猫との距離のはかり方。
猫との距離を縮めるのは、とてもたいへんだ。
人懐こい犬の相手をするように、簡単にはいかない。
猫は気まぐれで、警戒心が強く、高飛車だ。
猫と仲良くなるには、距離をはかる必要がある。
僕は猫相手になると、類稀なる根気の良さを発揮する。
まず、撫でたいとか、抱きたいとか、思ってはいけない。
最初は、遠くに座って、一緒にいる景色の中に溶け込むことが大事だ。
そんなふうにして、無欲に景色の中に溶け込んでいると、猫のほうから少しずつ近づいてくる。
このときも、まだこちらから手を出してはいけない。
というか、ほとんど無視しなければならない。
目を合わせずに、別のことに集中するのだ。
スマホをいじったり、テレビを観たり、本を読んだり、仕事をしたり。
そんな毎日を、何日も過ごす。
そうすると、いつしかお互いに距離は縮まっている。
今度はたまに目を合わせて、コミュニケーションをする。
おまえさんの敵ではないよ、という合図を送る。
そのうちに、ほんの少し触れられるくらいの距離感になってくる。
たまに、軽くひと撫でする程度のコミュニケーションが生まれる。
このとき、調子に乗って自分都合で距離を詰めようとすると、とたんに嫌われる。
だから、距離を取りながら、猫が近づいてきたらひと撫でする程度にとどめる。
そのうちに、『こいつは距離感をわかっているな』という信頼関係が生まれる。
干渉しすぎない、心地よい距離感を保つタイプの人間だと猫から認められはじめる。
猫的な世界では、『過度に干渉し合うことを避け、お互いに嫌な気持ちにならないような距離を保つ』ことが、最も尊ばれている価値観のような気がする。
このような関係性が築かれ、しばらくすると、猫のほうからいきなり距離を詰めてくる瞬間が増えてくる。
このときも、距離が近いからといって自分の欲を出すととたんに離れていくので、猫のペースを確認しながら撫でる加減を見極める。
深追いはしない。
ここまでくると、猫はだんだん心を開いてくる。
ゴロゴロと喉を鳴らし、お腹を見せてくれるようになったら、もう立派な友達だ。
それでも、不用意にお腹を触ってはいけない。
お腹は急所だから、下手に触ろうとするとすぐに嫌われるので気をつける。
お腹を突き出して、よほど撫でて欲しそうにしたときだけ、優しく撫でるようにする。
そして、相変わらず、自分都合で撫で回したり抱きしめたりしてはいけない。
いつだって猫のペースが第一。
親しき仲にも礼儀あり、なのである。
先日、ずいぶん距離が縮まって、延々と撫でさせてくれるようになった。
というか、延々と撫でてよ、という距離の詰め方を猫がしてくるようになった。
床にごろんと横になった猫の頭や背中を撫でる。
僕も床にごろんと寝転がりながら、猫を撫でた。
目を閉じて、気持ちよさそうに猫は眠った。
そのときにふと、『さみしい』という気持ちが僕の心の中に生まれた。
この『さみしい』は、主語のないさみしさだった。
誰のものでもない『さみしさ』。誰もがもつ『さみしさ』。
いつかはくる、さよならと寄り添う『さみしさ』。
それはただ、生きることは『さみしさ』とともにあることなんだという気づきだった。
たぶん、猫はずっと前からさみしかったはずだ。
身柄を買い取られて親元を離れ、知らない土地に来て、身内には二度と会えない。
人間に置き換えてみれば、ひどい話である。
それでも猫は、毅然として生きている。
猫はその『さみしさ』を自分の中だけで消化している。
過度に甘えることなく、自分のプライドを貫いて生きている。
そしてたまに、心許せる場所を求めて、こうして僕のそばで眠っている。
考えてみれば、僕もまた、形は違えどいろいろな『さみしさ』を抱えていた。
会社を離れ、フリーランスでひとり、黙々と仕事をする。
東京を離れ、生まれ故郷に仕事場をつくり、今まで属していたさまざまなコミュニティから切り離された日常を選んだ。
今さら後戻りなんかできない、漕ぎ出したオール。
ここからは、誰も守ってはくれない。
自分の力で、どうにか生きていくしかないわけだ。
会わなくなったひと、会えなくなったひとたちの顔が浮かぶ。
そして、僕たちはいつか必ず死ぬ。
行き場のない、主語のない『さみしさ』は、やがて僕自身を包み込んだ。
なんとなく、ひとすじ、涙が流れた。
猫を撫でながら、ありがとう、と思った。
しばらくすると、猫は目を開けて僕を見た。
赤い目をしている僕を見て、きょとんとしている。
少しだけ、両手を使って猫の顔を強く撫でた。
猫はとたんに嫌な顔をし、さっと身を起こしてどこかへ行った。
おっと、いけない、いけない。
猫のシビアな距離感を忘れていた。
猫の世界では、過度な感傷は許されない。
『あたしもたいへんなんだから、あんたもがんばりなさいよ。』
猫の世界は、そういう、温かくもそっけない世界なのだ。
僕は今日もまた、猫と一緒に暮らしている。
主語のない『さみしさ』を共有し、それをオブジェのように部屋の隅に飾って、たまに『さみしさ』をぼんやりと一人と一匹で眺めながら、ともに生きている。
『さみしい』は、消えない。
生きることは、『さみしい』。
でも、『さみしい』ので、もう少し生きてみようと思える。
『さみしさ』を分かち合える一期一会を、ありがとうと思える。
『さみしさ』のない人生なんてつまらないよ。
そんなふうに、猫は僕に教えてくれる。
別に、いいじゃないか。
みんな、『さみしい』んだからさ。
『さみしさ』をもっと、楽しんでいきなよ。
そこから、何かが芽を出すかもしれないよ。
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狭井悠(Sai Haruka)profile
三重県出身、立命館大学法学部卒。二十代後半から作家を目指して執筆活動を開始。現在、フリーランスライターを行いながら作家としての活動を行う。STORYS.JPに掲載した記事『突然の望まない「さよなら」から、あなたを守ることができるように。』が「話題のSTORY」に選出。Yahoo!ニュースに掲載される。2017年、村田悠から狭井悠にペンネームを改名。
公式HP: https://www.sai-haruka.com/
Twitter: https://twitter.com/muratassu
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