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神社で学んだ「心の静寂」
先月ポストした記事では、神社で教えて頂いた「香りの学び」について書いた。
その後、ふたたび御岩神社に参拝したところ、「こっちのことは書かかないの?」と、山中のお社でなんとなくご機嫌を損ねられているような感じがしたので、もう一つ「神社で教えて頂いたこと」について記しておきたい。この探求は、私が神社めぐりをしている大きな目的のひとつ…
瞑想のやり方を紹介した記事や動画など、さまざまなところで「心の静寂」「内なる静けさ」の大切さが解説されている。
でも「心の静寂」って?
私は小学生のころから高校生まで剣道、最近は合気道を習っており、稽古の前に行うあの「静かにする時間」、「黙想」には多少心得があると思っていた。でも、「黙想」と「瞑想」はやり方が基本的に逆らしく、「黙想」は黙って考えること、「瞑想」は(どちらかといえば)「考えない」「心に浮かんでくることを手放す」というようなものらしい。
ここで「静寂」とは?どれくらい静かなのか、動画を見てもわからない。もちろん「静かな場所」で試みてはいたが、自分の心の中のことなので、他人に聴いてもらうわけにもいかず、間違っていても教えてもらうのは難しいだろう… とモヤモヤした月日を過ごしていたある日。
御岩神社の一件があった。新型コロナが落ち着いてきた、その頃のことだ。
初回は家族と参拝したので、往復2時間ほどかかるという登山道の奥までは進めず。その先が無性に気になり、日を改めて一人で赴いた。
パワースポットとして有名な山中のお社。そこを参拝すると、まるで足が地面に吸い込まれるような、重力がそこだけ強くなったような不思議な感覚が。
ちょうど見えない大きな部屋に入った感じ。静けさがどんどん心に沁みてくる。きっと真空の宇宙に放り出されると、こんな気分だろう。宇宙が心に入ってきているのかも。生まれて初めて認識する感覚だと直感した。
ああ、もしかしてこれが「心の静寂」なのか… 今まで想像していたのと全然レベルが違う!胸のあたりに穴があくような、妙な感じ。でも心地よい。
こんな大切なことを教えていただけるとは!ありがたい!丁寧にお礼を言って、素晴らしいものを授けて頂いたとウキウキして帰宅した。
(実はその夜は猛烈な吐き気のようなものに襲われ、ヘロヘロになって床についたのだが、翌日にはすっかり回復していた。朝、全身からアクが抜けて、生まれ変わったような気がしたのを覚えている。背筋が伸びて、鏡を見ると顔つきもなんとなく違う。「気あたり」というのがあるらしい。まさに、何かが祓われた反動、といえば一連の体験が全て腑に落ちる。)
最初はこの場所でしか感じられない感覚だったが、何度も通ってこの「空間」でしばらく過ごすことで、自分でもそれに近い感覚を呼び起せるようになってきた。まさに瞑想教室に通っている感じだ。
毎回、その空間にそーっと静かに入って行って、ご挨拶。お手本を示してくださるので、その感じを自分でも真似てみる。しばらく練習したらお礼を言って退出する。
そして下山する時に思い浮かんだことをノートにメモしながらふりかえる。お医者さんが予防接種のあとに、子供にご褒美のアメをくれるような。瞑想の練習のあとに、神様から大切な知恵をお受け取りして、お導きに感謝する。
この感覚、香りの学びと同じように、一度わかるようになると、他のパワースポットでも似たような感じが受け取れるようになってきた。
決して「音量が小さい」わけではない。木々のざわめき、鳥の声、ヒグラシの大合唱の中でも心が静まり返っている。不思議な感じ。帰ってからも、時々その感覚を想いだしてみる。
また、しばらく生活していると、「その感覚」が、だんだん想いだせなくなってくる。心の中にいろいろなものが溜まってきて、心の雑音が大きくなってくる。「静けさ」の基本になるような音程・音量・ベースラインになる心の位置のようなものがわからなくなってくるのだ。そんな時はまた神社を参拝して、心を調律していただく。
まだまだトレーニング中ではあるが、きっとこの先にも「深い学び」があるに違いない…
今月も最後まで読んでいただいて、ありがとうございます!