句の新たな展開を予感させるものがある。
俳句の「文学的主題」詠の確立と、独自の視座に基づく批評性を持つ俳句を詠む俳人は稀有である。俳句が文学である必要を感じない俳人が多い中で、数少ない文学派の俳人として、齋藤愼爾氏はこの句集『陸沈』で更に新たな展開を見せ始めているようだ。
氏は一貫して、戦後日本人の風土喪失的精神の空洞を逆説的な「望郷」という独自の文学的主題を立ち上げて詠み続けてきた。そのこと自身に現代日本を撃つ強烈な批評性が宿っていた。その文学的役目が終わりを迎えようとしていることを自覚し、齋藤氏は静かにその手法の衣を脱ごうとしているように見える。
そしてこれからの自らの行く手を予見するかのように、この句集『陸沈』のラスト二章に、超時空、超宗教的視座から「今」を撃つ「中世」「記憶のエチカ」の章を置いたのに違いない。
                    

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